狸と狐の依頼
いくらもしないうちに、足音と共に獣の臭いがしてきた。表を覗いてみると、そこにいたのは化け者帳で覚えたばかりの狸親父である。
狸たちは薬屋をやる事で纏まっている。その中でも大店である薬種問屋の山八屋。そこの主の古狸だ。
秘密主義の狸が蛇長屋なんかに何の用だろう。そう思っていると、狸親父は雪平の部屋の前で足を止めた。
「失礼。謎解き屋はこちらかな」
「あぁ。どうぞ、入って下さい」
これは大変だ。狸親父が人間の部屋に入ってしまった。もしかすると狸親父は雪平が蛇だと勘違いしているのではないだろうか。何と言ったって、ここは蛇長屋なのだから。
私は狸親父を助けるために、断じて雪平と関わるためではない、勘違いしているらしい狸親父を助けるために雪平の部屋に入った。
「おや、おさくちゃん。悪いね、今お客さんが来ているんだ」
「私も一緒に聞いてもいい?」
雪平は少し驚いた顔をした後、狸親父を見る。
「こちらは構いませんよ。謎さえ解いてもらえれば、それで」
「じゃあ、おさくちゃん。こっちにおいで」
雪平はそう言って自分の隣を示す。相変わらず軽い男である。背は高く美丈夫で、切れ長の目と通った鼻筋が他とは違う美しさで魅せる。
私は言われた通り、彼の隣に座った。
「実はね、うちの商品が減るんだよ。奉公人たちを調べても何も出て来やしなかったし、それに、減る量が本当に少しなんだ。そんなぽっち盗んだって金にもなりやしない。どういう事だか分からなくてこちらを訪ねた次第でね」
「なるほど。では盗まれた物の種類や、気付いた時刻などを聞いてもいいですか」
「もちろん。いつも無くなるのは朝なんだ。種類は葛根、芍薬、生姜、人参、甘草ですな。どれも量は一握りくらいなものですかな」
狸親父は眉間に皺を寄せ、聞いた事を書き付けている雪平を眺める。
この調子なら問題はなさそうだ。そう安堵したところへ、狸親父が口を開いた。
「それにしても、変わった商売を考える蛇もいたもんですな」
「蛇?」
雪平が首を傾げる。
「あぁ、そこ! そこに蛇がいたの。ね?」
私は必死に狸親父に視線で合図を送る。しばらくキョトンとしていた狸親父だったが、どうも気付いたらしく青い顔をして頷く。
そんなのは全く気にもせず、雪平が言う。
「それで調査なんですけどね、そちらに行って見せてもらいたいんですよ」
「なんだって⁉」
銀杏の美味しいこんな季節に、狸親父は額に汗して慌てふためいた。それはそうだろう。秘密主義の狸が店の中に人間を入れるなんて。
「見せてもらわない事には詳しい事は言えませんから」
「それはそうだろうな。ううむ」
「おやおや、こんな季節に汗っかきとは、何かやましい事でもあるのでしょうかね。失礼させてもらいますよ、謎解き屋さん」
嫌味を言いながら入って来たのは、近所でおあげ亭という一膳飯屋をやっている狐の主人だった。さっき覚えたばかりなので間違いない。
狐は料理屋をやる事に決まっているのだ。そして、狐と狸はすこぶる仲が悪い。だから江戸には薬膳飯屋がないのだと言われている。
「これは、これは。こんな所で会うとは奇遇ですな。随分と周りを気にしておられたようですが、そちらこそ人に知られちゃまずい事でもおありですかな」
「口の減らない狸だ」
「た、狸親父とは失礼な。確かに狸のように腹が出てきたのは事実ですがね」
思いがけずの言葉に、私と狸親父はあたふたしてしまう。しかし、この狐は勘が悪くなかなか気付かない。その上「狸に狸と言って何が悪い」と言う始末。
思わず狐の尻を思い切り叩くと、狐は「痛いっ」と声を上げる。
「痛いじゃないか、嬢ちゃん」
こちらを睨み付ける狐に、私は「そう。私はお嬢ちゃんなの。人間なのよ。狸だなんだって、喧嘩にしたって失礼ではないの?」そう言った。
そこまで言ってやっと狐は気が付いたらしく、慌てた様子で「そう、喧嘩なんだ。いつもの喧嘩なんですよね」と狸親父に微笑んだ。なかなか見られるものではない。
「三人とも仲がいいんですね。そちらの方もお客さんですかい。どうぞ」
それを雪平はへらへらと笑って見ていた。
その様子を見て、私たちは一先ず安堵の息を吐く。
「それで、依頼と言うのはですね」
