第8話 PETと残酷
「どうして? だって[PET]は死んだらぬいぐるみになるのに」
「ぬいぐるみを動かしても、それは動くぬいぐるみで、[PET]じゃないよ」
コロンの言葉は俺の肌をざわりと粟立たせた。
まるで、俺の存在否定のようだ。
コロンは続ける。
「カリアちゃんが欲しいのは動くぬいぐるみ? 喋るぬいぐるみ? ペットじゃないの? ペットって愛玩動物のことだよ。動物なんだ。元々自分でぬくもりを持っている、動物なんだ」
「どうぶつ……?」
[PET]が溢れた世界で、動物という概念は薄れていた。飼われていない野生動物はまだ存在する。けれど、犬や猫などのペットとして一般的な動物は、[PET]の死が設定されたことにより、滅びの一途を辿っている。
犬や猫にも父親母親があって、子どもをたくさん産んでいた頃を今の子どもはもう知らない。今の子どもにとって、犬や猫は死なないペットなのだ。
動物という認識じゃなくなっている。
「じ、じゃあ、このいぬさんをわたしに譲って! このいぬさんはまだ生きてるでしょ?」
俺は首を振った。
「ドットさんは犬じゃないよ。それに[PET]でもないし、ボクは飼い主じゃない」
「いぬさんじゃなくてもいい! [PET]じゃなくてもいい! わたしは、わたしは……」
俺は見ていられなかった。
カリアはちょうどミイと同じ年頃の女の子だ。細かいことがわからないのも、細かいことを省みないのも無理はない。
見た目も言動も全然ミイに似ていないけれど、ペットを求める姿がだぶった。
「──俺は飼い主を持つ気がない」
だから喋った。細かいことがわからないなら、大まかに理解させればいい。
「しゃべった……?」
「俺は犬でも猫でもない。くまのぬいぐるみだった。誰かのペットになる気はない」
「くまさん?」
「そうだ。野生の熊は人を襲う。だから人に恐れられてる」
「でも、ドットさんは野生のくまさんじゃないでしょ?」
「でも、野生の熊と勘違いされたらどうする?」
俺にすがろうとする眼差しを突き放すように俺は告げた。
「昔、俺をペットにするためにコロンに願った女の子がいた。でも、その子は狩人に銃で撃たれて死んだ。俺が本物の熊と間違えられて、狩人が撃つ相手を間違えて、女の子は撃たれたんだ」
カリアが、口元を押さえる。
銃で撃たれたらどうなるかくらいは、どんなに子どもでも知っているだろう。
「飼い主さん、死んじゃったの……?」
「飼い主じゃない。友達だ」
「ひとりで、生きているの?」
「そうだ。これからもひとりで生きていく」
俺が断言すると、カリアは両目いっぱいに涙を浮かべた。
「そんなの、そんなの寂しいよ。わたしはいやだよ。ひとりはいやだよ。ママもエータもいないと、わたしひとりぼっちだもん。友達もいなくて、ペットもいなくて、パパもいなくて、だれもいなくて、そんなのいやだよ」
「カリアはいやでも、俺は嫌じゃないんだ」
「わたしは寂しくて死んじゃうよ」
いやだよ、いやだよ、とカリアはべそべそ泣き出してしまった。
人は一人では生きられない。
いつかどこかで歌われた歌や、文章の一節なんかによくある言葉だ。でもそれは嘘だ。寂しいと言えない人が、言い訳に考えただけで、人は本当は一人で立てる。一人で生きられる強さを持っている。はずだった。
ペットが、自分以外の生き物を愛でることが人を孤独から脱却させると同時、人の心を弱くした。人を孤独に耐えられないような生き物に変えてしまった。
そこに「死なないペット」なんて都合のいいものが与えられて、人は弱くなり続けた。カリアが言うように、寂しくて死んじゃう、と口にしてしまうほどに。
それはコロンの盛大な地雷だった。
地雷を踏み抜かれたコロンはカリアに猫のぬいぐるみを与えた。先程カリアが欲しいと手にした灰色の毛並みの猫だ。
「あげる」
「え」
「[PET]には戻さないけど、ぬいぐるみでも、少しは孤独が和らぐだろうから。さ、お帰り」
「え、うん、はい……」
