Girl Meets Boy その2


「――『マナ教団』とは、キリスト・イスラム・ヒンドゥー・ユダヤ・仏教に次いで、世界第六の信者数を擁する宗教団体です。教団名にある『マナ』とは、この世界に遍在する神秘のエネルギーであり、我々信者は在家出家問わず、『マナ』の力を自他に有益な形で活用すべく、日々修行に取り組んでいます――か。

 なるほど、日本版のホームページは本当にそこいらの宗教団体と変わりませんね。そんなに過激なことは書いてないし、カルトっぽい感じもそんなにしない……」


 ――しかし彼らこそは、魔法の力によって既存世界を駆逐せんと企む、現代の巨悪。今この時も人知れず『機関』との戦争を繰り広げている、人類史上最強の武装勢力。世界の歪みに他ならない。

 この国にも、わずか30年前に仏教宗派を騙るテロ集団が出現したことがある。彼らは政府転覆を目指して、無差別殺戮を引き起こし、東京を震撼せしめたが――『あれ』を遥かに上回る脅威が、この日本にも侵食しているのだ。


 思えば、とんでもないことになったものだった。


 数日前まで律季の日常といえば、宿題とバイトと、バスケットボールと、ついでに炎夏の尻を追っているだけのものだった。それだけで人生が完結していた彼が、今や炎夏の『本体マスター』にして『機関』の一員となり、この世界を揺るがす戦争の戦列についている。

 スマホで『日本マナ教団』のホームページを開きながら、律季は頬に汗を伝わせた。


「ちょっと水鏡くん。人のお尻の上で、シリアス顔しないでくれる?」


「わーい♥ 炎夏さんのお尻ー♥」


って言ったわけじゃないわよ」


 そこは炎夏の部屋だ。律季は、炎夏に尻枕をしてもらっていた。

 絨毯の上でうつぶせに寝転んで漫画を読む炎夏。律季は、涼しげなホットパンツを穿いた彼女の尻に、顔をうずめて喜んでいる。

 そうだ――炎夏の尻を追っていたのは数日前まで。もう、その必要はない。なぜなら彼は既に、炎夏の尻との距離をゼロにしたのだから。

 

「うへへぇ、むちむちほかほか、幸せぇ……♥ 炎夏さん好きです……♥ おっぱい揉ませてくださいっ……♥」


「とっくに揉んだじゃないの、まったく……」


 適度に涼しい温度に保たれ、良い匂いが漂う炎夏の部屋だ。

 ぬくぬく温かい炎夏の尻。ホットパンツとソックスの間の絶対領域には、すべすべな太もも。律季は安らぎきった表情で、思うさま無抵抗の炎夏の下半身に甘えた。自分の顔の肉が歪むほど強く、彼女の桃尻にほおずりする。顔の両側を交互にこすり付け、時々息継ぎをするように鼻をうずめて深く息を吸い込む。


「すー、はーっ……洗剤の匂いと、いつもの炎夏さんの匂いが……♥ あー、やっばいわ。俺、生まれてきてよかったわ……ッ♥」


「へぇ。そんなことしてて楽しいの?」


「はい。すごく楽しいです」


「……皮肉で言ったのに」


 相変わらず、行為の変態性に対して、態度に屈託がなさすぎる。

 ここ数日の傾向からして、律季はどうやらおっぱいフェチに加えて、嗅覚フェチも同時に患っているようだった。嗅いだとたん猫にマタタビのごとく酩酊し、そのまま十分ほどは炎夏から離れてくれない。


「だってこれ、多分うちの高校の男子なら全員してほしいことですよ。先生方だって、炎夏さんとこれができるなら死んでもいいんじゃないですかね。――まぁ、炎夏さんはもう俺のものなんで、他の奴らには絶対に触らせませんけど」


「私の身体は私のものよ。ていうか、他の男の人を貶めてるわよねそれ」


「いや、こればっかりはマジですって。炎夏さんは告白慣れしてるわりに、男の性欲を舐めすぎですよ。俺が言うのもなんですけど、もっと気を付けた方がいいです。こーんなわがままボディ、悪い虫がたかるに決まってるんですから」


「君をはじめとしてね」


 炎夏は、表情を変えず、漫画から目を離さないまま、横向きに姿勢を変えた。尻から転げ落ちるようにどかされた律季は、彼女の背中をよじのぼって抱き着く。乳や尻などには一切触れなかったので、炎夏の方も抵抗はしない――ハグされてもこれとは、すっかり水鏡くんに慣らされてしまったなあ……。炎夏は自嘲じみて思った。


「……ざっと見た感じ、マナ教は表立って『超能力者募集』みたいなことはしてないみたいですね。まあ実際の勧誘活動とホームページの内容は違うだろうけど、その辺の信者に『魔法の力で世界征服手伝え』なんて言えないはずです。『教国』って、ユウマさんみたいな魔法使いを、どうやって世界中から集めてるんでしょう?」


「あいつらは独自の情報網を持ってるの。この前も、水鏡くんが魔法使いになったってことをすぐに探知して、翌日にあの二人を送ってきたでしょ? 少なくとも『満月の夢』の中の出来事は筒抜けなのは間違いないわ。

