23. ヴァン・ブレイスの爪痕 その1



「――あれ? 炎夏さん?」


「律季くん? こんな時間にどうしたの?」


 夜、ベッドに入ると同時に『魔女の夢』の中に入ると、芝生の丘が果てしなく広がる真っ暗な空間に出た。

 これまでの経験上、夢の内容はプールだのホテルだのと閉塞的なロケーションであることが多く、こんなに開放的なのは珍しい。俺が困惑しながら拳を振るえる場所を探していると、よく知った先客がいるのを見つけた。エロ可愛い巫女衣装の魔装を纏った炎夏さんだ。


「それはこっちのセリフですよ。なんで夢の中にいるんですか? いつでも闘えるようにちゃんと寝ておけって言われてるのに」


「……こんな時に落ち着いて寝てられないわよ。君だって寝付けなかったから来たんでしょ?」


 ――むんに゛ぃ……♡

 俺はしゃべりながら近づき、そのまま彼女の豊満な谷間に顔面を突っ込んだ。炎夏さんも特に突っ込むことなく、俺の頭を優しく抱きしめて、夢の中でも変わらず素晴らしいもちもち乳肉で包み込んでくれる。


「……はい。最初は早く寝る気だったんですけど、ちょっとでも強くなっておきたくて」


「仕方ないわよね。こんな時にぐっすり寝れるほど大物じゃないもの」


 彼女も不安があるからか、頭を撫でる手つきがすごく優しい。たった二つしか変わらないのにバリバリ母性を感じてしまう。

 月も雲もない真っ暗な空に、どこまでも続く緑の丘、その中に点在するおもちゃのような造りの家――子供のラクガキのような現実感のない光景を、俺は炎夏さんの谷間の中から片目で見ていた。個人的には、今まで来た夢の中でも一番不気味である。閉所よりも広々としている方が俺は苦手なのかもしれない。


「――ふぁっ♡ あんっ♡ も、もう……また急におっぱい揉んで♡ 乳揉ちちもみ技巧スキルのためだからって、調子に乗ったら怒るわよっ♡」


「ごめんなさい。でも、乳揉ちちもみ技巧スキルのためですから……」


「そ、そうねっ♡ 強くなるためなら仕方ないわよね……♡

 ――あっ♡ そこ、もっと『訓練』して……♡ 律季くんに乳首つつかれるのすきぃ……っ♡」


 こんなところで一人は恐すぎる。炎夏さんがいてくれて本当によかった――俺は彼女のおっぱいを好き勝手にいじくりながらそう思った。

 だが俺たちはいちゃつくためにわざわざ夢の中に来たのではない。炎夏さんの爆乳を二分ぐらい揉みまくり、『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』に炎の魔力を十分溜めた俺は、改めてバディと話し合った。(表情はキリッとしているのに、顔色が火照ったままなのがすごくエロい)


「で、どうするの律季くん? いつも通り魔物を狩ってく?」←三回イった


「うーん……。見たことないタイプの夢だし、いきなりそれは危ないでしょう。どんなのがいるか分かるまで様子見ですね」


「賛成。じゃ、とりあえず二人で自主練しとこうか」


「――自主練って……『乳揉ちちもみ技巧スキル』の? まだおっぱい揉まれ足りないんですか?」


「誰がそんなこと言いましたか!!」


 怒った炎夏さんの声が真っ暗な『夢』に良く通る。――あー……好き。ほんっっっと可愛いわ。今すぐチューしたい。

 これだけ不気味な場所なのに、炎夏さんとおしゃべりするだけで怖さを忘れてしまう。世界を照らす女神と言っても過言ではない。秋月先輩だって、こんな素敵な女の子と一緒に育って好きにならないわけが――


「……あ」


「……な、なによ? 言っとくけど、今の全部テレパシーで聞こえてたからね」


「炎夏さん、さっき秋月先輩に呼び出されてましたよね? 今まで聞き忘れちゃいましたけど……あれ何だったんですか?」


「……っ。そっか、まだ話してなかったね」


 突然愛情が爆発してしまったが、おかげで気になっていたことを思い出した。

 すると炎夏さんが一気に深刻な表情になる。――え、軽い気持ちで聞いたけど大丈夫かコレ? さすがにあのタイミングで別れ話を切り出したとかないよな?


