第4話 PETと愛情

 コロンは決断力がない。

「ドットさんドットさん、のど飴たくさんある!!」

「こら、そんなにたくさん買うんじゃない」

「だってどの味も美味しそうだし」

「あのいぬさん喋ってる!」

 あ、やべ。

 別に俺が喋れることは隠すようなことじゃないんだが、以前困ったことがあったから、あまり人前では喋らないようにしてるんだ。コロンもあのときは困ったはずなのに、さらっと俺に話しかけてくるんだよな。

「ばう」

「聞き間違いじゃないの?」

「えーこちゃんと聞いたもん!」

「はいはい」

 親ってのは冷淡だな。

「ドットさん?」

「んだよ?」

 振り向くと、コロンは両手いっぱいに飴の袋を抱えていた。

「ドットさんはどれがいい?」

「俺ぁ人間じゃねえぞ」


 俺は人間じゃない。[PET]でもない。飼い主もいない。

 じゃあ何なのか。

 喋るぬいぐるみだ。

 コロンはぽん、と動物とぬいぐるみを融合させた[PET]を作り出したわけではない。生き物を死なないようにするなんて、当時のコロンでさえ無理難題だと思っていた。

 それでも、この世界の修繕を司るコロンは課題をクリアしなければならなかった。コロンは見てしまったのだ。

 ペットの後を追って、鴨居から首を吊るすことを選んだ姉の姿を。

 そう、コロンはペットの後追いをした独身女性の弟だった。過去形なのは、今のコロンはあくまで神様だかなんだかが遣わした魔術師であって、人間だった頃の人格ではないからだ。

 じゃあ誰なんだと言われると、まあ、弟の記憶を持った魔術師だな。一体化するときに脳がバグって、魔術を使って更にバグって、退行したみたいな感じになっている。

 そんな退行した脳みそでただでさえ不可能なことを実現しろという無茶振りに答えなきゃならなかった。そんなコロンに天啓をもたらしたのは一人の女の子だった。

 六歳にしては大人びた雰囲気の女の子は、何も思い浮かばなくて頭を抱えていたコロンに声をかけた。

「おにーさん、大丈夫?」

「大丈夫だよ……って、でか!?」

 その女の子が引いて歩いていたのが、黒くてでかい毛むくじゃらのぬいぐるみだった。

「あいせきよろしいですか?」

「むつかしい言葉知ってるね。どうぞ」

「ん」

 すると女の子は隣の椅子を引っ張り、よいしょよいしょとぬいぐるみを椅子に座らせた。下手な大人より上背のあるぬいぐるみの威圧感は凄まじいものだった。が、女の子はそれを意に介した様子はない。

 コロンは言葉を選びに選んだ。

「その子はえーっと……友達?」

「ううん、ドットさんはミイのペット。賢いから椅子に座れる」

「いぬさん?」

「くま」

「くま……」

 しゃんと背筋を伸ばして座るミイは落ち着いた様子で語った。

「くまは人が飼っちゃいけないんだって。きょーぼーで、逃げたらたいへんだから。たしかに、さる相手にしてやられるような人間じゃ、くまなんてどうにもできない。でもミイはペットならくまがよかった」

「どうして?」

「みんなと同じじゃないから」

 ミイは普通の女の子ではなかった。普通という枠組みの中に自分がいるのが許せない子だった。「変わった子」になりたがっている変わった子だった。

「でもやっぱりくまは飼えないって。ミイが責任を持てる年齢じゃないし、資格もないからって。だから、ドットさんを買ってもらったの。ぬいぐるみなら暴れないし、ぬいぐるみなら、くまでも普通」

「なるほど」

 俺はミイから「ドットさん」と呼ばれていた。名前の由来は知らない。そういう名前のくまのぬいぐるみだったのかもしれないし、ミイが名付けたのかもしれない。

 いずれにせよ、こんな毛むくじゃらで可愛げのないくまのぬいぐるみにすることはなかったと思う。

「ぬいぐるみでよかったの?」

「ミイはおとなだからだきょーしたの」

「へえ、すごいね」

 そこでコロンが何やら思いついた様子で、ミイに耳打ちをする。

「そのくまさん……ドットさんが動いて喋るようになったら、嬉しい?」

 ミイは無垢な目で頷いた。

「ドットさんと友達になれるならうれしい」

「じゃあ、おにーさんが魔法で動かしてあげる」

 魔法、という単語に胡散臭そうにミイの目が据わるが、「ミイは大人なので」黙って頷いた。

 コロンが思いついたのは「ぬいぐるみをペットにする」という新しい概念。ぬいぐるみが普通の動物のように動けば、ペットにできるのではないか、という試みだ。

 ぬいぐるみであることの利点はいくつかある。ミイが語ったように、通常ならペットとしては飼えないような生き物もペットにできること。そもそもがぬいぐるみなので、噛まれたり引っ掻かれたりなどの怪我がなくて済むこと。ペットにも飼い主にも病気になるリスクがなくなること。何より縫えば怪我が治ることだ。

