Girl Meets Boy その4


 試合当日、真序高校男子バスケ部のメンバーは、早朝の六時に学校の駐車場に集合していた。

 彼らのそばには既に送迎バスが停まっており、出発を待っている。天気は晴れ、鱗雲が色づいており、試合前の空気感を爽やかに演出していた。彼らの表情は適度な緊張で引き締まり、コンディションも良好である。


「――あっ。おはよ、螢視ケージ


「――あ、うん……おはよう」


 部員たちから一歩離れた位置で手帳の日程を確認していた炎夏マネージャーは、遠まきに視線を送っていた螢視を見つけて手を振った。

 もちろん彼は部員ではないので、炎夏を見送りに来てくれたに違いないが、なにやら態度が若干ぎこちない。自分から来たくせに、声をかけられて軽く動揺している風だった。


「えっと……体調とか大丈夫か? 最近忙しかっただろ」


「ちゃんと寝たから心配ないよ。別に選手でもないしね。螢視ケージこそ昨日もバイトあったでしょ? わざわざ早起きして見送りしてくれなくていいのに」


「え……め、迷惑だったか?」


「は? いやいや、そんなこと言ってないでしょ」


 試合に出るわけでもない螢視が、なにやら炎夏たちよりナーバスになっている。炎夏は大げさに手を横に振って否定するが、困惑を隠せなかった。

 下級生の何名かが、螢視を見つけて会釈している。炎夏ほどではないが、彼もそれなりの有名人だ。校内トップの学力もさることながら、家庭教師のバイトをやっている関係で顔見知りが多いのである。特に一年の選手である荒川などは、弟とそろって螢視の世話になっているので、彼に頭が上がらない。


「天道、そろそろ行くぞー」


「あ、はーい。じゃあ、行くね。勝ったら一番に報告するわ」


「ああ、いってらっしゃい。その……がんばってな」

 

「うん。がんばってくる」


 螢視に背を向けながら、炎夏はさりげなく周囲を見回している。あの男がまだ来ていないからだ――螢視にはそれがわかった。

 表の理由は転落事故で怪我をしたため、実際には魔法使いの戦闘で負傷したために、試合に出られなくなってしまった一年のエース、水鏡律季だ。「あいつ来ないのかな?」などと噂話をしている間に、部員全員がバスに乗り込んだ。螢視の他、数人の見送りを受けながら、会場に向けて発進する。


「はぁ、はぁ……やべえ、寝坊したッ!」


「ん?」


 その場にいた全員が振り向いた。パジャマ姿で寝癖も梳かしていない律季が全力疾走してきて、螢視の隣に合流する。

 自宅から徒歩30分の距離を、寝起きの状態で駆け抜けた律季は、膝に手をついて荒い息を吐いた。疲労と眠気で片目が閉じかけている有様だった。


「はっ、はっ……おはようございます文月先輩! あの、バスって……?」


「もう出たぞ。ほら、あれ」


「ぎゃーッ!?」


 どんどん遠ざかっていくバスの後ろ姿に、律季は大いに慌てた。

 怪我とは言え、自分の都合で試合に出られなくなったというのに、試合当日に見送りにも来ないとあっては、怒られるまではいかなくとも先輩方の心象は良くないだろう。


「じ――『迅』ッ!」


「はっ!?」


 律季が取れる手はもはや一つだった。魔力を用いての急加速が、戦闘機のカタパルトのごとく律季をぶっ飛ばす。螢視はともかく他の者は完全に一般人なので、土埃を残してみるみるバスに追い付く律季の姿に呆然とするばかりだった。


「――うええっ!? 水鏡くんっ!?」


「はぁ、はぁ……!」


 車内でいの一番に気づいたのは、たまたま窓際に座っていた炎夏だった。にわかに色めき立つ部員たちの視線の先で、律季は並走しながらタオルを両手で掲げる。そこには『必勝!』のメッセージが布地いっぱいに書かれていた。


「みんな、がんばれ――ッ!」


「――って、上京列車か!」


「てかあいつ、ケガのせいで試合に出れなかったんじゃないのか……?」


「別にいいじゃん。あいつらしくて」


 炎夏のツッコミが冴えわたる。

 顔は横を向き、両手を真上に掲げて走るという、かなり無茶なフォームの走りでバスに追随している律季だが、それ自体はそれほど不思議に思われていない。律季はそういう男だと全員が分かっているのだ。言い換えれば、ギャグ漫画の周波数で生きている人間だと思われている。