「呼び出されて行ってみたら、螢視ケージあのふたりユウマとレンと一緒にいてね。明日二人で遊びに行かないかって言って来たのよ。そこまではまぁ、そんなに気にならなかったんだけど――ユウマさんが後で、『ちゃんとおめかしして来い』って、杖まで出して私に釘を刺してきたの。あのふたりが螢視ケージを使って、何か企んでいるとしか思えない」


「……? 秋月先輩を操って、炎夏さんとデートさせるのが、ユウマさんの作戦ってことですか? なにが目的でそんなことを?」


「……デートって言い方がちょっと引っかかるけど、私にもわからないわ。でも、明らかにユウマさんが螢視ケージに何か吹き込んでる感じだったの。洗脳で言わせてた可能性もあるけどね。

 ――考えてみれば、螢視ケージが私と遊びたがるなんて二年ぶりぐらいの事だもの。それをこのタイミングで言い出すなんてちょっと変でしょ」


 一から十まで謎だらけだが、ユウマさんが黒幕となれば話を断るわけにもいかないだろう。とにかくデートを受けるしかない。秋月先輩を使って何かをしようとしているなら、その『何か』を知るためにも出方を探る必要がある。


「……俺個人としては正直、炎夏さんが他の男と二人きりで遊びに行くってだけでイヤなんですけどね。断って欲しいのは山々ですけど、彼女の友人関係まで束縛する奴にはなりたくない」


「当然の権利みたいに彼氏ぶらないで。何回も言うけど、螢視ケージはそういうのじゃないんだってば。

 ――変な事言ってる暇があるなら、辺りの解析でもしててよ。この広さは炎じゃ照らしきれないわ」


「はーい」


 脳天に一撃チョップをくらわされた俺は、素直に指でキツネの窓を作り、片目をつぶって辺りを見回した。

 黒い空と緑の丘が続く光景が、親指と人差し指で囲まれたところだけ、青いワイヤーフレームでできた無機質な世界になる。360度をぐるぐる観察するが、見える範囲に魔物はいない。やはりしばらく自主練だな――と思ったその時、『窓』の中に小さな熱源が現れた。


「……炎夏さん、丘二つ向こうに反応が……。なんだか魔物っぽくない大きさというか……人っぽく見えるような」


「――人? どっち?」


「あそこです」


 風も音も一切ない世界を二人で進んでいく。急坂の丘にびっしり生えた緑色の芝生は、人が近づくとうねうねと蠢き、『創造』で作った簡単な靴が持っていかれそうなほど足に絡みついてくる。俺は彼女に三歩遅れてついていき、反応の場所まで向かった。

 いまさらだが、炎夏さんの魔装は超エロな巫女衣装の形をしていて、おっぱいにはうっすい乳暖簾を一枚かけただけでブラも何もつけていない。後ろからついていく俺は、炎夏さんの爆乳が背中から左右に張り出して、歩く震動で「どっゆん♡ どっゆん♡」と揺れまくる様をどうしても見せつけられる状態だ。近くにいるだけでむやみに男の性欲をかきたてる彼女のワガママボディに、下半身がムカムカしていく。さっきおっぱいを揉んだばかりなのに、また揉みくちゃにしてやりたくて仕方がない。


「うぅ゛ぅぅ……♥ ふぅ~~~~~っ……♥」


「……言っとくけど、いま襲ったらホントに怒るからね?」


「わかってます。わかってなきゃ最初から我慢なんかしてません。

 俺もがんばって耐えるんで、とりあえずおっぱいの揺れだけ止めてもらえないですか? ――こう、胸を抱きしめるような感じで」


「え……? こ、こんな感じ? こうやって歩けばいいの……?」(むぎゅ……っ♡)


「――すみません、やっぱダメです。手ブラみたいになっちゃってて余計にエロいです」


 二人でアホ話をしつつ進んでいく。炎夏さんは鼻息を荒げる俺に危機感を持ってか、そのまま巨大なおっぱいをクロスさせた腕で抑えていた。その状態で右手には『鉾矢』を握っているので、なんだか女神像みたいな神々しいポーズになっている。エロ美しい。

