第6話 PETと優しさ

 俺はコロンととある病院に来ていた。

 以前は病院にペットなど以ての外だったのは言うまでもないだろう。動物というのは裸で存在しているためどこから細菌を持ってくるかわからない。それに、院内で誰かに噛みつきでもしたら事だ。動物系のアレルギーで通院している人もいるだろう。

 だから、飼い主が入院しているペットというのは孤独なものだった。

 それがなくなって、今、俺が白昼堂々、病院の中を歩き回れるのはペットが[PET]になったことによって、人に害のない生き物になったからだ。細菌を持ってくるかもしれないが、ぬいぐるみのように消毒ができる。死ぬ心配がないから、どんな対処もできるのだ。

 俺は元々が動物だった[PET]と違うため[PET]ではないと主張しているが、こういう公共の場での扱いに関してはうだうだ言っても仕方ないので、[PET]と同様の扱いを受けている。そもそも喋らない。

「でっかいワンちゃん!」

「もほもほしてう!」

 もほもほってなんだ、逆に発音しづらくないか。

 大きな大きなくまのぬいぐるみである俺は四足歩行でのそのそ歩いていく。いや、二足歩行もできるんだけどね、それやったら入り口に頭ぶつけるわ、子どもに泣かれるわで散々だったのよ。でかいという威圧感は想像の三倍くらいヤバいらしい。

 ミイもマスコット化されているようなちっこいくまのぬいぐるみなら、親に何か言われることもなかったろうにな、と密かに思った。何を思って六歳にして熊をペットにしようと考えたのだろうか。

 四足歩行の俺は俺でマスコット的な扱いを受けている。コロンと一緒にいることが多いので、コロンが来た目印としてわかりやすいようだ。孤児院で子どもたちに集われたときは焦ったが、ちやほやされるのは悪い気分ではなかった。

「アニマルセラピーというのもあったんですよ」

 先導の看護師がコロンに説明する。コロンは興味があるのかないのかわからない声でへえ、と言っていた。

 魔法を使って、そんなに日は経っていない。二、三日前に[PET]を「死なないペット」から「飼い主が死ぬまで死なないペット」に作り替えた。その大きな魔法を使った代償が出ているのかはまだわからない。

 ただ、今日は寿命間近の[PET]の飼い主に会う。[PET]の余生の七日をコロンの元で送ってもらいたいという要望だった。

 コロンはその意思確認と[PET]の受け取りに来たのだ。

「サガタさん、魔術師様がいらっしゃいましたよ」

「はい、どうぞ」

 病室に入ると顔色が悪い青年がベッド脇のテーブルに鎮座したふわふわの生き物を撫でていた。犬だ。たぶんポメラニアン。それが預けたいという[PET]なのだろう。

「こんにちは」

 コロンはぱっと笑った。なんだかんだ、[PET]が好きなんだろうな。

 看護師が出ていくと、青年は口を開いた。

「早速で悪いのですが、このチーズを引き取っていただけないでしょうか。[PET]が飼い主の死後に息を引き取るというお話は伺いました。僕にはもう時間がありません」

「つかぬことを伺いますが、ご家族などは?」

 すると、この青年は苦々しい笑みを浮かべた。

 このポメラニアン、名前はチーズというこいつは、捨てられていたらしい。死なないようにぬいぐるみの姿でぴくりとも動かず。青年は拾って、手入れをしたら普通のポメラニアンのように動き出して驚いたそうだ。

 ただ、青年の家族は青年に冷たかった。その上、[PET]という思想に反目的な人たちなのだという。まあ、そもそもが動物嫌いらしいのでそれはなるほどな、と思う。

 青年……サガタは幼い頃に猫を飼っていたらしいのだが、その猫も目を離した隙にどこかに捨てられたらしい。病弱で金ばかりかかる息子がただでさえ気に入らないのに、動物を飼おうだなんて、許せなかったのだろう。いくら死なないとはいえ、勝手に[PET]を捨てるのはどうかと思うが。