 『夢』の中で魔法を使った人間を見つけ出して勧誘をかけるのか、係累のない出家信者から兵隊を募ってるか……そのぐらいでしょうね」


「さらって洗脳してるって可能性はないですか?」


「やるとなったら、見込みがありそうな人に『暗示』をかければそれで済むだろうけど、人がひとりいなくなるっていうのは大ごとよ。秘密主義の『教国』がそれをやるとは考えにくいわ。

 そもそも、日本の組織なんかは奴らにとって末端もいいところよ。なにしろ元締めが国連加盟の独立国だからね。何十万っていう国民が残らず教徒だし、海外では救貧事業も手掛けてるから、そこも養成所になってるはず。そんな強引な手段を使わないでも、いくらでも戦力を増やせるはずよ」


 ――なんとも、途方もない話だ。

 国連直下の秘密組織にして、主要国から支援を受けることが『機関』に対して、たかが孤立した中小国の『教国』……という図式で考えれば、前者が有利なように思えるが、マナ教の教徒は世界中に散らばり、そのうち何パーセントが魔法使いなのかを知ることはできない。そして魔法使いを擁する勢力とは、頭数だけで強弱を図れるものではないのだ。

 しかも、『マナ教』は魔女狩りが終わってすぐの時代――およそ400年前に起源を持つ。その頃から魔法のノウハウを蓄積していたとなれば、どれほどの底力を有しているか見当もつかなかった。


「水鏡くんの考えていることは分かるわ。――『教国』が、螢視ケージをさらうんじゃないかってことでしょ?」


「はい。もう情報を得る必要はないのに、ユウマさんたちが文月先輩にやたら近づくのが気になります。それにあの人の『暗示』に、どのぐらいの効力があるのかも分からない。元々いなかった人をいるように誤認させられるってことは、炎夏さんを攻撃するように仕向けることもできるんじゃ……」


「魔法使いは本体マスター附属物バディの二人組が基本。水鏡くんと私がそうだったように、魔法の才能がある人同士が交流すると、自動的にデュオになる仕組みになってる。

 何年も私の一番近い所にいたのに、私の附属物バディにも本体マスターにもならなかった螢視ケージは、魔法使いになる可能性が極めて低いの。先方もそれは承知のはずよ」


 従って、ユウマとレンが、彼を無理に仲間に引き入れる可能性があるとは考えにくい。しかし律季には、懸念がもう一つあった。――魔法使いにはならなくても、人質としての価値は消えない。

 二人は先の戦いで、学校中の人間を人質にすると炎夏を脅したという。あの時二人が実際にそうしなかったのは、『ROOMクリスタル』を使って炎夏と正面から戦闘する道を選んだからに過ぎない。正攻法で敗北した今となっては、人質を取った上で救援隊と合流し、搦め手で炎夏を追いつめるというのが、ユウマとレンにとって最も賢い戦法のはずだ。

 実のところ、ユウマとレンが螢視と親密にしていること自体が、炎夏たちが強硬手段を出させない脅しになっているのである。そういう意味では、彼はもうすでに人質にとられているも同然なのだ。今のところ、お互い表面上はのんきにしているが、実際にはピリピリした読み合いが続いている状態なのである。


「わかってるけど……だからって、まさか『機関』に頼んで螢視ケージを隔離してもらうわけにいかないでしょ?」


「でもあの人は、俺にとっても中学の時からの友達なんです。なんとかしてあげられないんですか?」


「今のところは向こうの出方をうかがうしかないわ。こちらから攻撃は論外だし、『機関』の魔法使いが学校のみんなの日常を騒がせることも出来ない。

 ――でも、もしあの二人が本当に螢視ケージをさらったら、と思っているわ」


「……へっ? こ、殺……す?」


 後ろから抱きしめる律季の手が、ぴくりと震える。伝わってくる体温は変わらず温かいが、それが逆に彼女の堅い覚悟を感じさせて、律季は心から恐ろしくなった。

 天道炎夏にとって文月螢視の存在は、何物も超えてはならない一線である。そう宣言されたようだった。


「……本当に、そんなことになってしまったら、ね。私もできればしたくないけど、やらざるを得ない時がいつか来るかもしれないでしょう? 機関私たちがやっているのは、『戦争』なんだから。――でも」


 事実として、教国が螢視に目をつけた理由は、彼が炎夏に最も近い存在だったからである。

 『魔法』や『機関』の情報を炎夏から聞いているということ、それ自体が彼を教国にとっての警戒対象たらしめているのだ。

 夢の中で戦いを始めたばかりの頃、炎夏は心細かった。昔からの理解者である螢視には全てを知っていて欲しかったから全てを教えて、『機関』の一員になった後も、気にかけて家に通い詰めてくれた彼の善意が嬉しかった。しかし、炎夏がそうやって彼に甘え続けてきたことで、螢視はこのような危険な状況に陥ってしまった。

 ――使そんな目に遭わせたのは、自分だ。


「もう、昔のままじゃいられないのね。いい加減にケジメをつけないと」


「あの、炎夏さん? 大丈夫ですか――おっぱい揉みます?」


 ――むにゅむにゅ。

 ……ごちんッ!


「あいたたたた……」


「ふんだ」




 ――愛は時に残酷である。

 近すぎるが故に言葉を交わせず、愛しているからこそ傷つけることを恐れる。関係性という物は美しければ美しいほど、試練を前にすれば壊れやすい。

 今、天道炎夏に困難な局面が迫っていた。


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