神瀬ユウマと文月螢視 その3


 螢視の悩みを説明するためには、二週間ほど前に時を遡る必要がある。

 事の発端は『満月の夜』が明けた早朝。例の『夢』の中から炎夏が生還したことを確かめるため、天道家に寄った時のことだ。


「――なにしてんの? お前ら……」


「「ぎゃ―――――ッ!!!???」」


 炎夏の部屋にはパジャマ姿の先客りつきがいて、しかも部屋の主とキスする寸前の体勢だったのである。

 だがその時はそれほどショックは受けなかった。ドアを開けた次の瞬間に、あまりにも予想外の光景が飛び込んできて驚きが先行したのもあるが、それ以上に『夢』の中で何が起こったかの方が重要だったからだ。


 なにしろ炎夏と律季との間には、衝撃的な『おっぱい揉ませろ』事件が起こったばかりだ。しかも炎夏は、今までいろんな男から何百回も告白を受けて、そのすべてを断ってきたほどに難攻不落である。

 どう考えても本気でキスまでいくわけがない。どうやったら、たった一夜の間にそこまで関係性が変化するというのか。螢視はそう自分を納得させたが――




「水鏡くんは多分、私の『附属物バディ』になったんだと思うわ」




「――え……っ?」


 炎夏がそう言った瞬間に、全身の血が凍りついた。 

 律季とのキスシーンを見た時は確かに驚いた。――逆に言えば、単に驚いただけだった。だというのに、炎夏に『附属物バディ』が現れた事実は、視野が暗く狭窄するほどのショックを伴った。


 ――?  自分は何が嫌なのだ?

 螢視自身、己の不可解な心の動きに困惑していたが――彼の中で、その正体不明の恐怖感がいよいよ具体的になったのは、その数日後のことだった。


「――水鏡くん! しっかりして……今、救急車を呼んだからね!」


 律季がに遭い、学校中が騒然とした時。炎夏は意識を失った彼をベンチの上に寝かせ、救急車が来るまで寄り添っていた。螢視は誰より近い場所にいたし、事情を知っている故、なんとなく何が起こったのか察していたが――それでも見ていることしかできなかった。

 心が離れる、というには語弊があるだろう。ただあの事件を境に、炎夏と律季は以前までとは全く違う関係に進んだ気がするのだ。――たとえば、危険も恐怖もすべて共有するパートナーのような。


「あのね、螢視ケージ。今日からはもう、私の戦いに関わるのはやめて欲しいの」


 それでも律季が退院してから何日かすれば、何事もなかったかのように日常が戻った。螢視はそう思っていた。

 しかし、学校からの帰り道。いつものように炎夏と一緒に歩いていたら、突然そう切り出されたのだ。言葉は明確なはずなのに、その意味が一切飲み込めず、螢視は周囲の時間が止まったような気分だった。

 ――なぜ? どうして? 頭が真っ白になり、それしか口にできなかった。


「私は今、『敵』にマークされてるの。詳しいことは言えないんだけど、私と一緒に居るだけで螢視ケージにも累が及びかねない状態になってる。それこそ魔法について話すだけでも、あなたに危害が及ぶことになるかもしれない。使人をこれ以上巻き込むわけにはいかないわ」


「い、今更何言ってんだよ。そんな事気にしないでいいよ! だって今まではずっと……」


「……今まで螢視ケージに頼れてたのは、夢の中だけで問題が完結してたからよ。まぁ、本来魔法使い以外が知っちゃいけないことを教えちゃってたわけだから、あれだってあんまり良くないことだったんだけどね。

 でもこれからはそれじゃ済まないし、螢視ケージだって受験勉強があるでしょ? もともとこれは私だけの問題なんだし、螢視ケージにこれ以上だらだら甘えるのも申し訳ないもの」


 ――違う、違う。

 炎夏は夢の中で戦い、血を流し、たった一人で町の人々の命を守っていた。自分がやったことは、ただ早起きして炎夏の家に通ったり、彼女の話を聞いたりしていただけにすぎない。彼女に比べれば、そんなのは苦労のうちにも入らないことだ。

