第2話 PETとアレルギー
[PET]が生まれたことで得をした人間はいる。
「魔術師様!」
「やあ、カローナちゃん」
カローナと呼ばれたのは眼鏡をかけたロングヘアの女性。年はもう三十近いだろうか。
なんで俺がカローナの年齢を知っているかというと、カローナは[PET]によって最も恩恵を受けた人間の一人だからだ。彼女はそのことに感謝して、毎日毎日飽きもせず、コロンのところにお参りに来る。十年は超える付き合いになるだろう。
カローナはコロンの前にコロンの好物のメロンパンを置くと、コロンの前にかしずき、祈るように手を組む。
「ああ、偉大なる神よ、使徒として世に遣わされた賢き修繕の魔術師よ、私は今日も、あなた方に与えられた幸せを全ういたします」
アーメン、と締めくくり、カローナは深く頭を垂れる。これがカローナがいつも行う儀式だ。
何故こんな大袈裟なことをするかというと、カローナは[PET]が誕生するまで、ペットを飼うことができなかったからだ。
ペットを飼えない理由は自宅がペット禁止の賃貸とか、家族が許可してくれないとか色々あるが、カローナの抱えていた問題は、持ち家だろうが、一人暮らしだろうが、どうしようもないものだ。
「まったく、世界は残酷だよね。生粋の猫好きのカローナちゃんが猫アレルギーだなんて」
「いえいえ! 魔術師様が[PET]をもたらしてくださったおかげで、私もガーネットと暮らせるようになりましたから」
カローナは猫アレルギーなのである。結構重度の。
猫好きの友達の家に行けなくて、寂しい思いをたくさんしたという話を聞いたことがある。一度学校で猫アレルギーによる呼吸困難を引き起こし、病院沙汰になったとか。
それから学友たちは彼女に近寄ることすらなくなったのだという。寂しいどころの騒ぎではない。カローナは孤独だった。
そんなカローナの孤独を救ったのが、コロンのもたらした[PET]だ。[PET]はペットの動物としての機能を削いで、代わりにぬいぐるみであるようにしている。舐められたら唾はつくだろうが、それはただの水同然の液体だし、噛みつかれてもその牙が人を傷つけることはない。ぬいぐるみなのだから。
猫の[PET]からも猫のアレルゲンがなくなったということなのだ。だから猫アレルギーでも猫を飼えるようになった。それは喜ばしい変化だろう。
アレルギーを理由にペットを断念する人は多いのだという。自分がアレルギーならもちろん、家族がアレルギーの場合や、乳幼児がいる場合、大手を振ってペットを飼うというのは難しい。[PET]はその垣根を越えることを可能にした。
だからまあ、カローナはたいそうありがたがって、毎日コロンを拝みに来るのだ。
「ガーネットちゃんは元気?」
「それはもう元気よ。思ったよりは静かだけれど、そこも大人びていて私は好きだわ」
「そう、よかった」
コロンは微笑む。
「ずっと大切にするんだよ」
もちろん、とカローナは元気に頷いて、帰っていった。
というわけでまあ、[PET]たちは不老不死、無害な存在なのだが。
「コロン、行くのか?」
「僕が行くっていうか、ドットさんが行くんでしょ?」
「……ほっとくのも気持ち悪いからな」
本来ならあり得ない特性を得たものを悪用する存在だっている。[PET]は人を裏切らなくても、人は簡単に裏切るから。
滅多なことではコロン共々動かない広告塔のようになっている俺が、のそのそ歩いていると、周囲は物珍しそうに、あるいは奇妙なものを見るように俺たちを見た。見た目にはコロンが俺を散歩しているように見えるだろう。
とはいっても、俺はコロンに飼われていない。飼い主なんて誰もいない。その証拠に俺の首には首輪がない。
[PET]が広まっても、所有物であることを示す首輪をつける文化はなくならなかった。まあ、見た目だけじゃ同じ種と見分けがつかなくなるのもあると思うが、人にとって犬猫につける首輪はマーキングと一緒だ。所有欲を満たすし、目印にもなる。これを言うと、家族の証や友情の印をそんな表現するな、と怒られるのだが。
