第10話 PETと喪失

 日の出を見に、コロンと出かけていた。

 あれからジュウジはあんまり出てこない。元々コロンに体の主導権は渡しているから滅多に出てはこないのだが、コロンの力が体から離れかけているとか言っていたからちょくちょく会うことになるんだろうか、なんて思っていたわけだ。

 だが、コロンは普通に元気に生活を楽しんでいた。俺を背負って自転車を漕いでいる。滅茶苦茶楽しそうで、鼻歌を歌っている。まあろくに歌を知らないので、コロンが歌うのは讃美歌だ。俺の知らない言語で紡がれるそれは明るい曲調でありながら、闇深そうだ。まあ、神様を讃える歌なんてそんなもんだろう。

 コロンはジュウジと記憶を共有しているわけではない。ある程度の社会的常識や一般教養は共有しているみたいだが、基本的に異なる存在であるという線引きをするためにそういう境界線を引いている。

 だから、コロンは自転車に乗れるようになるまで相当苦戦したという思い出がある。

 俺を背負って自転車を漕ぐなんて実質二人乗りみたいなもんだ。というか俺の方がコロンよりでかい。難易度は当然のようにバカ高いのだが、コロンは譲らなかった。

「ドットさんと一緒がいいもん!」

 だが、まあコケるコケる。自然と俺も傷つく。

「コロンよ、俺はぬいぐるみだから痛くはないが、わざわざ何度も布が破けて綿が飛び出すような真似を進んでしたいとは思わんよ」

 俺を一所懸命繕うコロンにそう語って、まずは一人で自転車の練習をさせた。自転車はジュウジの持ち物だったママチャリがあった。

 自転車を乗る練習をするコロンの姿を近所の奥様方は微笑ましそうに見つめていたな。俺が二足歩行で補助してたときは目をひんむいていたが。

 俺はほぼリアルサイズのくまのぬいぐるみである。それがのそのそ街中を歩いていたら、そりゃ怖いよな。熊は駆除対象だ。コロンがご近所さんに説明してくれなかったら、俺は不気味な存在で定着していただろう。

 で、何年もかけて練習して、山登りができるくらいまでにはなった。自転車は年数が経つとガタが来て、何台も変わったけれど。

「なんで日の出なんか見に行くんだ?」

「そういう気分だからだよ。あと、もうすぐ見られなくなる」

 俺はコロンのその言葉にとうとうその時が来たのか、と確認する。

「つまりは、この世界からいなくなるのか」

「そうなっちゃうね。もっと色んなことしたかったよ。ドットさんと旅行に行ったり、美味しいもの食べ歩きしたり、動物園や水族館にも行きたかったな」

「旅行は行ってるだろ。世界各地に」

「観光と仕事は違うんですー」

 まあ、そりゃそうだ。

 というか、修繕の魔術師としての役目をちゃんと仕事として見ていたんだな。感心感心。

「美味いもん食べ歩くくらいならできるんじゃねえの?」

「でもお金ないもん」

「そうだった」

 修繕の魔術師は慈善事業である。非営利目的の商売……いや、商売ですらない。修繕の魔術師として存在するだけで、コロンは人々から最低限の生活の保障はしてもらえるが、自由に使えるお金をもらえるわけではない。コロンの目的はあくまで人を救うことであり、人から搾取するなんてもってのほかだ。

 それに[PET]は死ななかったし、死ぬようになってもぬいぐるみになるだけだったからあまり実感はないが、「命」を扱っている。医者とは違うが、そこは金で換算しちゃいけないところだろう。

 それに、コロンが[PET]を修繕して救われる命というのは目に見えてわかるものではない。人はコロンのことをありがたがるが、これがお金を要求するタイプのやつだったら、コロンへの対処はもっと違うものだっただろう。

 無償の愛。コロンが人々に向けているのはそれだ。愛もまた、簡単に金に換算できない。金で買える愛はあるが、そういう愛は「金の切れ目が縁の切れ目」という無常な言葉に沿ったはたらきをする。コロンのように長く愛して、愛されるには、相手に何かを求めず、自分も何も差し出さない、難しい環境が必要なのだ。

