第5話 PETと幸せ

「人の心は直せるもんではねえよ」

 俺は丁寧に、コロンの間違いを訂正していった。

 ミイが死んだことに関して、こいつのせいだと責める気持ちはなかった。たぶんそれは俺が人じゃないからだ。じゃあ、自分のせいかってーと、なんか違う。

 ミイが死んだのは誰かの「せい」とかじゃなくて、色々な不運が重なっちまっただけだ。幸運だと思っていたものが不運だっただけだ。見極められなかったミイの責任でもない。幸運か不運かなんて、周囲の状況で簡単に変わってしまう。そんな事象だった。

「でも、ペットによって、人の心は癒されるのでしょう? それは直せるってことじゃないの?」

「修繕と治癒は別もんだよ」

 針と糸を使ったって、壊れた人の心は直らない。死んだミイが生き返ることもない。

 そう説明したら、驚くべきことに、コロンはミイの傷を縫い合わせて試しやがった。見た目が人間なだけで常識が通用しない存在だと悟った。

 ミイを親元に帰してやれないな、と思った俺はミイを埋めて墓を作った。

「これ、なに?」

「墓だよ」

「なんのために?」

「死んだやつを弔うためだよ」

「なんでそんな人間みたいなことを? キミが?」

 俺はさすがに怒った。

「お前が俺を人間みたいにしたんだろうが」

 襟首を掴まれたコロンは浮遊感に楽しそうにしていた。

 毒気を抜かれてしまった俺はコロンを物理的に振り回した後、コロンの事情を聞いた。俺は喋るときに人間という生き物の情報を片っ端から入れられたらしい。概念的な俺の脳が情報の取捨選択をして、俺という人格ができた。

 これは奇跡だよ、とコロンは語った。

「初めての魔法でこれくらいの成果を得られたのは奇跡だよ。さすが魔法だね。ボクはキミに興味がある。行くとこないなら、ボクと過ごそうよ」

 能天気だな、と俺は思った。

 でも確かに行くところがないので、コロンと過ごすことにした。

 コロンは魔法を使うごとに人格が欠けていくらしかった。だから、あまり実験はできなかった。実験を積み重ねるほどに、コロンの人格は幼くなっていくから。

 ただ、俺から教えられたことは忘れない。人として必要最低限の知識や常識は覚えている。人が何故悲しむのか、何故生き物の死に心を揺さぶられるのか。

 まあ、くまのぬいぐるみだった俺がなんでそんな感情論を語れるのかは正直俺もわからなかったが、浮世離れしたコロンを少しは常識人に近づけられたと思う。

「発想を変えたらいいんじゃないか? ぬいぐるみをペットにするんじゃなくて、ペットをぬいぐるみにするんだ」

「動物をぬいぐるみにするってこと?」

 そう提案して、細かくコロンが考えたのが今世に広まった[PET]だ。

 世界規模の魔法はコロンの知性を大きく歪めた。

 飴の味で一喜一憂する、まるで子どもだ。

 けれど、死なないペットが生まれたことで救われた人はたくさんいた。生きづらい世の中で、家庭を築くことや恋をすることさえ億劫になってしまった人々の心を癒す存在はペット以外にいなかった。犬や猫のもふもふが好きだったり、爬虫類の独特の体温が好きだったり、好みは様々だが、自分と違う体温が家に帰るとあることが、人の支えになっていたんだろう。

 世の中は核家族世帯より一人暮らし世帯の方が多くなっていて、そのうちのほとんどが未婚だ。結婚歴があっても、パートナーに先立たれていたり、浮気されたりして、心に寂しさを持つ人が多かった。

 未婚のやつらも、政策のせいで子どもを持つことが難しくて、子どもに不便な思いをさせるなら生涯独身の方がましだろう、という考えの若者が増えている。少子高齢化は問題となっているが、根本的な問題は解決していない。

 自分以外のぬくもりが欲しいなら、恋人でも作ればいいじゃないか、とも思うが、恋人を作ると、やれ結婚しろ、やれ子ども作れ、と周囲が目敏くて五月蝿くて落ち着かない。恋愛は子どもを作るための過程ではないし、恋愛しても結婚するかはわからないというのに。まあ、それくらい未婚者が多いのと、子どもが少ないのは問題なのだ。

 コロンは人の社会には干渉しない。コロンはあくまで、人の心を癒すペットに何らかの措置をするために遣わされた何かだ。何だったのかはコロンすらもう覚えていないから、もうわかることはないだろう。