例えば、好きな人の学生服の第二ボタンを持っているような「その人と一緒の時間を過ごした」証が人には必要なのだ。その相手がペットでも同じということだろう。
飼い主が亡くなったとき、残された[PET]が飼い主に添えられる埋葬品はない。[PET]に気持ちとやらがあるかはともかく、人々は代わりに、側にいた証として、首輪を棺に入れてやる。[PET]の役目はそこで終わりだ。
だが、[PET]は不老不死。その命が終わることはない。
愛着が湧けば遺族が引き取ってくれたり、飼い主がきちんと終活をしていれば次の里親を募集してくれたりするのだが、全ての[PET]が都合よくそれで片付くわけではない。
人がアレルギーを持っていても動物好きであるとは限らないように。
俺が辿り着いたのは、あまり人気のない灰色の建物だ。わかる。この中には大量の[PET]がいる。
だが、この建物の持ち主が愛好家ってわけじゃない。むしろ逆だ。
「キサマらはなんで生きてるんだァ!? 何の意味があってこの世に生まれて、不老不死なんかやってる? あァん?」
若い男が一人。老婦もいるな。
「これこれ。こいつらは動物なのだから、答えられるわけがなかろう。優しくしておやり」
「バアちゃんは優しいなあ!」
「──望まれたから、そうあるだけだろうが」
俺が声を発すると、ジャリガキと婆さんは警戒の姿勢を取った。俺は塀をひょい、と飛び越え、当たり前のように扉を開ける。まあ、当然鍵はかかっていたので、力業で壊しておいた。
のそのそと現れた黒い毛むくじゃらの塊に驚くジャリガキと老婦。その周囲には大量の白い綿とぐったりした[PET]たちの姿。[PET]たちに首輪はない。
[PET]は動物より遥かに育てやすく、人に害がないため、捨てられることは減ったが、それでも飼い主を失うと路頭に迷うことは多い。きっとそういうやつらだろう。
俺の前にコロンが出る。
「修繕の魔術師、コロンです。あなた方の足元にいる[PET]たちの修繕をさせていただきたく存じます」
虐待。
これはペットに対しても以前からあった問題だ。動物保護を装い、行き場のないペットを「躾」という体で痛めつける。それは死なないペットが生まれてからも変わらなかったようだ。いや、[PET]が死ななくなったからこそ悪化したとも言えよう。
死なないことによって、命としての価値が下がったのだ。そういう動物虐待者から見れば。
[PET]はやつらにとって、いくら壊してもかまわない玩具になった。
「修繕の魔術師ィ? テメエがァ?」
「はい。何か?」
「まあまあ、魔術師様が来てくれてよかったじゃない。診てもらわなきゃいけない[PET]はたくさんいるもの」
「ふざけろ、偽善者が」
ぷっとジャリガキがコロンに唾を吐きかける。
ふぅん、そんなことするんだ。
「コロン、あいつらとじゃれてきていいか?」
「元々そのつもりだったでしょ、ドットさん」
そう、俺の目的はこういうやつらの排除だった。
人間の間でも差別とかがなくならないのに、人間と人間じゃないものの間の差別がなくなるわけもない。だから一定数、こうやって痛めつけて見下して、蔑むことを生業みたいにするやつはいなくならない。
「ジャリガキ、婆さん」
「!? 黒いもじゃもじゃが喋った!?」
「さてはて、[PET]は喋るもんだったかしらねえ?」
「俺は[PET]じゃねえし、どうでもいいだろ、そんなこと。それより俺と遊ぼうぜ」
ジャリガキがゲラゲラと下品に笑う。
「だってよォ、バアちゃんいいよなァ?」
「そうねえ。玩具もたくさん使って遊びましょうねえ」
そう言って出されたものの中には、はさみや鞭があった。鞭の先には小さな刃がついており、血の痕がついている。
確定黒じゃねえか。
「じゃあ、いっぱいいっぱい遊ぼうねえ」
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