「商店街で雰囲気だけでも味わうか?」

「それいいね」

 お腹は膨れないけど、と笑って、コロンは自転車から降りた。山頂だ。

 何回か見たものだが、朝陽は何色と形容したらいいかわからない。ただ、人々が朝陽を「希望の光」と形容する理由がなんとなくわかるようなそんな色だ。

「きれーだねー、ドットさん」

「ああ、そうだな」

「わかめごはんのおにぎり食べよう。ナノさんが差し入れてくれたやつ」

「いいな。ナノばあさんは料理美味いからな」

 言ってから、ふっと笑った。

「ナノもばあさんって年か」

「ドットさん、女の人の年齢はセンシティブな話題ですよー」

「ここには俺とお前しかいないからいいじゃねえか」

 ミイがいなくなってから、どれくらい時が経っただろう。ミナミが死んでからは、もっと時間が経っているはずだ。

 増え続けていた人類が、減少傾向を見せ始めたのは、コロンが[PET]をもたらしてから、何十年かしてからのこと。商店街で垂れ流しのテレビからそういう報道が流れていたのを覚えている。

 それは人によって生態系を壊されてきた世界にとっては喜ばしく、繁栄能力を持っているのに繁栄できない人間にとっては嘆かわしい現実だった。

 働いても働いても、お金にはならないし、家族を作れば家族の人数分だけかかるお金が倍になる。人のぬくもりが近くにあるのは嬉しいけれど、ひもじい思いをしてまで家族を作りたいか、と言われると、それは違ったのだろう。

 だから餌もいらず、病気にもならなくて、金のかからない[PET]に人は依存するようになった。家族を作るより手頃だったから。

 それも、終わりを迎えつつある。というのはコロンが魔法をかけて、飼い主が死んだ後に[PET]が死ぬようになってしまったからだ。寄りかかる先をなくした人は絶望した。

 まあ、でもなんだかんだ何万年も生きている人間様なだけあって、嘆くばかりの人ではなかったけれど。もうその頃には取り返しのつかないくらい、人が減っていて、若者はもっと減っていた。

 小さな国が子守唄を国中に流して、静かに滅んだ。国として形を保てないくらい、人が減ったからだ。残った住人は大国と呼ばれていた国に移住したり、死に場所を探して旅に出たりした。

 それがもう何十年も前の出来事だ。大国と呼ばれた国も、国としての体裁を失いつつある。機械文明が発展していたこの国はぎりぎり国としてある。

 世界を管理する人間がみんな老人になってしまった。まだ希望を捨てていないから、なんとか暮らしが保たれて、おにぎりを食える。それもまた何十年としないうちに駄目になるだろう。きっとコロンがいなくなったら、加速していく滅亡だ。

 口元にごはん粒をつけたコロンが無邪気に問いかけてくる。

「ドットさんはどうするの?」

「どうって?」

「ボクがいなくなってからさ、どうするの? ドットさんは飼い主がいないから死なないけど、飼い主を持てば死ねるようになるよ。どうするの?」

「飼い主はいらん」

 そこはすっぱり答えた。

 そもそもぬいぐるみとはいえ、熊を飼おうという豪気なやつが現代に生き残っているとは思えない。

 それに、何百年経っても、俺はミイのことを忘れなかった。たぶん俺が永遠になれば、これも永遠になる。ミイと過ごした時間なんて、一日にも満たない。それでもこの体に適応して、コロンが魔法をかける前の思い出も俺の中にはある。

「別にどうもしないさ。お前がいなくなったら、その体の主はたぶん死ぬだろ? だからそれを弔ってやろうとは思ってるけど、それ以外の予定はないな」

「そっか」

 寂しいとも悲しいともコロンは言わなかった。そもそもそういう感情への理解が薄いやつだ。

 いなくなるその日まで、きっとコロンは変わらないだろう。たぶん、俺も同じように変わらないだろう。

「あと何回、朝陽を見られるかな、この世界は」

「さてな」

 希望の光なんて、もうないのかもしれない。朝陽が象徴や概念として、そうあり続けるだけだ。

 きっと人類が滅んでも、朝陽は昇るだろうけど、そのとき俺はどうしているかね。

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