第13話 PETになれなかったぬいぐるみ

 ぽい、と火口にぬいぐるみを投げた。

 コロンは本当に動物という動物を[PET]にしたらしい。動物園の動物もぬいぐるみになっていたし、水族館の魚も布になってた。サメとかデフォルメされていて、地味に可愛くなっていたのに対し、思わず「それでいいのか、お前」と言ってしまった。

 水族館の末路は悲惨だった。なんたってぬいぐるみは布と綿である。ある程度まで泳いでいた魚たちだったが、布と綿が水を吸って、水槽から少しでも跳ねたりしたら、べちゃ、と落ちて沈んでいくのだ。結局一度も跳ねなかったいわしが最強だった。

 水族館職員は、水族館の催し物で目玉だったイルカショーができなくなり、頭を抱えていた。イルカなんて飛んで跳ねての代表だ。どうなったかは語るべくもない。

 ずっと水中に居続ければ、水圧かなんかで形は保たれるんだろうが……でも犬とかは体洗われても大丈夫だったよな、と考えて気づいた。

 魚は水生生物だ。水の中にいるのが当たり前だから、「水浴びしたあとに体を乾かす」という行為と無縁なのだ。乾かしたら干からびてしまう。それに水の中に戻るなら、乾かすのは無意味だ。

 難しいなあ、と俺は海に行った。海は美しくなかった。布と綿が浮いて、どろどろになっていた。わかりやすい環境汚染だ。

 [PET]は基本的に死なないが、怪我をしたとき、患部を縫って直してやらなければ綿がはみ出たままになる。つまり怪我が一生治らないことになる。

 [PET]の傷を縫うことは人間でもできる。けれど、傷をなかったかのように綺麗に跡をなくすことができるのは修繕の魔術師であるコロンだけだった。そのコロンはもういない。[PET]を完全に直せるやつはいなくなった。

 そんなコロンが残した最期の魔法、全動物の[PET]化は歪な形で完成し、世界を歪ませた。簡単に言うと、今までの[PET]は動物とぬいぐるみのいいとこどりみたいな感じだったのが、ぬいぐるみ成分が強くなっている。だから魚が水に沈むし、怪我したら、泳げなくなって、海の藻屑になるしかないのだ。

 ここから始まった環境汚染は[PET]となった人間にはもう関係がなかった。[PET]になったということは、死ななくなったということだ。人が長いこと夢見た「不老不死」が実現したのである。飲まず食わずで生きていけるから水質汚染があってももう一ミリも生活に支障はないのだ。

 それでも便利な生活に慣れていた人々は家電を使って、電気を使って、汚染されていく環境を放置した。自分が生きられればどうでもよかったからだ。実際、毒ガスが発生したって、人は生き続けられる。

 そんな傲りか、怠慢かが、世界の崩壊を招いた。

 植物には魔法がかけられていなかったため、植物が敏感に環境の変化に気づいた。というか、もうこの世で唯一「死」という概念を持った植物が死んだのだ。死んだというと耳慣れない感じがするな。要するに植物が枯れた。それは凄まじい速さで。

 それはわかりやすい環境問題だったが、人間は気に留めなかった。何故なら[PET]になったため、酸素がなくても生きられるからだ。

 草花が枯れて、木が腐って、天気が不安定になった。それでも人も動物も問題なく生きられた。だって死なないから。

 地殻変動が起きて、地震が多くなった。根を張り、地面を支えてくれていた草木がなくなっていたから、土砂崩れ、崩落が各地で起き、地面は歩きづらくなった。それで動揺したのは山で暮らしていた動物。住み処がなくなって困ってしまった。洞穴なども地震で潰れてしまった。生きてはいけるが、どこにいればいいのかわからない。