 自分がたったそれだけのことを重荷に感じていると、炎夏は本気で思っているのか? むしろ自分は、――


「医学部って大変なんでしょ? これから大事な時期なのに、今まで迷惑かけちゃってごめんね。――水鏡くんが味方になってくれたわけだし、もう無理につき合ってくれなくても大丈夫だから。螢視ケージには受験勉強がんばってほしいの」


「――!!」


 本気で申し訳なさそうな苦笑い。「ごめんね」という思いが滲む、その笑顔は残酷だった。

 そこに横たわるのは決定的な認識の相違。何を言おうが通じない。炎夏が心から己を気遣っていると分かるからこそ、螢視は辛かった。

 自分一人の問題だからと言って、螢視を危険に巻き込むまいとするのは、確かに炎夏の優しさかもしれない――だがそれは、結局のところ「自分の事情に近寄るな」という拒絶にほかならないのである。


「おー! 炎夏さんのお弁当、俺と一緒だ! もしやこれは運命かッ!?」


「いや、ウィンナーが被ってるだけじゃない。この校舎内だけで山ほどいるわよ」


「えー……でも、せっかくなんで二人で交換したいです。運命記念に」


「同じウィンナーを!?」


 ――はい、あーんしてください♥

 ――あ、あーん……。


「……」

 

 ――その疎外感は、屋上で炎夏が律季と一緒にいる所を覗き見した時も感じた。


 螢視とは共有したがらない『魔法』という秘密を、律季とは共有する炎夏。ツンツンした態度をとってはいるものの、ここのところ特訓の傍ら、毎日のように食事を共にしている。『おっぱい揉ませろ』事件を境に、明らかに律季と関係性が深まっているのが見て取れた。

 螢視は、そんな炎夏に『邪魔だ』と思われるのが嫌で、律季と一緒にいる彼女の視界に入るのも躊躇するようになってしまった。――昔から隣同士で、一番の親友のはずなのに。なんでも相談できる相手のはずだったのに……。


 むろん、律季は螢視にとって中学時代からの友達だ。嫌な奴だとは思っていない。

 だが――運動部のエースで、いつも元気と笑顔を振りまき、魔法までもを使える律季は、勉強しか取り柄のない螢視とあまりにも違いすぎた。


 律季のせいで、炎夏が自分の知らないどこかに行ってしまうのではないか。

 そんな思いが強くなる一方だ。











「……とまあ、こんな感じだよ」


 ――ユウマとレンが住まいとしているウィークリーマンション。テーブルをはさんで椅子に座った螢視が語り終えると、しばらく室内には沈黙が流れた。

 三人がこの部屋に来た当初は、


「始まりました、ユウマちゃんのお悩み相談室~! 本日はどのような用件で?」


「あ……えっと……」


「おい、絡みづらいマネすんな」


 ――という風に和気あいあいとしていたのだが、気づけば三者とも、ずいぶんと真剣な表情になってしまっている。

 ユウマは螢視の正面で頬杖を突き、レンは隣で腕を組み、じっと話を聞いていた。恋愛相談だというのに、茶々もほとんど入らなかった。


「――過保護で偽善者。相変わらずだな、天道炎夏あいつは」


 それが、レンの抱いた感想だった。

 先日、『ROOMクリスタル』の空間で戦った時に、自身が炎夏に言った言葉を反芻する。欠点を戒めたつもりだったが、どうにも響いていなかったようだ。


「……お互いわかったつもりの関係性ほど、こじれやすいものはない。同じってわけか」


「……? 何の話だ?」


「お前に似たような奴を知ってるよ。これまで見た中だといた」


 『螢視が炎夏とのつながり故に目を付けられ、教国の魔法使いに接触される』。

 天道炎夏はそう危惧したからこそ、螢視を遠ざけようとしたのであるが――まさにその通りの事態が、今起こっていた。それも、炎夏との関係が揺らいだ不安から、彼自らがユウマとレンに近づいてしまうという皮肉な形で。