 かくして、俺は動いて喋るぬいぐるみになった。

「ミイ?」

「ドットさん? ドットさんの声?」

「ああ。ミーヤお嬢さん」

「あはは、キザ!」

 ミイはびっくりしていたけど、喜んでいたように思う。

 ただ、世の中はそれで済ませてくれなかった。

 動くくまのぬいぐるみはそれはただの熊と変わらないだろう、となったのだ。俺がでかいのが災いした。

 ミイの親は俺を連れ帰ったミイを打った。

「こんな大きくて凶暴な生き物が、意思を持って歩くのがどんなに危険なのかお前はわかっていないのか!?」

「で、でも、ドットさんはぬいぐるみ、でっ」

「人を襲ったらどうするんだ!?」

 この段階で、ぬいぐるみから生き物に変化したものが人を襲っても、爪もなく牙もないことは世間に知れていなかった。知っているはずもない。俺が初めての個体だったのだから。

 それでも、ミイは必死にドットさんは害がないもの、と親に訴えた。親は聞く耳を持たなかった。愚かな親だったと思う。俺がお前らにどうして手を上げないと思うんだ?

 俺はミイを連れて逃げた。

 ミイの親は言うに事欠いて俺を人攫いとか言ってきたがな。ミイの安全の方が優先だろう。

「ミイ、頬は痛むか?」

「大丈夫」

「膝擦りむいてる。土からばいきんが入るといけないから洗おう」

「うん」

 近くの公園に行った。夜なので人気はない。

 水はたぶん、冷たかった。でもミイは泣かなかった。

「ドットさん」

「なんだ」

「ミイはまちがえたのかな」

 大人びたミイは不安そうだった。それはそうだろう。大人びてたって、子どもなのは変わらない。頼れるはずの大人である親に打たれるだけ打たれて、自分の友達を否定されて、自信をなくさない方が難しい。

 俺はミイの頭を撫でた。

「ミイがまちがえたんなら、仕方ないと思うな。だってミイはまだ六歳だ」

「……おとなだもん」

 ミイがぷくっと頬を膨らます。俺は苦笑いした。表情が表に現れるのかはわからなかったが。

「六歳はまだまだ間違えても大丈夫な年だ。六歳より上だって、間違えることがあるのに、そいつらは許されて、ミイは許されないのはおかしい」

「結局、ミイはまちがえたの?」

「俺は間違えてないと思う」

 俺がミイを否定したら、あと一体誰がミイに優しくできるんだ。そう思ったから、俺はミイは間違えていないと思った。そもそも、ミイが願わなければ、俺は動いて、喋っていない。それを否定してほしくなかった。

「ミイ、友達になろう」

「ドットさん?」

「友達百人いるやつも、最初から百人いるわけじゃないさ。ミイの一人目の友達、俺じゃだめか?」

 すると、ミイは目を輝かせた。

「やった! ぬいぐるみを友達という子はごまんといるでしょうけど、動いて喋るくまのぬいぐるみと友達になるのは、きっとミイがいちばんさいしょ」

「きっとそうだな」

「いちばんさいしょってとうといのよ。ドットさんも、いちばんさいしょ。人間と友達になった、いちばんさいしょの」

 ばぁん。

 馬鹿みたいな破裂音がして、ミイは頭からリボンみたいに赤いのを、流して。

「ちっ、熊の方に当たらなかった」

「待て待て待て、今撃ったの人じゃないか?」

「事故だ、仕方ないだろ」

「いやいやまずいって」

「何がまずいって?」

「ひいいいっ」

 俺が怒りの形相で馬鹿二人をつまみ上げると、馬鹿二人は情けない声を出した。

「こ、こいつ喋ったぞ!?」

「ここここの距離なら外さねえぞ」

「おま、正気か!?」

 俺はぽい、と人間を捨てた。

 頭を撃ち抜かれたミイは即死だ。俺の理解者になり得る人間はいなくなってしまった。

「あ……死んじゃったんだ」

 そこにのうのうと現れたのは、コロンだった。

「ねえ、どうしてこの子死んじゃったの?」

「狩人に頭撃たれた」

「狩人に? なんで?」

「さあ? 俺が聞きたいよ。熊でも目撃されたんじゃねえの」

 本当はこいつをぶん殴りたかったけど、それでミイが戻ってくるんなら、苦労はない。

「ところでお前は何者だ」

「あ、そういえば名乗ってなかったね。ボクは修繕の魔術師コロン。人の心を直しに来たんだ」

 よろしくね、とコロンは笑った。

 それが始まりだった。

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