第11話 PETと別れ

 ずっと住んでいたアパートが取り壊しになることになった。何十回も改築したが、そうやって維持するのが難しくなったらしい。

 建物が次々壊されていく。人が少なくなっていくから。

 自転車も壊れた。ずっと乗ってたからな。よく保ってくれたよ。

 世界と共に日常が壊れていく。終末を意識し始めた。

 かろうじて上下水道が機能している。

 長年の住み処を追い出されたコロンはというと……

「あ、見て見てドットさん。あれ、ブランコじゃない? 乗ってみようよ」

「やめとけ。板が外れかけてる」

「動物の乗り物ある!」

「重量オーバーだろ」

「ジャングルジムの残骸!」

「残骸ってわかってんじゃねえか!」

 と、まあ、公園跡で大はしゃぎしている。呑気なものだ。

 もう公園はあっても無意味なものだ。公園で遊ぶ子どもが存在しない。アパートを取り壊しておきながら、公園の遊具を撤去しないのは何故か。おそらく、残された大人たちの郷愁だろう。

 人は皆、子どもという時代を経て、大人になる。だから、こんななんでもない遊具なんかに懐かしさを覚えて、瞳に哀愁を浮かべながら公園を眺めるのだ。残骸となってしまった思い出の場所を世界の終わりに人は壊せない。未来がないから、過去にすがるのだろう。

 なんだかかっこつけて語っているが、アパートを失い、俺たちはホームレスになった。最近はそういうのが多いから、新しい住み処が見つかるまで仮住みできる施設があるらしいんだけど、一も二もなく、コロンは断ってしまった。というわけで行く宛がない。

「行く宛がないっていうのは、どこへでも行けるっていうことだよ、ドットさん。旅ができるんだ。素敵じゃない?」

 宿なしで野宿確定の旅だが。

「大丈夫! ドットさんふかふかで気持ちいいし」

 ペットじゃないならベッドってか。

 ……コロンは自由になりたがっていた。

 旅がしたい。動物園に行きたい。水族館に行きたい。公園に行きたい。商店街に行きたい。遊園地に行きたい。海が見たい。山を登りたい。食べ歩きしたい。お祭りに行きたい。

 コロンは人の願いを叶えるけれど、コロンの願いを叶えた人はいただろうか。

「じゃあ、ドットさんが叶えてよ」

 コロンはからっとした笑顔で俺に言った。

「旅も、動物園も水族館も、海も山もお祭りも、全部ドットさんと一緒がいいんだ。ドットさんはボクのペットじゃないけど、ずうっと一緒に過ごしてきたからさ、ボクのことをずうっと知ってる、最初で最後の友達なんだ」

「そうだな」

 コロンは神の遣いだから、対等な友達なんていなかった。人がコロンに親切にするのはコロンが神様の代理だからだ。親しくしているんじゃなくて、崇めている。それは友達という言葉で括れる関係ではないだろう。

 コロンはミイが羨ましかったのかもしれない。ただのくまのぬいぐるみをペットで友達だなんて堂々と言えるところ。椅子を引いて座らせてあげるくらいちゃんと愛着を向けられる存在であること。コロンはあの頃まだ世界に来たばかりだっただろうから、話し相手が欲しかったのかもしれない。どうしたらいいかわからなかったから相談できる相手が欲しかったのかもしれない。本当はミイにそれになってほしかったのかもしれない。