 そんな動物たちは人里に出た。人里は人里でまあひどい状況だったのだが、雨風を凌げる家がいくつもある。そこを我が物顔で人間が占拠していた。

 [PET]という種になったものの、誰かに飼われているわけではない動物たちは、動物的本能に従い、縄張りを得るために人間を襲った。

 死なないが、動物に襲われるのは怖い。そう思った人間は武器を手に取り、動物たちを撃ったり、刺したり、刻んだり。飛び出すのは血ではなく綿だから、ほとんどの人間が抵抗なく生き物を殺す行動ができた。殺しても死なないという前提が、人の頭のネジを緩めていたのかもしれない。

 ぬいぐるみというのは、元々人間が作ったものだった。ぬいぐるみを作る知識は書物として残っていたから、人間はぐちゃぐちゃばらばらになった動物だった布や綿を手に取り、縫い直して、ペットにした。オリジナルのペット。死なないペット。思い通りにいかないなら、自分たちで作り替えてしまえばいいじゃない! それが名案とばかりに広まっていった。

 俺はそれら全てを眺めていた。コロンが残していった魔法を、世界の行く末を見守ることを使命のように感じていたから。まあ、人と関わりたくなかったというのもある。

 あまりに、ペットは哀れだった。だが、救ってやる間もなく、次なる変化が世界を襲う。

 地震が増えたと思ったら、各地で火山が噴火したのだ。

 世界は自ら終わりへと舵を切り始めた。いや、終わるというより、生まれ変わるのか。世界が均衡を保つためには、不必要な存在を全て排除しなければならない。手っ取り早いのが、一回滅ぶことなのだろう。

 世界を放棄したツケがとうとう人間にも回ってきた。布はよく燃えるからな。ざまあみろだ。その上でお前たちは死ねない。体を焼かれる苦しみを味わいながら、世界が終わるまで、生き続けるのだ。

 俺が今いる火口付近は危険じゃないのか、と言われると、そりゃ危険だ。すぐそこでぐつぐつとマグマが煮えたぎっている。そこにまたほい、と千切れたぬいぐるみの頭を投げ入れてやった。

 なんでこんなことをしているのか。端的に言えば、憂さ晴らしだ。人間だった[PET]を投げ入れると汚い悲鳴がマグマの中から聞こえてくる。汚い悲鳴が消えていくごとに、世界が一つ浄化されていくのだ。

 もちろん、というと変だが、人間に作り替えられたペットたちも放り込んでいる。苦しむことにちがいはないが、他の動物と継ぎはぎにされたまま生かされるのと、どっちがつらいかわからないから、俺は火の海に投げた。

 弔いだ。火葬だ。世界はやがて、マグマに呑まれて無になる。無になって、死んで生まれ変わった世界がまた始まる。だから最後に世界ごと歪になった命たちを弔うのだ。

 さようなら、と。一番言いたかったやつには言えないまま終わるけど。

 コロンは肉体が死んで、コロン自体は神様の世界とやらに戻ったのだろう。下界を見る機能が天国だかどこだかにあるなら、俺のことを見ているかもしれない。

 俺も、たぶん世界と一緒に死ぬだろう。ただ、元々人や動物だったやつらとは違って、生まれ変わったりはしない。だって俺はぬいぐるみだから。

 輪廻転生というのは魂があって初めてできるものだ。俺のこの思考がどこから来て俺の人格を成しているのかはわからない。だが、「ドットさん」と呼ばれた存在はくまのぬいぐるみだ。ぬいぐるみに魂はない。

