The BEAST

九JACK

第1話 PETと修繕の魔術師

 きっかけは一人の独身女性が後追いをしたことだった。

 ペットの。


 人の心を温めるものとは何だろうか。

 家族? 友人? 恋人?

 人は人である限り、裏切り、裏切られ続ける。因果応報な話である。その無常に嘆くのもおかしな話だ。

 人が自分の心を温められるのは「確実に自分を裏切らないもの」だろう。一言で言ってしまえば、だが。裏切らないと信じているから家族や友人や恋人が拠り所になったりするのだ。

 中には他者は裏切るものだと割り切って、己の孤独を信じて貫く人間もいる。ただ、人は弱い。人を人たらしめる心があるせいで致命的に弱いのだ。

 心の強いものなんてほんの一握りで、世の中、心が強いだけで生きていけるわけではない。生きるためには人間としての体が必要で、五体満足であることが好ましい。生き上手であるための技量も必要で、体があって、心が強くても、生きることに慣れなければ、時間が進んでいないのと同じだ。

 心技体とはよく言ったものだ。その中でも先頭に立つ心が最も重要視されるのは、人間の個性だから仕方ない。

 と、話が逸れた。そんな心を大切にする人間が心を温めるものとして選んだ一つが「ペット」だ。犬や猫を始めとし、インコやハムスター、好き者なら蛇やトカゲなんかを飼う文化だ。

 動物は人間と同じ心は持たないし、話せない。ただ単純な温もりとしてそこにある。ペットとなった動物たちがどのようなことをしようと、そこに命が、温もりがあることだけは確実で、裏切られることのない事実だ。

 裏切られることがないから、人は温もりをそこに依存することにした。

 結局は物理的な温かいものがほしかったわけである。まあ、蛇やトカゲが物理的に温かいかはさておき。

 命を「ともしび」などと例える人にとっては、「生きている」という事実自体が温かいものなのだろう。

 俺にはきっと理解できんが。

「まーた、ドットさんむつかしい顔してるー」

「いて」

 俺の額をぴん、と指で弾いたのは[修繕の魔術師]と人々から呼び慕われている、人間のような見てくれをした存在、コロンだ。俺とはまあ、腐れ縁である。

 今のこの世界はコロンが築いたといっても過言ではないだろう。

「あ、コロンさまだー!」

「こら、魔術師様とお呼びなさい」

「いいですいいです、コロンって名前、可愛くて好きなので。お嬢ちゃんの[PET]はチワワのワンちゃん?」

「そうなの! ワンゴローって名前なんだ」

 チワワにしては渋い名前つけられたもんだな。

 きゃんきゃん、と女の子の腕の中で吠えるチワワはまあ小さい。三、四歳くらいの女の子が安全に抱けるようにだろう。チワワは元々小さい犬種だが。

 娘がコロンに馴れ馴れしく話しかけるのを母親はどぎまぎしながら見ている。そうだろう。彼らからしたら、コロンは長年の人間の夢を叶えてくれた神様なのだから。

 人を裏切り、裏切られることでついた傷を人の温もりで癒すことはとても難しい。そのため、人が人からの逃避行動として選んだのが人じゃないものと過ごすこと──つまりはペットを飼うことだ。

 だが、人の傷を癒すには動物の寿命は短い。人より遥かに早く死ぬ。ペットに依存して、傷口を塗りかためてきた人にとって、それは耐えがたい世界の真理だった。

 そして、ぽつりと叶わぬ願いを口にする。


「死なないペットが欲しい」


 人も動物も「生き物」という枠組みであるためには「生きる」ことの対極である「死」が常につきまとう。いつか死んでしまうからこそ、生きていることが奇跡であり、命というのは尊いものとなるのだ。

 ただ、死を伴うことによる命の尊さを理解する人間は少ない。人は誰だって死にたくないし、誰だって死なせたくない。例えば、生きるために動物の肉を食べる行いにすら嫌悪感を感じる人間も少なからずおり、嫌悪感を抱かないまでも、これから自らの糧となる動物の死に敬意を表して、狩人は黙祷をするし、食卓の前で食材となったものに敬意と感謝を込めた呪文を唱える文化もある。