 やがて解析クリアボヤンスで視た場所に着いた。下り坂の一番下、石畳でできた曲がりくねった歩道――そこに人が転がっていた。こっちに背を向けて横に倒れており、ピクリとも動かない。


「……死んでるんじゃないわよね? ……というか、そもそも……」


「あのー、すみません! 大丈夫ですかー!? 魔法使いをやってる者なんですけどー!」


 倒れている人は、俺の呼びかけにも一切反応しない。年齢は俺と同年代ぐらいの少年だ。服装は普通のシャツとズボンだが、肌が白く髪色が鮮やかなブラウンで、外人のように見える。

 いまだ周囲に魔物の気配はないので、俺は安心して大股で歩いていくが――突然炎夏さんが焦った叫びをあげた。

 

「――!! 律季くんストップ! そいつ、もしかして――!」



 ――『満月の夜』以外、一般人が夢の中に迷い込むことはない。誰かがここにいるのは明らかに異常。――炎夏さんはそれに気づき、俺に警告を発したのだ。

 だがもちろん俺もそのことには気づいている。横に倒れた少年に向かって、迷わず拳を振りかぶった。すると彼の手元で何かが光って、魔力の気配が急激に膨れ上がる。――やはり、「普通の人間」ではなかった。

 振り抜いた『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』の一撃と、三条の光の斬撃が交差する。とっさに首を右に倒した瞬間、俺の頬をその光がかすめ、跡に鋭い痛みを残した。ドゴンと破砕音が木霊するが、拳がとらえたのは彼が倒れていた石畳のみ。つい一瞬前まで寝そべっていた『敵』は、すでに坂の上に立ち、空を背にしてニヤリと笑みを浮かべていた。


「あーあ……バレちまったか。ま、ミカガミリツキの方は最初から殺す気ないけどね」


「……なんだって?」


 俺の方『は』殺す気がない。彼はそう言った。つまり、もし最初に自分に近寄って来たのが俺ではなく炎夏さんだった場合、さっきのような不意打ち攻撃で容赦なく殺していた――ということだ。

「律季くん大丈夫!?」と炎夏さんは慌ててくれるが、今の言葉に比べれば、こんなかすり傷気にもならない。俺は坂の上に立った少年から一切視線を離さず後ずさりし、炎夏さんの正面でファイティングポーズをとった。


「僕が動くより前に、躊躇なく攻撃してきたな。……なぜ分かった?」


「満月でもないのに夢の中に人がいる段階でもう不自然だが――それだけならいきなりぶん殴ったりはしなかった。万が一だが、ホントに一般人の可能性もあるからな。

 決定的だったのは、あんたの靴下に、その辺に生えてる草がからみついていたことだ。自分で少しうろついてからわざわざ寝たふりをしたことになる。そんなことをする理由、俺たちを襲うため以外にないだろ?」


「――人間に擬態した魔物だと、最初は思ったわ。でも、どうやらもっと悪いみたいね……!」


「ああ、正解だ」


 茶髪の少年を闇が取り巻き、服装を変化させる。黒と黄色のツートンカラーという、警戒色そのまんまな色合いをした、プロテクターつきの戦闘スーツだ。

 右手には光の爪を生やした手甲鉤を嵌め、左目はその爪と同じ黄金色に輝いていた。

 

魔装形成フォーミングアーム! やっぱり教国の魔法使い……!)


「――ひょっとして……あなたが悪の爪マーレブランケ?」


「まさか! ……だが、コウノセユウマやアサギリレンとも少しデキが違うぜ。

 僕の名はヴァン・ブレイス。聖女シーラ様による正式な教会騎士チャーチナイトの叙を受けた、真の教国兵士だ」


「このタイミングで来たのはどういうわけだ? 教国はしばらくおとなしくしておいて、総攻撃をかけてくると予想してたんだがな。それともあんたのバディと一緒に、他の仲間もどこかに隠れているのか?」 


