不穏なる予兆 その1
天道炎夏が魔女――異能の力を持つ者である事実を知る者は、長い間、隣に住む文月螢視だけだった。
生まれついてのサイキックである炎夏にとって、第一の親友である螢視は親以上に信頼する相談相手。現在でこそ人の役に立つ力として受け入れているが、『手から火が出てくる』力などは、まだ制御がおぼつかなかったこともあって、幼い炎夏にとって恐怖でしかない。
例えば、寝ている間に火を起こして、家が火事になったりしたらどうなるのか? 彼女自身に火は効かないから、焼け死ぬことはまずないだろうが、家族はそうではない。両親は火のついた家から逃げられるとしても、弟は当時はいはいもできない乳児だった。炎夏のせいで生まれたばかりの弟が死んでしまったりしたら、両親は二度と彼女を許してくれないだろう。『そういう力を持っている』という事実を知られただけでも、化け物と言われることになるかもしれない。なにしろ天道家は、『退魔』をかかげる聖職者の一家なのだ。
自分が『魔女』だと知れたら、もうこの家においてもらえなくなる――炎夏はそう確信した。
「――聖なる炎が闇を晴らす! お日様勇気――マジカル・プロミネンス!」
「くそ~、現れたな! 正義の魔法少女め!」
そんな能力を唯一好きになれた時間が――誰も来ない炎夏の家の裏庭で、螢視と一緒に、魔法少女ごっこをしていた時。
変身ヒロインが悪と戦う女児向けアニメ「ブレイブマジカル」。当時五歳だった炎夏と螢視は、それを毎週二人で仲良く見ていた。
特に好きだったキャラが、炎使いの魔法少女「マジカルプロミネンス」だった。炎夏はその変身シーンを、体に火をまとって再現するのが好きだった。子供向けの安物のコスプレ衣装も、本物の火でデコレーションすることで様になった。
「燃え尽きなさい! 『ブレイブ・ブレイズ』!」
「ぐわーっ」
「ぎゃー!? だ、大丈夫、けーちゃん!?」
「いや、ふりだってば……」
魔法使いではない螢視は、いつも悪役を引き受けてくれた。名乗り口上には答えてくれるし、必殺技を撃てば倒れてくれる。
もちろん燃え移ったりしたら困るので、殺陣では実際に火を放つわけではないが――もしかしたら無意識に螢視を攻撃してしまうのではないかという不安は常にあった。時々心配のあまりロールプレイングを放棄して、螢視にあきれられたものだった。
「炎夏ちゃん、かっこよかったよ。本当にマジカルプロミネンスみたい」
「そ、そうかな? じゃあ、もう一回いい?」
「いいよ。――何回でもやってあげる」
螢視と遊んでいる間、炎夏は、自分が『人々を苦しめる悪と戦う、正義の魔法少女』であると信じることができた。記憶の中で輝く、幼く純粋なあの頃の事。きっと螢視は忘れてしまっているのだろうが、炎夏にとっては、初めて己の力への嫌悪を克服できた大切な思い出だ。
――思えば、『満月の夢』と関わった時、戦う道を選んだのも、あの魔法少女ごっこの延長に過ぎないのかもしれない。律季は炎夏を尊敬しているし、螢視や『イヌイ』をはじめとした機関の者たちも、神社の娘としての使命感がそうさせていると思っているのだろうが――炎夏にとってこの戦いは、正義のヒーローになりたかった過去の夢を、捨てきれずに追っているだけなのだ。
だが――炎夏も螢視も成長した。
炎夏が螢視を「けーちゃん」と呼ばなくなったのが、いつのことかもう覚えていない。最後にマジカルシリーズを見たのは、確か小学校に入る前のことだ。
今、炎夏は律季というパートナーを見つけ、『機関』と『教国』の戦いという、とても大きな流れの中に入ろうとしている。螢視もまた、医学部進学という目標を見つけ、自分の人生に励んでいる。高校三年の夏を迎えた二人にとって、進路選択も現実の問題となってきていた。