 食糧にされるそれらは、感謝と畏敬を以て弔われ、人の血肉となる。ならばペットはどうだろう。

 人の心の穴、欠けた温もりを埋める存在といえば聞こえはいい。だが、「ペット」という言葉の本質は愛玩動物である。聞こえを最悪にするのならば、慰みものだ。

 死なないペットが欲しい、という言葉は「壊れない玩具が欲しい」というのとほぼ同等の意味と捉えられる。そんなの、人の勝手すぎるだろう。

 だが、人の勝手で済ませるにはペット愛好家が死にすぎた。

 そもそもこの世界の人間が疲弊してズタボロで、ペットくらいしかすがるものがなくて、それくらいに追い詰められていたのが原因だ。また、社会的にも、ペットの葬儀のために会社を休める制度まであったのが拍車をかけたのだろう。それくらい人の中にペットという存在は欠かせないものとなっていたのだ。

 不老不死の生き物を作るというのは、生命を育む上で鬼門である。子孫を残し、栄えさす必要がないからだ。不老不死なら、それをする必要がないのだから。

 不老不死の存在を作るということは命の循環、ひいては世界の循環を脅かすものとなる。

 そんな世界のシステムに大きな衝撃を与えたのが独身女性のペット後追い死だった。

 その独身女性の身の上について詳しいわけじゃないが、独身主義だったらしい。何か恋愛にトラウマがあるとか、理由はそんな感じだろう。個人のプライバシーを穿って考える趣味はない。

 そんな女性にとって、ペットは家族のような存在であり、恋人のような存在であり、伴侶のような存在であったのだろう。彼女の人生はそのペット一匹に詰め込まれていた。それならまあ、後追いも仕方ないのかもしれない。

 ただ、人が自ら死を選ぶような事象は改善しなければならない。それで、「ペットの死」が人にもたらす影響を鑑み、「死なないペットが欲しい」という人の願いを叶えようと神だか何だかが遣わしたのが、コロンというわけだ。

 コロンの魔法で世界中のペットは死なない生き物になった。動物としての性質とぬいぐるみとしての性質を併せ持つ[PET]という新たな種を生み出した。

 動物とぬいぐるみとはどういうことか、となるだろう。それがコロンがただの魔術師や魔法使いではなく[修繕の魔術師]と呼ばれる所以だ。

「ああ、修繕の魔術師様、よかった……うちのミーニャが車に轢かれてしまって」

 現れたのは四十代くらいの女性。その手の中には、皮膚ではなく布が破け、中から血一つ流さず綿のみを飛び出させている猫がいた。こうして見ると、それはぬいぐるみにしか見えない。

 コロンは痛ましげに顔を歪めると、ちょっと待ってね、と針と糸と、綿を取り出した。

 ぐちゃぐちゃになった猫のぬいぐるみを縫い直していく。足りない分の綿を詰めて、猫は見る間に猫の姿を取り戻していった。

 最後の一針を縫い終え、留めて。ぱちんと糸を切ると……なんということだろう。ぬいぐるみだった猫は毛並みがつやつやの愛らしい猫の姿になった。くりくりとした目で甘えるようになぁーん、と鳴き、飼い主の腕へ飛んでいく。

「ありがとうございます、ありがとうございます」

「うん、[PET]を大切にね」

 これが[PET]だ。どんな大怪我も、綿を詰め直して縫い直せば直る。直ればたちまちに動物の姿に戻るのだ。それが「死なない」ということ。

 [PET]を修繕する特別な力を持っているのがコロンというわけだ。何故だか普通の人間が縫い直しても、動物の姿には戻らない。コロンにしか直せないから、コロンは必要とされ、[修繕の魔術師]と呼ばれる。

 こんなへんてこな世界に俺はいる。

「ねえねえ、コロンさま。ドットさんは誰の[PET]なの?」

「僕のだよ」

「馬鹿言うな。俺は[PET]じゃねえ。お前も飼い主じゃねえし、誰も俺の飼い主にはならねえ」

「しゃべった!?」

 俺はドット。喋る動物で、ぬいぐるみだ。

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