 生まれ変わることがないなら、「今」を気の済むように生きるのがいいだろう。俺が生きられるのは今、この世界だけなのだから。

 そうして、最後の一つのぬいぐるみを火口に投げ入れると、それを待っていたように、マグマが噴き上がって、火柱を立てた。

 ああ、終わった。俺がそう思うのと同時、おそらくこの世界で最後の異物である俺はマグマに呑み込まれた。


「……ん、どっ……さん、ドットさん」

「へ?」

 俺は目を開けてきょとんとした。当たり前だ。俺を「ドットさん」と呼ぶやつなんて、二人しかいなかったから。

 自分が座っていなかったら、上も下も右も左もわからないような真っ白な空間。そこで売り物のぬいぐるみのようにぽすんと座っていた俺の目の前にいたのは、コロンだった。

 仮の姿なんだろうけど、俺にわかる姿で、コロンは喋った。

「ドットさん、お疲れさま」

「そんなことを言うために?」

「だって、撃たれて死んじゃったから、言いたいこと全部言えなかったんだもん」

 むう、とむくれるコロン。子どもっぽいその表情をえらく久しぶりに見た気がして、俺は和んだ。

「あ、でね、時間がないから色々伝えたいんだけど、要点だけ話すね」

「要点?」

「ドットさんの体はボクが保護しました。だから、ドットさんを次の世界に贈ろうと思います。プレゼントです」

「誰のだよ」

 突っ込むと、コロンは少し悩んで、告げた。

「うーん、世界かな。世界に生まれる新たな子どもたちに、死なないペットのいた世界のことを、おとぎ話にして、伝えてほしいんだ」

 なるほど、失敗した世界を語り継ぐことで、過ちを繰り返させない、という寸法だ。いかにも神様が考えそうなことである。

 コロンは少し寂しそうに笑った。

「そうしたら、その世界は修繕の魔術師ボクのいらない世界になるから、ドットさんとは、これでお別れだね」

「そうなのか」

「そうだよ。寂しいなあ。ドットさんに伝えたいこと、たくさんあったのに。あの世界を修繕なおしたかったのに。全部完成できないまま終わっちゃったなあ」

「お前のせいじゃないだろ」

 あはは、とコロンは笑うと、俺の体をぎゅ、と抱きしめた。母親が娘を抱きしめるみたいであり、友達同士がする別れのハグみたいだった。

 俺も柔く抱きしめ返す。

「ドットさん、大好きだよ」

「ああ。……コロン、大好きだぞ」

 言いたいこと、伝えたいことはお互いたくさんあっただろう。けれど、この一言に全てがこもっていた。全部を伝えるためには、また何百年も一緒にいないと、時間が足りないだろうから。

 体を離すと、コロンは俺の頭をぽんぽんと撫でて、見たことがない慈しみに溢れた笑みを浮かべた。

 神様みたいだ。

 そんなコロンが、意識が遠退いていく俺に一言だけ、伝えたのは──




「会いたい人に、きっと会えるよ」




 意識が戻ると、そこは雪の降り積もる路地だった。ばかでかいぬいぐるみの俺は、誰かに捨てられたらしい。

「あー、あー」

 発声練習。語り継ぐにも声がなきゃな。

 自分に降り積もった雪を気にすることなくすくっと立ち上がると、隣で寝ていた乞食がびびった。すまん、悪気はないんだ。

 さて、どこに行こうかな。街中を歩いて、奇異の視線を浴びながら、俺は俺の今後について考えた。たぶん家なしでも死なないだろう。ぬいぐるみだし。

 そのとき、くんっと腕を引っ張られた。なんだと思って振り返ろうとすると、いたいけな女の子の声がした。

「ドットさん……?」

「……ミイ?」

 俺をドットさんと呼ぶやつなんて、二人しかいない。一人はコロン。もう会えない。もう一人は……

「あれ、わたし、何言ってるんだろう……くまさんも、どうしてわたしの名前知ってるの?」

 大人びた雰囲気を纏いながらも、まだ無垢な女の子。この声を俺は絶対に聞き間違えない。

 涙が出たなら、きっとぼろぼろ泣いていた。そんなみっともない姿を見せなくて済んでよかった。ぬいぐるみでよかった。

 俺はかがんで、女の子の手を丁寧に取った。

「はじめまして、ミーヤお嬢さん。俺はあなたのためのおとぎ話を持ってきたくまのぬいぐるみだ。ドットさんって呼んでくれると嬉しい」

「そのおとぎ話にわたしが出てくるの?」

「ああ」

「じゃあ、ドットさんをおうちにごしょーたいするね! おうちでそのおとぎ話を聞かせて」

 俺は女の子の頭を優しく撫でた。

「ああ。たくさんたくさん、おはなしするよ」

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The BEAST 九JACK @9JACKwords

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