「いや、そもそも僕にバディはいない。お前たちと戦いに来たのも、僕自身の独断さ。

 僕がこうしてお前らと戦いに来ている事は、コウノセユウマはもちろん、第九席ナインス第十席テンスにも伝えていない」


「……なんですって?」


「……どうだかな。そんなことしても、あんたに何の得もないだろ? あとちょっとで戦いが始まるのに、今わざわざ単独で来る理由がどこにある」


 ヴァン・ブレイスと名乗った少年は、かなりこちらを舐めた態度でいる。俺たちはそれを利用し、問答をするふりをして時間を引き伸ばしつつ、身体強化スフォルツァートを掛けまくって力をためていた。


「問題はまさにそれさ。悪の爪マーレブランケのお二人が来ている以上、お前らに勝ちの目はない。三日後……いや、あと二日後の戦いでお前たちは倒されるだろう。

 だけど、それだけじゃ僕が来た意味がないだろ? 貴重な時間を使って、わざわざ観光をしに来たわけじゃない。あの二人に何もかも攫われる前に、僕一人だけの手柄が必要なんだ。――だから僕は、テンドウホノカを殺しに来たのさ」


「――なんだと? 命令は生け捕りじゃなかったのか!? ユウマさんはそう言ってたじゃないか!」


「教国が欲しいのは、ミカガミリツキが持つ『属性無視』というファクターだけだ。テンドウホノカの方は別に死んでも構わない。ユウマがそんな風に解釈したのは、単にお前らを殺したくなかった言い訳だろうよ。

 ――だが僕はあんな弱虫じゃない。見つけた獲物は狩らせてもらう!」


「――やってみなさいッ!!」


 炎夏さんが気合と共に『鉾矢』を振り上げ、火焔が正面にほとばしった。守る人々がいないため、今回は手加減なしの最大火力だ。炎の波が丘を登り、進行方向の植物が一瞬にして炭に変わるが、すでにそこにはヴァンはいない。

 

「相手の能力も知らないで先制攻撃とは、ずいぶん自信があるようだな!」


「『穢祓けがれはらい鉾矢ほこや』!!」


「『ラプトルクロー』ッ!!」


 星のない暗闇の空に三つの光が軌跡を描いていた。飛び上がって炎を躱したらしいヴァンが、真上から炎夏さんに斬りかかる。手甲から生えた光の爪と、高熱の『鉾矢』の刃が切り結び、溶接のように火花を散らした。

 危なかったが、今のタイミングなら敵の動きが封じられている。俺は炎夏さんとつばぜり合いをするヴァンの背後に回り込んで、頭めがけて殴りかかった。


創造クリエイション!」


「くっ……!?」


 防がれた。ヴァンが片手に小さなシールドを生み出し、手甲鉤を『鉾矢』から離さないまま、半身になって俺の拳を受け流したのだ。

 ――見切られた。二人がかりで、しかも俺は後ろから攻めたのに――


「動きはちょっと硬いが……なかなか悪くねえコンビネーションだ」


「そりゃそうさ。マンツーマンでいっぱい練習したからな」


「弱者の工夫か、くだらない!」


 膠着状態に陥ったヴァンは、これ以上粘っても無駄だと見たか、力任せに俺たちの武器をふりほどいた。

 再び逃げ出すが今度は俺たちも見逃さない。全速力で追跡する。


「あなたこそ何よ! いくら才能があるか知らないけど、一人で勝てるつもり!?」


「ああそうさ! 本当の強者にはバディなど必要ない! シーラ様やカイン様がそうであるようにな!

 バディシステムに囚われない者だけが真の超人になりえるッ!  僕は自分が一人であることを、福音のように思っているよ! お前らのような、凡人にも天才にもなりきれない半端者とは違うのさ!!」


「抜かせ、このボッチ野郎!」


「……!!」


 売り言葉に買い言葉だったが、俺の悪口にヴァンはカチンときたようだ。『……えっ、気にしてたの?』と炎夏さんがびっくりするのがテレパシーで聞こえた。

 あからさまに眉にしわを寄せた彼が、逃げながら虚空に向かって爪を振る。するとそこに光る爪痕が残って、追いかける俺たちを遮った。

 

 ――これは、まさか!?

 危険信号が点滅するが、もうブレーキは効かない。俺は咄嗟に硬化した腕で顔を守った。空中の爪痕に触れた瞬間、爆熱が生じて俺を吹き飛ばす。


「……!!」(ば、爆発!?)