 しかも炎夏との非日常の関係の象徴のような、『神聖な存在』であるはずの魔法のことまで、大っぴらにしゃべってしまうという事態。ユウマがかけた『違和感破壊』のために、螢視はその異常さにも気づいていない。


「ま、そう深刻にならんでもいいだろ。いっぺん天道と水鏡と話をして来りゃ、なんとかなるんじゃないか」


「……え?」


「え、じゃないだろ。さっきから聞いてればお前、全然自己主張できてないじゃねーか。幼馴染だからってツーカーで通じ合えてると思ってんだろうが、今回の件は完全に、お互い言葉が足りなかったせいですれ違ってんだろ」


「主張はしてるよ。言っても分かってもらえないから困ってるんだって」


「――だから、誤解が解けるまで主張し続けろって言ってんだよ!」


「いたっ!?」


「ちょっと、レン?」


 ヒートアップしたレンが、螢視の太ももをひっぱたいた。

 最初はきっちりテーブルについていたのだが、今のレンは椅子の向きまで変わっており、螢視を側面から詰める体勢になっている。思いのほかムキになっているレンに、ユウマさえも意外そうな顔をしていた。

 

「というかな、いっぺんすれ違ったぐらいで諦めててどうするんだよ。それじゃ会話自体を拒否してるのと同じだ。伝わるもんも伝わらない。――本気で何かを伝えたきゃ、それを分かってもらえるまで言い続けるしかねぇんだよ。これは俺の経験談だ」


「で、でもな、レン。炎夏あいつはあいつなりに、本気で気を遣ってくれてるんだよ。危ない状況で苦労してるらしいのに、それを無下にするわけにも……」


「そのせいでお前が気持ちを我慢してんじゃ、あいつだって喜ばないだろ。結局お互い気遣いでがんじがらめになって、全員不幸になるだけじゃないか。

 ――口ケンカになるのも覚悟で本心を伝えなきゃダメだと思うぜ。多少ギクシャクしたって、お前らなら仲直りできるだろ? 勇気を出せよ、な?」


「……レン……」


 レンは今さっき螢視の足を叩いたばかりの手を、今度は肩にポンと乗せた。

 ぶっきらぼうな態度の奥に優しさが垣間見えた。螢視は軽く感動している。


「――よし、ちょっとスマホ出せ。腰据えて話すならアポが要る」 


「えっ、いや……! そもそもあいつは今出かけてるし……!」


「LINEなら関係ねぇだろ。オラ、さっさとよこさねぇか」


「ちょ……グ、グイグイ来すぎだろ!? お前そういうタイプだったか!?」


「うるさいな! 俺もガラじゃないと思うけど、他人事に感じなくてイライラすんだよ。、うじうじしないで腹決めろや」


 紅い目を光らせ、やたら饒舌なレンと螢視がもみ合う。

 レンにとっては、ターゲットの親友から人生相談を引き出し、敵のデュオの仲を乱すチャンスのはずなのだが……なぜか彼は、螢視の相談に真剣に向き合ってしまっていた。むろん螢視には理解できないが、「任務より螢視の都合を優先させる」というエージェントにあるまじき発言まで飛び出している。


「――ねぇ、レン。もしそんなことして、やっぱり『さようなら』だったらどうすんのさ? ボクが見た感じ、天道炎夏はカンペキ水鏡律季に攻略されかかってるよ?」


「……何か考えがあるのか? ユウマ」


 微妙に主旨からずれたような発言に、レンが染めていない黒い色のままの眉をひそめる。

 炎夏と螢の話がかみ合わないのが問題だったはずだ。この際、律季は無関係でいい。


「ボク、まだるっこしいの嫌い。要は水鏡くんがいなくなればいいだけの話じゃないか。それで関係は前通りだろ?」


「「――!?」」


 頬杖をついたユウマが、無表情で言い放つ。

 レンと螢視はスマホの奪い合いの体勢のまま、まったく同じ目の見開き方をした。部屋の温度が一気に下がったようだった。


「い、いなくなればいいって……どういうことだよ?」


「そのままの意味だよ。もともとキミは今までずっと炎夏ちゃんに一番近い所にいたんだし、水鏡くんさえいなくなればもう対抗馬もいない。あとは正直に想いを伝えれば、自動的に炎夏ちゃんはキミのものだ」