昔のままではいられなくなる時が近づいている。
◆
――むにゅむにゅ♡ すりすり♡
「炎夏さん、俺のこと、今どのぐらい好きですか?」
「ん……っ♡ い、『今』に限って言えばゼロよ……っ」
「えーっ!?」
「今まさにセクハラしてる人に対しては、普通そうなるでしょ。ほら、とっとと練習に戻るわよ」
炎夏と律季は、簡素なベンチに並んで座っている。隣の律季に太ももをなでまわされていた炎夏は、その手を振り切るように立ち上がった。
――目の前に広がるのは、フェンス越しの町の景色。彼らがいるのは、真序高等学校の屋上であった。校庭を凛々しく見下ろす炎夏の後ろで、律季は行き場を失った手を、彼女のいたところに置きながら軽くへこんでいる。
「……別に、水鏡くんのことが嫌いだとは言ってないじゃない。ところかまわずエッチなことしないでってこと。部活の時みたいにちゃんとしてくれれば、0点とは言わないわよ」
「えー? 具体的に何点ですか?」
「そ、それは……その……」
「早よやれや」
二人の頭上からレンの声。神瀬ユウマと朝霧レン――炎夏の偽りの同級生にして、炎夏と律季を捕縛する任務を帯びた『教国』の使いは、貯水タンクのある高台に腰掛けていた。
彼らは、『機関』の新米魔法使いたる律季の訓練を監視するためにここにいる。炎夏にとってはうっとうしい限りだが、排除する手立てもないので好きなようにさせていた。
「ねーねーユウマさん。透明人間になれる魔法とか知りませんか?」
「んー……ボクは知らないなぁ。誰かがそういう『魔装』を持ってるかもだけど、それを言い出したらきりないし」
「そっかぁ……そういうのがあったら張り切って練習できるんですけどなぁ」
「絶対女湯覗く気よね!? というかすでに、君の『
「いいじゃないですか。――『世界征服』よかマシな使い道でしょ?」
――本来は立ち入り禁止の学校の屋上は、今や、四人の超人たちの溜まり場と化している。
鍵は以前の戦いでとっくに壊されているが、ユウマの力で人払いを行っているおかげで、修復されることもなく人が寄り付くこともない。また、この町の中には広くて人が寄り付かない場所が少なく、他には炎夏の神社ぐらいしかないのだが、神聖な境内を騒がせるのもバチ当たりである。消去法的に、ここが魔法の練習場所として使われることになっていた。
「じゃあ、いくよ。『迅』!」
「『堅』ッ!」
杖は取らず、徒手空拳で律季に殴りかかる炎夏。別にセクハラへの鉄拳制裁というわけではない。れっきとした訓練の一環である。
「『リビドー・ナックル』……だったか? 『魔装』の制御を覚えさすんじゃなかったのか?」
「そう何回も胸に触らせたくないんでしょ。あの能力を使うなら必然的にそういう話になる。それに――たった一撃でガス欠するってことは、『魔装』うんぬんじゃなくて魔力をうまく扱えてないのが問題の原因だ。だったら基礎練習を数こなして、制御の感覚を体に叩き込むしかない」
頭上で小難しい話をするユウマとレンの声は、いまの律季の耳には入っていない。炎夏の攻撃をさばききるのに精いっぱいなせいもあるが、それ以上に視覚的暴力が凄まじすぎた。
――ぶるん♡ たぷん♡ ぽよっ♡ むちっ♡
制服の素材があそこだけ違うのではないか? そもそもブラジャーをつけているのか?
おっぱいが服の上からでも揺れまくっており、まったく集中できない。とんだ『揺さぶり』である。しかも、いかんせん本人にとってはまったくの不可抗力で、時々抑えようとする動作がうかがえるのが余計にエロかった。
(くそぉ、目の保養だけど目の毒だ……今のところこれが一番の敵だぞ……! ――げっ!?)