 かもしれないをいくら並べたって今も未来も変わらないけれど、きっとコロンと過ごすのもあと少しだ。かもしれない運河を旅するのも一興だろう。

「さ、ドットさん、時間なんていくらあっても足りないんだから、行くよ!」

 俺は四足歩行から二足歩行に変えられた。コロンが俺の手を引く。

「何か言われたら着ぐるみってことにしよう」

「こんなかわいくねえ着ぐるみがあってたまるか」

「あはは。でも動物園や水族館は二足歩行じゃないと他のお客さんの邪魔になっちゃうよ」

 それを言ったら今までだって大いに幅を取っていたんだがな。

 ひとまず、近くに動物園があるのは知っていたので、そこへ向かった。二人で。


「魔術師様! 修繕の魔術師様ではありませんか!?」

 動物園に着くなり、管理者らしきじいさんがコロンに迫ってきた。俺は咄嗟に威嚇するように間に入って唸る。もちろん四つ足で。

 ひぃ、とじいさんは盛大にびびった。申し訳ない。これくらいしないとあんた今コロンを押し倒さん勢いだったろ。

 と思っていたら、手が空いているのだろう職員たちもぞろぞろ出てくる。口々に魔術師様、魔術師様だ、と叫びながら。

 なんだなんだ、と俺が困惑する中、コロンは俺の頭を一撫でして、落ち着いた口調でじいさんに問いかけた。

「ご苦労様です。おっしゃる通り、ボクが修繕の魔術師ですが、いかがなさいました?」

「魔術師様! うちの子らを[PET]にしてやってください」

 その言葉にコロンの微笑から感情が消えた。

 うちの子ら、というのは動物園の動物たちのことだろう。動物園の動物には魔法をかけていなかった。動物園とは動物の生態を見せることで学びを得る場所であるからだ。だからありのままの動物を人の記憶に残すために動物園の動物は[PET]にしなかった。何よりそう動物園の園長に懇願されたから、コロンは魔法を使わなかったのだ。

 掌返しもいいところである。まあ今は昔の話だから、考え方が変わるのは仕方ないことだが。

「理由をお伺いしても?」

「我々は高齢で、もうあの子らの面倒を見切れません。動物園として運営するのがもうぎりぎりなんです。[PET]になれば世話もいらなくなるのでしょう? じゃああの子らを[PET]にしてくださいよ」

「なるほど」

 うわ、コロンが怒ってる。この冷気を孕むような空気がわからないのか、このじいさんは。

 そう思ったところで気づいた。違う。このじいさんがわからないんじゃない。俺がわかるようになったんだ。

 コロンはあまり感情の変化を表に出さない。喜んでいるときや嬉しいとき、幸せだっていうプラスの感情は惜しげもなく出すけれど、悲しみや怒りといった負の感情は一切出さない。実際今も、にこにことしたまま。じいさんに語りかける声も明朗なままだ。

 俺が微細なコロンの変化に気づけるようになった。それくらい長く一緒にいたんだ。そうじゃなきゃ、コロンはただ穏やかに話を聞いているようにしか見えない。

「わかりました。でも、もうボクにもあまり大きな魔法を使う力は残っていません。ですので、準備のために時間をください」

「[PET]にしてくれるんですね!?」

「ええ」

 大丈夫だろうか。こんな約束をしてしまって。

「じゃあ、動物さんを見て回ってもいいですか?」

「は、はい、もちろん!」

「やった。ドットさん、行こ」

 そうして動物園に入って、動物を見て歩いた。どの動物も弱っていて、熊の姿をしている俺にすら反応しない。

 たぶんもう手遅れだ。コロンはどうするつもりなのだろう。

「ドットさん、次は水族館ね!」

「わう?」

 癖で犬のふりをした。もう二足歩行しているから隠す必要もないんだけどな。

 水族館や遊園地、シャッター商店街を梯子した。

 水族館の職員にも魚たちを[PET]にできないか言われたが、コロンはそれをきっぱり断った。そうするくらいなら海に還してください、と。そりゃもっともだ。

 二人で歩いていると、海の見える綺麗な場所で、コロンは立ち止まった。

「ドットさん、見て。夕陽が海に沈んでいくよ」

「ああ、そうだな」

「綺麗だねえ」

 コロンは少し寂しそうだった。

 俺は察した。もうすぐお別れなのだ、と。

「ドットさん」

「うん?」

「ボクね、楽しかったよ」

「そいつぁよかった」

「ボクなりに頑張ったよ」

「そうだな」

「世界を良くしようって思ったんだ」

「ああ」

「どこから間違ってたのかな」

「さあな」

「ボクは」

 コロンが立ち上がる。

 そして俺を見て、口を開いたとき。

 たぁん、と銃声が轟いた。

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