 金食い虫、肌色が悪くて気味が悪い、のっぺらぼう、だのと家族に散々な言われようだったサガタは病弱な自分が憎かったし、何より寂しかった。ただ病弱なだけで、孤独というスープを毎日飲まされるのだ。温かくないスープは体と心を冷やしていった。

 そんなときにチーズを見つけて、こっそり飼うことにしたのだ。チーズにはぬいぐるみのふりをしてもらったらしい。それはチーズにとっては窮屈な日々だったかもしれないが、サガタは孤独を癒された。不便をかける分、チーズのことを愛してきたという。

 人より体が弱いために、余命宣告を受け、とうとう退院できない入院になったとき、サガタは残されるチーズのことが気がかりになった。

 家ではぬいぐるみと認識されているチーズの面倒を誰かが見るはずがない。チーズは[PET]だから死なないけれど、チーズに孤独を与えてしまうことが心苦しい、と。

 そんな折に、[PET]が「死なないペット」から「飼い主が死ぬまで死なないペット」に変わったという話を聞いた。

 自分の死期が近いことを察していたサガタにとって、それは唯一の心残りをなくす朗報だった。

 家族に託すことのないチーズを七日の間は空くけれど、置いてかないで済む。それなら、その七日間を修繕の魔術師に見てもらえないか、と思いついたらしい。

「なるほど事情はわかりました。ボクとしても、きちんと魔法が作用しているか確認したいですから、預かりますよ。チーズくん? チーズちゃん?」

「くんです」

「うん、チーズくん」

 ま、死なないからオスメスはないけどな。気分だろ。

「えと、そちらの大きな犬は……」

「ドットさんだよ。事情があって、ボクと一緒にいるんだ」

 俺はぺこりと頭を下げる。コロンが得意げに「おりこーさんでしょ!」という。サガタはからからと笑い、触ってみてもいいか、と聞いた。

 猫も飼っていて、今は犬は犬でもポメラニアンだから、もふもふの生き物が好きなのだろう。だとしたら動物嫌いの家庭では肩身の狭い思いをしていたにちがいない。

 撫でたいだけ撫でればいい、と思って、俺は医療器具に触らないようにサガタに近づいた。細くて頼りない指が、俺の黒いもじゃもじゃを慎重に撫でる。

 少し、ミイのことを思い出した。ミイは買ってもらった俺の毛繕いを欠かさなかった。六歳の女の子からしたら、馬鹿でかくて、大変だったろうに、丁寧に、長い毛が絡まないようにしていた。

 か弱い手つきはそっくりだった。

「このドットさんは魔術師様の[PET]なのですか?」

「ううん。ボクはドットさんの飼い主じゃないよ。事情があって、ドットさんには飼い主がいないんだ」

 え、とサガタは驚いた顔をする。

「それじゃあ、飼い主のいないドットさんは、死ぬことができない……っていうことですか?」

「そうなるね」

 不老不死。それはある側面から見れば、残酷で不幸なことだ。それでいて、誰もが求める。人は「死にたくない」と思える生き物だから。

 サガタが俺を窺う。

「ドットさんはそれでいいの?」

 俺はばう、と頷いた。

 俺の飼い主はミイだけでいいし、ミイがいなくて寂しいけど、死にたいほどじゃない。

 なんだかんだ、コロンの側にいるのも退屈しないからな。

「そっか。ドットさんは優しいね」

 そんなこと言うサガタの方がきっと優しい、と俺は思った。


 その三日後、サガタは息を引き取った。チーズは寂しそうにきゅぅん、と鳴いていた。

 それから一週間、チーズは俺と一緒にいた。いや、正確には「俺たちと」なはずなのだが、チーズはコロンに見向きもしない。俺が寝転がっていると、懐の辺りでもふもふとしていた。

 コロンはそれを観察するだけ。たぶん今後の参考にするのだろう。[PET]に問題が起きたら、対処するのはコロンだからな。

 和やかに一週間を過ごし、チーズは俺の腹の辺りで温まりながら、死んだ。[PET]の死はどうなるのか、と思っていたら、[PET]は生き物認定じゃなくなっているらしく、ただのぬいぐるみになっていた。動物の死骸だと処理が大変そうだから、これでいいのかもしれない。

 緩やかで優しい死だった。

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