 人の社会は人が直していくしかない。コロンは人の心をわかってはいないから、そこに干渉することは事態の悪化しか招かないだろう。

 俺はなんだろう、惰性でここにいる。

 世界の終わりを見届けられるかもしれない好奇心と、もう死ねないという諦めから、ここにいる。


「[PET]にかける魔法を決めました」

 コロンは俺を連れて、動物愛護団体の事務所に来ていた。

 [PET]に関しての大きな決め事は動物愛護団体を通し、政府に伝えてもらう。全世界に伝えるためにはいちいち国を行脚しなきゃならない。それだとコロン一人では時間がかかりすぎて、届く情報に時差が生じてしまう。

 そこで使うのが世界のわりとどこにでもある動物愛護団体だ。政府伝手だと、なんか外交問題が云々としち面倒くさいからだ。

「[PET]に死期を与えます。それは飼い主の死をトリガーとします」

 コロンがそう決めたのは、修繕の魔術師を尋ねてきた男性が理由だった。

 その男性はかろうじてぬいぐるみだったとわかる綿まみれの物体を持ってきた。

「修繕の魔術師様、お願いです。こいつをどうにかしてやってくだせえ」

 コロンはひどいねえ、と言いながら、その[PET]を直した。が、そういうことではなかったらしい。

「ぎゃう、ぎゃうぅっ」

 犬の姿に戻った[PET]は柱に体をぶつけて、わざわざ自分から怪我をしに行っていた。血の代わりに溢れるのは綿。破けた皮膚は布になって、綿と一緒にふわふわと漂っている。

 頭をがんがんと電柱に打ち付けた犬は、とうとう目のビーズが弾け飛んだ。

「……これは、どういう?」

「こいつは俺の姪の飼い犬だったんだが、不幸なことに、一緒に事故に巻き込まれちまってなあ……姪は助からなかったんだが、犬がそれからずっと自傷するようになって」

 犬にトラウマがあるのかは知らない。

 ただ、飼い主が死んで、悲しみに苛まれることもあるのだろう。犬は忠誠心が強い。忠誠心というのはどれだけ飼い主に心を傾けているかの証拠である。

 まあ、この犬は氷山の一角だ。他にも、飼い主が亡くなってから食べ物を食べなくなって、餓死もできずにぺらぺらの布になりかけた猫とか、食べても吐いて、吐いてもそのまま吐いたものを食べ続けるのを繰り返すとか、まあまあヤバいやつらがコロンのところに押し寄せてきた。

 コロンは動物病院ではないが、[PET]は動物病院では診られない。コロンが針と糸と布と綿で直すしかないのだ。

 [PET]たちが生きることを望まなくなってきた。その事実が暗雲を立ち込めさせていた。

 コロンが大きな魔法を使える回数はおそらく限られている。修繕の魔法はちまちましたものだが、塵も積もれば、だ。大きな魔法を使うチャンスが減るだろう。

 だから、そろそろ肚を決めろ、と俺は言った。

 それで、俺たちは話し合った。

 飼い主を亡くした[PET]は次の引き取り手が見つからなければ、いつかのジャリガキや婆さんのようなやつらのオモチャにされる。引き取り手が見つかっても、前の飼い主を忘れられなくて、死ねないのに自分を傷つけ続けるんじゃ、どの道地獄だ。

 地獄を見せるために「死なないペット」を作ったわけじゃない。だからコロンは俺に知恵を求めて、結論を出した。

「[PET]を『死なないペット』から『飼い主が死ぬまで死なないペット』にします。具体的には『飼い主が息を引き取ってから一週間後に死ぬ』よう、設定します」

「一週間……短くありませんか?」

「初七日というものがあるでしょう? まあ、それはとある宗教の考え方ですが、目安です。どこかで区切りをつけないと、早めに区切りをつけないと[PET]にとっては生き地獄ですよ」

「……」

 人は次の引き取り手を考えるための時間が欲しいのだろう。だが、一週間、二週間、一ヶ月と延びるごとに、[PET]の悲しみや苦しみは降り積もり、辛くなっていくばかりだ。

「[PET]の気持ちも考えてください。何が最良で、幸せかなんて、当人たちにしかわからないのです」

 それを定めなければならないコロンの苦労も考えてほしい。まあ、コロンは苦でもなさそうだけど。

 まあ、幸せは「仕合わせ」とも言うからな。一期一会ってのも大事だろう。

 反対意見があっても、魔法を使うのはコロンだし、魔法が使えるのもコロンだけだ。誰もコロンに逆らうことはなかった。

 そうして、[PET]は「死なないペット」から「飼い主が死ぬまで死なないペット」となった。

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