「――ちょっ……!」
炎魔法無しでも、鍛えた肉体を持つ炎夏の拳打が、律季の防御をはじいた。おっぱいに気をとられたタイミングに運悪くはまってしまったのだ。炎夏も寸止めが間に合わず、右ストレートが彼の腹に深々と突き刺さってしまった。
「ご、ごめん水鏡くん! 大丈夫!?」
「
強がってはいるが、魔力で加速した拳をまともにくらったのだ。肺から息を絞り出されたせいで声も枯れている。崩れ落ちた律季に、炎夏はあわてて膝をついて目線を合わせた。
「す、すみません先輩……でも、炎夏さんに殴られてると考えたら、ちょっとだけ嬉しいです」
「……気を遣ってるんだと思うけど、君の場合本気で言ってる可能性があるから困るわ」
「え? いや、本気ですけど」
……さすがに炎夏は引いた。好きな相手ならボディブローさえ快楽に変換できるとは、マゾの中でも真性である。
律季は彼女の顔を見て、何かに気づいたように手を激しく振った。
「あっ、いや、そういうことじゃないですよ。うまく言えないですけど、以前の炎夏さんなら、俺のこと心配して、こういう痛みを伴う感じの鍛え方はしなかったと思うんです。そもそもあの時は『関わるな』って言われちゃいましたしね。
――それこそ、痛い目を見る事さえ許されない寂しさに比べたら、つらくもなんともないし……炎夏さんが俺のことを仲間として認めてくれた証拠だと考えれば、痛いのも悪くないかなって」
「ッ……」
『心配だからといって、連れて行って欲しいと言っている相手を無理に突き放すのは偽善でしかない』
レンにそう言われた時のことが、炎夏の脳裏にフラッシュバックする。
「――えい、えい」
「いたたっ。な、なんですか?」
「なによ。嬉しいって言いなさいよ」
律季はいつもこうだ。普段はセクハラばかりなくせに、たまにこういう健気な台詞が飛び出すことがある。
なんだか無性に腹が立って、炎夏は律季の胸を叩いた。ぽすぽす。
「――おっと。やっぱりここにいたのか、律季」
「あ、文月先輩。どうもです」
「ハロー、螢視くん」
「ユウマとレンはまたそこか? いい加減怒られるぞ」
「大丈夫。誰も気にしないから」
炎夏の幼馴染にして学校一の秀才。文月螢視が、数学の参考書を片手に現れた。
彼は現在複雑な立ち位置にいる――炎夏と律季が『機関』に所属する魔法使いであることは認識しているが、ユウマとレンが『教国』から来た『敵』であることと、律季が救急車で搬送されたあげく三日間入院した理由が、彼らエージェントとの戦闘で傷ついたせいであることを知らない。
そして、ユウマの暗示能力によって、『自分はユウマやレンと昔から親しく付き合っている友人だ』という認識を埋め込まれている。そのせいで、いつ再び牙をむくともしれないユウマたちと、正体を知ることなくこうして接しているのだ。
『
炎夏はそう釘を刺しているが、彼ら二人の考えは置くとしても、『教国』がどのような指令を下すかは分からない。
ターゲットの親友で、しかも魔法の事を知っている無力な民間人。人質としての価値は高く、情報漏洩のリスクはさしてない。律季が少しずつ力をつけてきている今、一番危機が差し迫っている人物は、この螢視かもしれなかった。
「うわー、さすがは医学部志望。計算式ってか呪文だね」
「
「ちょっと!? 勝手に見るなよ!」
ユウマが杖を一振りし、強風で参考書を螢視の手から奪い取った。
――風魔法でスカートめくれるかな? 律季は真剣な顔でそう考えた。――この顔はまたロクなこと考えてないわね。隣の炎夏は頬に汗を垂らす。
「見て見てコレ。ノートいっぱいにびっちりですぜ」
「やべぇな……拾って初日のデスノートでもこの密度では書き込まないぞ」
「初日は二人しか殺ってないだろ。人のノートを凶器呼ばわりすんな」
「――ん? 何だこの落書き? あれ、このキャラって……」
「――ッ! だから、見るなって……!」
レンがノートの『落書き』を指さすと、螢視が血相を変えてひったくった。
全員が不審な目を向ける中、炎夏だけは何かを察したような顔をしている。
「とにかく、もう授業だからな。お前らもそろそろ降りて来いよ」
「はいはいー」
気のない返事である。ユウマとレンのエージェント二人は、基本気が向いたときにしか授業には出ず、大半の時間は屋上か校舎裏で退屈そうに過ごしていた。何をして暇を潰しているのかは律季も炎夏も知らないが、時々、二人そろってスケッチブックに向き合っている姿を見かける。
「……あれ、多分マジカルシリーズだよな? ニチアサの。変身ヒロイン物の」
「うん。ボクも幼稚園ぐらいまでは観てたけど」
それを聞いて律季も驚きを隠せない。――あの医学部志望の超インテリが、女児向けアニメのファンだというのか? 個人の好き好きをバカにするようなことはないし、螢視の勝手だと思うが……なんとも意外なものだ。
「そっか。あいつ、変わんないなぁ」
(……!?)
なんだかうれしそうにニコニコしている炎夏。『あいつ』などという二人称を、今まで彼女の口から聞いたことが無かった。その表情を見た時、律季はなぜか異様な危機感に襲われたのだった。
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