「『スカートラップ』だ……掛かったな」


 うっかりした――ただ斬撃を残すだけの技かと思いきや、触れたら爆発する罠になっていたとは。

 しかも切られた痛みもちゃんとある。つまり斬撃+爆発の二段構えの仕掛けだ。『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』は、俺の腕を包丁の刃を通さないぐらいまで硬化させるが、それを貫通するほどの切れ味も兼ね備えている。

 これはまずい――ただでさえ速いのに、逃げながらこれをばらまかれたら追跡なんかできない……! 


「律季くんっ!!」


「そういうところが凡人なんだ! よそ見するんじゃねぇ!」


「く――があっ!?」


 炎夏さんが気を取られた隙に、ヴァンがすかさず杖を取り出して、念力サイコキネシスを叩き込んだ。

 ソニックウェーブが空気をつんざき、炎夏さんが大きく後ろに飛ばされる。――とてつもない出力だ。俺たちはバディそろって膝をつき、誇らしげに爪を捧げ持つヴァンを睨みつけた。


((――強い!!))


「ほう……その目はまだ諦めてねえ目だな。だが、往生際の悪さだけでなんとかできるのはユウマまでだ。

 お前らはここで終わる。ホノカは僕に殺され、リツキはあの方たちマーレブランケに連れ去られるのさ」


「……ふん、冗談じゃないわよ」


「同感です」


 黄金に光るヴァンの左の瞳が、炎と虹を映している。俺たちの左目に灯る闘志の象徴を。炎夏さんは『鉾矢』を杖替わりに立ち直り、俺も火傷に垂れる血を払いながら腰を上げた。


「無理しない方がいいぞ。防いではいたがそれなりの火傷のはずだ。お前に死なれると僕も困る」


「……こっちは炎夏さんに毎日おしおきされてんだ。火傷ぐらい慣れっこだよ。

 せっかく言質――いや、約束したんだ。炎夏さんにキスしてもらって、先生にパンツ見せてもらうって! こんなところでコケてたまるかよ……!!」

 

「――なに……?」


「ち、ちょっと、律季くんっ!」


 炎夏さんとヴァンの血相が同時に変わった。炎夏さんは『なんで言っちゃうのよ!』という可愛い怒りだが、ヴァンの方はもっと深刻だ。見下げ果てた奴だと相手を軽蔑する怒り。


「バカにしやがって――お前は、そんなくだらない動機のために戦っているっていうのか!

 悪の爪マーレブランケに狙われても諦めないのは、どんな信念かと興味があったが……ガッカリだな」


「言われちゃってるわよ律季くん。……というかきみ、今『言質とった』って言いかけたわね?」


「なんのことでしょうか」


 言いがかりをつけるとおっぱい揉みますよ? と手をわきわきさせると、炎夏さんは俺の頭にげんこつを落とした。そんな俺たちを見てヴァンは怒りに震える。


「……お前らみたいなアホ者が、『属性無視』の因子を持っているなんて……魔法使いすべてを侮辱された気分だ。せいぜいモルモットとして世の中の役に立つがいい」


「――律季くんっ!」


「うわっ!?」


「『クロウ・クロスボウ』!」


 ヴァンが『爪』のついた右手に左手を添えた瞬間、手元で光が拡大した。俺の足が地面から浮き上がり、視界が真っ黒になる。炎夏さんが俺を抱き、光る爪を短い矢に変えてボウガンのごとく乱射する攻撃から、跳んで逃れたのだ。


「――ッ!!」


「く……!!」


 身長差もあっておっぱいが俺の顔面に押し付けられるが、そのことは俺の意識の外。

 俺をかばった炎夏さんの背中には光の矢が十数本も突き刺さり、痛々しい傷口から流れた血が下敷きになった俺にかかっていた。一瞬にして服が重くなるほどの出血量で、温かさまではっきりわかる。