カリアが帰ると、コロンは崩れた。
「駄目だ、だめだ、死なせちゃ、だめだ……ボクはそのために、修繕の魔術師になったのに」
コロンが顔を覆う。
コロンの体は修繕の魔術師がこの世界に遣わされるきっかけとなった自殺した独身女性の弟のものだ。詳しいことは知らないが、修繕の魔術師と弟の間に何かしらの契約があったのだろう。
弟は姉の孤独に気づけなかったことを大変悔いたにちがいない。たぶん、修繕の魔術師はその懺悔を拾った。聞こえ悪く言うとその心に漬け込んだ。それで都合よく肉体を手に入れたのだろう。
神だかなんだかが遣わした修繕の魔術師は人に見えない。だから、人間の肉体が必要だった。
人間の肉体である必要があったのは、人間に仕組みを説明するためには人間の言語を扱えた方がいいからだ。
「人を救わなくちゃいけない。
姉さんみたいな人を救える存在にならなくちゃいけない。
僕は、ボクは、ぼくは」
頭を抱えて嗚咽するコロンを俺は黙って見ていた。
俺はぬいぐるみだ。人間の思考傾向を理解することはできても、それは心や気持ちを理解したことにはならない。簡単に「あなたの苦しみは私にもわかるよ」なんて言えないのだ。それは残酷だけど、変えようがない事実だ。
だから、たぶんでしか話せない。たぶん、コロンはカリアが「寂しくて死んじゃう」と言ったことで意識が修繕の魔術師から人間だった自殺した女性の弟に戻っている。
体を修繕の魔術師に渡したら、意識とか精神とかはどこに行くのだろうか、と思っていたことがあった。その答えはコロンといるようになってしばらくしてわかった。
弟の意識や精神は「どこにも行っていない」──コロンの成し遂げたことを弟はコロンの内側から見ているのだ。コロンはそれが弟の救済になると思っている。
まあ、実際救われた部分はあると思う。罪滅ぼしをしている気分になれるだけでも何もしないよりはましなのかもしれない。
「……ジュウジ」
「ドット……」
名前を呼んでやると、やつはこっちを向いた。
コロンというのは修繕の魔術師としての名前だ。世界を継続させるための句読点の一つ。それがコロンという名前だった。
無駄なまでに長い付き合いの俺はコロンから名前の由来を聞くこともあったし、元の体の持ち主、ジュウジと昔語りをすることもあった。ジュウジは滅多に出てこないけど。
ジュウジの姉はミナミと言った。スターリアという猫を飼っていたそうだ。スターリアはオッドアイの黒猫で綺麗な毛並みをしていたという。ミナミはそれをいつも自慢していたそうだ。
ミナミはさばさばしていて、異性との交遊関係もさっぱりしていたそうだ。惚れた腫れたの話とは無縁で、「私にはスターリアがいるからね」といつも笑顔だったという。
遺書には「この世への未練はスターリアだけだった。だからスターリアのところへ行く。寂しいのも悲しいのもわかってくれるのはスターリアだけだった」とあったらしい。
「きっと姉さんは『強い人』という周りのイメージに勝てなかったんだ。弱味を誰にも見せられなかった。スターリアしか頼れなかったんだ。ペットは何も言わない。人間の言葉なんてわかっていないのかもしれない。そんな気楽さがなくなったから……姉さんは死んだんだ」
それは「寂しくて死んだ」に該当するのだろうか、と俺はいつも思う。
確かに、本当の自分を誰にも理解されなくて寂しくて悲しいのはわかる。ペットにしか本当の自分が明かせないのは窮屈だったにちがいない。
ただ、その遺された言葉を十字架みたいに背負って、ジュウジが生き続ける必要はないように思うんだ。言わないけど。
スターリアがミナミの縁だったように、ジュウジにとっても修繕の魔術師という役目は最後に残された縁なのだろう。地獄に垂れた蜘蛛の糸のようなものにでも、すがっていなきゃ、自分を許せないのだ。
そんな風に元々弱かったんだ。人間って。
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