「――あっ」


 そして当然の帰結のように――つるっ、と靴がアスファルトを滑った。

 両手はタオルを掲げているので受け身を取ることも出来ない。律季は乗客全員が見ている前で、頭から派手に転倒する。


「ぎゃーいてェーッ」


「「「律季ィーッ!」」」


 仲間たちの叫びが尾を引き、バスが朝日に向けてみるみる遠ざかった――かと思いきや、そんなに離れないうちに交差点の赤信号で止まった。

 車内で「……し、死んだんじゃないか?」と誰かがもらしたのを聞きつけ、炎夏は窓から軽く顔を出す。歩道に転倒した律季の姿が小さく見えた。


「みんな……俺の分まで……炎夏さん、愛してます……ガク」


「水鏡く――――んッ!」


 震える手でサムズアップしながら路面に突っ伏す律季。炎夏は涙ながらに手を差し伸べるが、無情にもバスが再発進してしまい、後方に彼の姿は消えてしまった。


「……彼の死は決して無駄にしないわ。絶対優勝するわよみんな!」


「「「おーっ!」」」


 朝っぱらからノリのいい部員たちである。なんというか、律季の仲間というだけあってか、様式美というものを知っていた。

 かくして律季は、己の命と、これからの授業を受ける分の体力と引き換えに、仲間たちの緊張をほぐすことに成功したのだった。

 





「やっぱりあいつは、俺とは違うよな」





 ――そして、一部始終を見届けていた螢視は、うつむきながらそう独り言ちた。















「なーなー、ユウマ、お前いつも何描いてんだ?」


「――へっ?」


 螢視が何気なく問いかけてみると、ユウマは弾かれるようにけっこうな角度で振り向いた。彼女の手元にあるノートは、明らかに文字よりも絵が大きな面積を占めている。

 困惑しているような、焦っているような……適切な形容詞が見つからないが、とにかく、そんな表情をユウマは浮かべていた。なぜだろうか――、螢視はユウマのこういう顔を始めて見たような気がした。


「あーいや、別になんでもないよ。ただの暇つぶしだから」


 と言いながら、ユウマはこそこそとノートの紙面を教科書で隠してしまう。隣のレンは、なにやら若干目つき鋭く、螢視の様子を窺っていた。 

 そこから先に足を踏み入れたら殺す――国境を警備する兵士のような目。レンは基本的に自己主張しないが、それは逆に言えば本体マスターたるユウマの意思に常に従い、必要なら法を犯す覚悟をも決めているということなのだ。


「ホントか? たまに授業より集中して描いてることあるけど……しかもノートいっぱいに」


「え!? なんでそんなことわかるの!?」


「ほとんど四六時中やってれば意識しなくても見えるよ。先生に当てられそうでこっちがハラハラする。なんかコマ割り? っぽいのあるし、って思ったんだが……違うか?」


「……あー、えーと、その……ち、違わないです。

 ――も、もしよかったら……見る?」


「!」


 ――認識阻害・音響分断・視覚欺瞞を同時展開。


 たった今クラス中にかかった暗示により、三人の存在が他の者の認識から完全に切り離された。ユウマにとってノートの内容は、螢視以外の誰にも見せたくないものである。彼ひとりに見せることすらも、ユウマにとってはせいいっぱいの勇気だった。


 そして螢視の出方によっては、白昼堂々、この教室で殺人が起こることもありうる。

 『教国』のエージェントが『殺し』を控えるのは、あくまでにすぎないのだ。後先考えず龍の逆鱗に触れるような愚か者は、龍にしてみれば殺されて当前である。


「ぜ、絶対笑わないって約束してよ……? 笑ったら、文月くんでも……」


「笑わねぇよ、物騒だな。でもそんだけ予防線張るってことは……ひょっとしてエロいやつとか?」


「バカかお前。だったらこんなとこで作業するか」


 螢視は机の上からユウマのノートを取り上げ、こともなげにぱらぱらとめくる。

 ユウマは軽く顔を紅潮させ、柄にもなく息を飲んでいた。レンは緊張した様子の相棒に向け、小声でささやく。


(おい、本当にいいのか? 俺は構わないが……)


 ちらりとレンの方を見たきり、ユウマは反応を返さなかった。目を泳がせて唇を細かく震わせてはいるのだが、言葉が出ないようだ。明らかにいっぱいいっぱいである。

 そんな彼女の様子に目もくれず、螢視は無言でページを追っている。査読される感覚に耐えかね、ユウマがノートに手をかけた。


「そ、そんなじっと見なくていいよ。漫画っていっても、暇つぶしで描いてるラクガキだし……」


「いやいや、そんな謙遜すんなって……おい、取んなよ。まだ見てるじゃん」


「あっ……!」


 遠慮がちに引き戻そうとしたノートを取り返され、ユウマは行き場のなくなった手を空中に浮かせた。

 そこに描かれていたのは、一見すれば確かに簡素な絵だが、ある程度漫画をかじった者であれば、それがラクガキではないとすぐに気づける。

 なにしろ『第三話』と題されたストーリーが20ページにわたって展開され、ページ番号までしっかり振られているのだ。コマ割りも斜線やアップを多用した凝った作りになっており、欄外には修正箇所のメモ書きが実に細かく記してある。