「いや、ちょっと……あのなユウマ、勘違いしないでくれよ。俺は別に、律季からあいつを奪いたいとか言ってるんじゃないんだ。相談しに来たのだって、なんでもやもやするのか気になったってだけで……」


「『なんで』もなにも、好きだからじゃないの?」


 何を言ってるんだお前は、とばかりに、あっけらかんとした態度だった。

 螢視の顔色が短い間に何度も変わる。本人にさえ自分の本心が分からないために、否定も肯定もできないのだ。しかしできれば、昔からただの友達だと思っていた幼馴染に、知らず知らず恋心を抱いていたとは、認めたくなければ考えたくもない……。


「でも……俺はあいつにとっては、ただの相談相手で……」


「うん、わかるよ。自分で自分に嘘つくぐらいしないと、優等生なんてやってらんないよね。でも大丈夫。ボクにまで本当にしたいことを隠す必要はないよ」


 懊悩する螢視に、ユウマは優しい微笑を向けた。レンは赤い目から怪訝な視線を放つ。

 ――何かが致命的におかしかった。ユウマが螢視を思いやっているのは確からしい。助けてやりたいというのも本心だろうが――妙に話が通じていない。ユウマの思考が螢視に歩み寄っていないように見える。


「ま、いきなり言われたって難しいか。ならまずは、キミが自分の願いに気が付けるようにしてあげよう。――ボクがキミを魔法使いにしてあげるよ」


「――!? なんだって……?」


「おー、反応が変わったじゃないか。やっぱ魅力的だよね、この話は」


「な、なれるのか……魔法使いに? いや、そもそも……?」


「普通は無理だよ。魔法使いになることも、魔法使いにすることも。でも多分、キミならなれるし、ボクならできる。――なぜならキミは、ボクの友達だからだ」


 要領を得ない台詞を吐きながら、ユウマがおもむろに取り出したのは杖。螢視は息を飲む。

 レンが、声を出さず、唇と視線だけで「本気か?」と言った。ユウマは軽く口の端を吊り上げてそれに答える。


「ボクはこれから、キミに『夢』を見せる。キミはそこで、自分自身の『望み』に出会うだろう。魔法使いにとって、望みはすなわち『力』だ。キミならきっと、自分の本当の姿に脱皮することができるだろう。

 さあ――ボクからの友情の証を受け取ってくれるのなら、頭を出して。キミの『イロ』を見せておくれ」


 天使の助けか、悪魔の誘惑か――きっとこれは、後者に属する提案だろう。認識を改変された螢視にも、それぐらいのことはわかったので、了承することはできなかった。

 親友たる炎夏との関係性が揺らぎ、何年も一緒にいたはずの友人も、なにか底知れない言葉を突き付けてくる。現実がひび割れるような感覚に、螢視は困惑していた。


「さあ、ボクのところへ来るんだ」


 だが、理性がどれだけ警鐘を鳴らしていても、螢視はユウマに対して首を横に振ることができない。

 ――それもそのはず、『魔法の力を手に入れ、炎夏と同じになりたい』という願望は、こうなるより遥か昔から彼の心の奥でくすぶっていたのだから。

 考えをぐるぐると巡らせるうち、螢視の首はほとんど無意識に動いて、ユウマの杖の先へと近づいていき――


「――そこまでだ、お前らッ!!」


「!?」


 『契約』が成ろうとしたまさにその時、ガチャリと玄関ドアが開き、一つの影が飛び込んだ。

 冷や汗を垂らしていたレンの雰囲気が、コンマ一秒の間に冷却する。ユウマの可憐な顔に、裂けるような笑みが浮かんだ。それはまさしく『魔』の形相だった。


「やっぱりお前は邪魔者だ! ――水鏡律季ィィッ!!」


武装フォーミング形成アーム――『生命力の鉄拳リビドー・ナックル』ッ!」



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