 自分を守ったせいで、彼女が――絶句する俺の耳に、ヴァンの哄笑が食い込んだ。


「ハハハ……これはいい! もとより僕のターゲットはホノカだ。バディをかばったつもりだろうが、かえって手間が省けたぞ!」


 腹の底か、脳の奥で、カチリという音が響いた。歯車がかみ合ったような、回路がつながったような、何かが『切り替わる』時の音。

生命力の鉄拳リビドー・ナックル』が炎をまとうとともに、血管に冷えた血が流れ始める。


「あいつ今、笑ったか。女の子を傷つけて笑ったのか……。炎夏さん、傷はまずそうですか?」


「……へ、平気よ。すごく痛いけど、内臓には刺さってないみたい……。夢の中でそういうのがあるのかも分からないけどね」


 痛いなら全く平気ではないだろう、と思ったが、今そんなことをしゃべっている余裕はない。

 俺は片膝をついた炎夏さんの前に出て、身体強化スフォルツァートをありったけかけた。握りこんだ指の間から炎がほとばしる。


「本気らしいな、ヴァン・ブレイス。だったら――殺させてもらうぞ」


「……殺させてもらう、だと? ふん、えせ魔法使いが何を――」


 ヴァンは次の言葉を継げなかった。気づいた時には首に――頸動脈の位置に、軽いやけどを伴う裂傷が走っていたからだ。

 驚愕して出血に手をあてた瞬間、俺が背後から飛びかかって、第二撃を加える。


「な――」


「しィッ!!」


 背骨めがけて振り抜いた貫手は、ギリギリで振り向いたヴァンの爪にガードされた。

 魔力で黒く染まって硬化し、さらに『堅』をかさねがけした俺の手は、光の刃の切れ味に負けることがない。『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』と『ラプトルクロー』がしのぎを削り、金色の眼光と虹色の眼光が交わった。


「……一発目は頸動脈、二発目は頸椎――勘でかわさなかったら、確実に死んでいた……!

 正気なのか、リツキ・ミカガミ! たかが学生の分際で、この僕を殺そうというのか!?」


「あんたは炎夏さんを傷つけた。俺にとってはそれだけであんたを殺す理由になる。

 それに悪の爪マーレブランケの二人は、ユウマさんたちと一緒に総攻撃をかけるんだろ? あんたはその戦力の一人のはずだ。

 だが、今なら夢の中で二対一だ。勝てば決戦の敵が一人減る……。考えてみりゃ、のこのこあんたが一人でやってきたことは、俺たちにとって大チャンスでしかねぇ」


「――! く、くそっ……!」


 ヴァンは爪を力任せに振り舞わし、俺の拳を退けた。体勢を立て直すつもりだろうが、及び腰になっているのが表情からもわかる。

 ――殺れる。機関に入った時から予感していた、『自分が人を殺すいつか』が来たようだ。


「ふざけるな……! 僕ら教国の騎士とお前らは違う……!

 覚悟もない奴らのくせに! お前らにそんなこと、できちゃいけないんだっ!!」


「あんたらの言う覚悟ってのは、『簡単に人を傷つける』って意味だろ?

 『どうやら俺は、いまから人を殺すらしい』……そう考えると嫌な気分になるだけ、あんたらよりは上等だろう。残酷さしか取り柄がない奴らよりはな」


「っ、あああああ……ッ!! 『クロウ・クロス――」


『――律季くん! 止まってて!』


 頭に血が上り切ったヴァンが、思い切り跳躍して、拳の届かない高さから爪の乱射を放とうとした。

 だがそれは、体の自由のきかない空中に、自ら飛び込むことを意味する。テレパシーに従って地上にとどまった俺は、ヴァンの眼下で『鉾矢』を構える炎夏さんの姿を見た。

 ――そう、ここにいる機関の戦士は、俺だけではないのだ。


「やはり、一人で来たのは失敗だったな……ヴァン」


「あんたがどれだけの天才か知らないけど……魔法使いの大原則は、二人一組の戦いよ!

 才能にかまけて基本をおろそかにしていたら、真の成長はありえないわ!」


(ホノカ!? いつのまに回復を――さっきと同じ構え! 体勢がすでに――まずい避けられない!!)


「『裂空紅炎波れっくうこうえんは』!!」


 刃を地面に突き刺して溜めた炎のエネルギーが、『鉾矢』を振り上げた瞬間、一気に空へ解放される。

 ――クリーンヒット。竜が飛翔するような爆炎の軌跡がヴァンを完璧に捉え、地に叩き落とした。「――こんな、まさか……」という呟きを、俺は聞いたように思った。







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