……か。思いっきりダークファンタジーだな。ユウマのキャラからすると意外だ」


「で、でしょ? ボクみたいなのがこんなの描いてたら引くよね? だ、だから、そろそろ返して……」


「別に引かねぇよ。――てか、軽い気持ちで見ちゃったけど、けっこう面白いじゃん。ま、っぽいし、まだ見せたくない気持ちも分かるけど」


「――!! な、なんでそんなことまで……?」


「なんでもなにも、見りゃわかるよ。構成の段階でえらく手が込んでるからな。これ、もしかしてどこかに応募するやつか?」


「い、いや、そういうわけでもない。いつかそうするつもりだが、まだ習作の段階で……」


「ちょっと!?」


 とっさに答えたのはレンだった。ユウマがばびっと横を向いてレンの手を掴む。その反応が意味することは一つだ。


「なるほど――合作か」


「「あ……! い、いやぁ……そんなことは……」」


 レンすらもユウマと一緒になってとぼけている。両手を後ろで組む動作、視線をそらす方向も完全に一致していた。

 知り合いの意外な一面に。螢視の目がキラキラと輝いている。


「へぇー、お前らってそうだったんだ。こんな近くに漫画家の卵がいたなんて、全然知らなかったなぁ」


「い、いやぁー……そんな、プロ目指すほどでもないっていうか……」


「いやいや、全然目指せるってこれなら。――なぁ、他に描いてるやつとかないのか? ペン入れしたやつとかも読んでみたいんだけど」


「あ、ああ、家になら一応あるぞ。……見に来るか?」


「いいのかっ!?」


「……いいよ。フィードバックも欲しいし、キミがボクらの『読者』になってくれるなら……助かる嬉しいし」


 ユウマの顔からは、いつも張り付いている笑みが消えている。不快感ではなく、戸惑いからだ。目をそらし、白い肌を首筋まで紅潮させた姿は、愛想のよい外面ではない彼女の地金だった。

 潜入中のエージェントとして、いずれ別れる関係性でしかない相手、しかもターゲットの親友に入れ込んでしまうことは、あまり喜ばしい事とは言えないはずなのだが……。


「あのー、文月先輩いますかー?」


「――っ!」(律季……)


「――おー、水鏡くんではないか」


 その声を聞いた瞬間、螢視の表情がぴくりとこわばる。現れたのは、今螢視にとってあまり会いたくない人物だった。

 数回のまばたきをマインドセットの儀式として、ユウマは通常通りの明るい態度に戻った。レンもプロとして瞬時に切り替え、仏頂面で相対する。

 三年生の教室にひとり現れた水鏡律季は、若干奇異の目線を向けられていた。認識阻害の魔法は既に解除されているが、今朝のちょっとした騒ぎの影響もあるかもしれない。


「昼飯ご一緒したいなーと思って来たんですけど、大丈夫ですかね?」


「はぁ……? わざわざ俺の所にか? お前ならいくらでも友達いるだろ」

 

「えーっと……今日はたまたま、文月先輩とお話したい気分というか……。ダメですかね?」


 珍しく歯切れが悪い律季に、螢視は首を傾げた。まぁ全くの嘘ではないだろうが、なにか裏があるような気がしてならないのである。

 それに、今の螢視は正直、だ。こんな時に彼と顔を合わせれば、何を言ってしまうか自分でも分からなかった。

 

「ちょっと大事な話をしてるところだ。悪いが、出直してくれないか」


「……っ、朝霧先輩……」


 レンの言葉を、螢視は助け舟だと受け取った。同意を表すように螢視もうなずくと、律季はしぶしぶ引き下がり、何度か振り返りながら教室から出て行った。

 彼の様子は明らかに異質だったが、ユウマが暗示をかけずとも、螢視はそのことに気づける状態ではない。先刻までの生き生きした態度が嘘のように、彼は重く沈黙してしまった。


「もしかして、水鏡くんとなにかあった? そういえば、今朝からずーっとため息ついてたよね」


「え? そ、そうか?」


「自覚なかったのかよ。こっちからすると、アピールしてんじゃないかってぐらい露骨だったぞ。天道がいなくて寂しいのかと思ってたが」


「……」


 螢視は肯定も否定もしなかった。寂しいというのも間違いではない。

 だがそれ以上に、最近起こった『ある出来事』が、彼のメンタルを落ち込ませていた。授業はちゃんと受けているものの、ここ数日は自主学習がろくに手につかないほどだ。


「そうだねぇ……じゃあ、今日の帰りにでもボクの家においでよ」


「ユウマの家?」


「漫画見せてあげるから、水鏡くんとか炎夏ちゃんと何があったか聞かせて。場合によっては、ボクがを伝授してしんぜよう」


 ――そういえば、ユウマやレンの家には行ったことがない……。螢視はふとそう思った。

 彼ら二人は、そんなに友人が多いわけでもない螢視が親友と呼べる数少ない相手だ。しかし学校以外で会った記憶はなく、二人が漫画を描いていたことも今日まで知らなかった。


「さ、とりあえずご飯行こうよ。水鏡くんには会いたくないみたいだし、今日は学食で食べよっか」


「あ、ああ、そうだな」


 ――そして、そんな違和感を覚えるたびに、ユウマの声が思考をかき消してしまうのだ。

 「」。彼女と会う時、螢視は、なぜだかいつもそう言われているような気持ちがするのだ。

 

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