狐が話し始める。すると狸親父が
「ちょっと待ってくれ。私の話がまだ終わっていない。そちらは後から来たのだから、話はこちらの話が終わってからにしてもらいましょうか」
「なんだって? こっちは店の合間に抜けて来ているんだ。少しくらい融通してくれたっていいんじゃないんですかい」
「それはそちらの勝手でしょう。私にはあずかり知らぬこと」
狸親父はプイっと顔を背ける。
「まぁ、まぁ。あとはお店に行く予定を立てるだけじゃあありませんか。僕たちが話している間に日取りを考えておいてもらえませんかね。僕はいつでも構わないんで」
「そういう事なら、別に」
狸親父は憮然とした顔で頷いた。
「なんだって? こいつも聞くのか。仕方がないか」
狐は大仰に溜息を吐いて見せる。そして話し出した。
「実はですね、泥棒というにもお粗末なんですよ。盗まれたには盗まれたんですが、盗られた物は米がこのくらいの袋に入るくらいと、醤油がひと瓶、あとは日によって大根とか山芋とかですね。ね? おかしいでしょ」
私たちは三人そろって顔を見合わせた。あまりに似ているではないか。
「盗まれるのはいつですか?」
「さぁ、毎日じゃあない。七日に一日くらいかな。夜は必ずあるのを見ているから、きっと朝に違いないですよ。今日もやられました」
「他に何か気付いた事はありませんか?」
「さぁ、特にはないかな。物がたいしたことないだけに気持ちが悪くてね。何とかなりませんかね」
すると、雪平は二ッと口角を上げて「依頼されたからには謎は必ず解きますよ」と胸を張るのだった。
しかし何故だろうか、その笑顔に寂しさを見てしまったのは。やけっぱちと言ってもいい。
蛇長屋に押し掛けてきた迷惑な人ではあるが、この人にも何か過去があるのだろう。
「とりあえず聞きますが、奉公人が持って帰っているという事はありませんか?」
「うちは妻と二人だからね。奉公人がいないんですよ」
「なるほど。誰かに恨まれるとか、同業者からの嫌がらせに心当たりは?」
「ないね。同業者なんて、横のつながりが大事なのは分かり切っているんだから、嫌がらせなんかはしないさ。狸ならいざ知らず」
「狸?」
「あぁ、いや、なに。狸親父と言ったのですよ」
無駄に冷や汗をかいてしまう。
「では、そちらの方も一度お店を見せて頂けますかね」
「構いませんよ。隠すような物もありませんしね。何なら今からいらっしゃいますか? 飲み代だって、ご贔屓にして頂ければお安くしておきますよ」
狐は今にも手もみしそうな表情で詰め寄る。
「それは困る。今からはうちを見てもらおうと思っていたのだ」
狸親父が立ち上がる。
「なんだって? また勝手な。先に言ったのはこちらなんですからね。そっちは遠慮して下さいよ」
「遠慮するのはそちらだろう。初めに依頼をしていたのは私なのだから」
狸親父と狐は立ち上がり、今にも殴り合いそうな雰囲気だ。
雪平は果敢にもそこへ割って入り、二人を座らせた。
「今日、今からですね。どちらも行けばそれでいいでしょう。近い方から行きましょうか」
「いいや。私の方から来てもらう。これは譲れない」
狸親父は狐を睨み付ける。
「こちらは構いませんよ。私は狭量じゃないんでね」
「それじゃあ山八屋さんへ行って、その後でおあげ亭へ見に行くという事でよろしいですね? ね? 恨みっこなしですよ。先でも後でもちゃんと解決しますからね」
雪平は必死に二人の仲を取り持とうとする。その様子がおかしくて、思わず笑ってしまったら、雪平に「暇そうだから付いて来い」と言われてしまった。
私は構わないが、見つかったら女将にどやされそうだ。
でも、ついつい胸が躍ってしまう。ここには私を従わせようとする母も、馬鹿にする姉もいないのだ。私は初めての自由を感じていた。
狸親父たちと外へ出ると、ちょうど風呂敷包みを抱えた二人の子供が連れ立って遊びに出掛けるところだったようで、元気な「行ってきます」の声が響いた。
狸と狐の不仲なんて、子供たちには関係が無いようである。大人二人の眉間に皺を寄せた微妙な顔が笑いものであった。
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