寝ても覚めてもイチャつきたい その2
「こちら、天道炎夏です。……はい。水鏡くんはまだ……」
時刻は土曜日の午前10時。天道炎夏は、水鏡律季の病室にいた。
神瀬ユウマ・朝霧レンとの戦いで消耗し、意識を失った彼は、病院に運び込まれたきり眠ったままだ。とはいっても、通常の医療で魔法戦闘での損傷を治すことは不可能である。あくまで、本人の治癒力を高められる環境に一時的に移したにすぎない。
鼻に絆創膏を貼っている以外は元気そうな律季は、スケベな性格をかけらも窺わせない安らかな顔で眠っている。かたわらの椅子に腰かけた炎夏は、手にした端末で『機関』の仲間――顔も知らない彼女の『上司』に定期報告を行っていた。
『せやろなぁ。魔法を覚えたての時に、ボロボロにしばかれた体で、エージェント二人を一撃でやっつける大魔法をひねり出してしもたんや。寝込んでるならいつか目覚めるってことやから、一週間かそこらは心配するに及ばへんよ』
「……はい」
飄々とした『相手』の口調に反して、炎夏の表情は沈んでいる。邪念がすっかり消えたように穏やかな律季の寝顔が、逆に炎夏の心を痛めていた。
律季がこうして大怪我を負って病床にあるのは、炎夏のかわりになったせいだと言って差し支えない。事実、彼女は律季を『機関』と『教国』の戦争に巻き込んだあげく、ユウマの『カレイドスコープ』を破るのにも貢献できなかった。
(なにしてるのよ、私! 傷つくなら、私だけが傷つけばよかったのに……! 全部、水鏡くんに助けられて……っ!!)
まったくの素人の律季がこんな目に遭っているのに、本来の当事者である炎夏がピンピンしているとは、あべこべとしか思えない。『自分の問題だから一人で解決する』『律季やみんなを巻き込まない』と、大口叩いたあげくがこの結果だ。ここまで自分を情けなく感じたのは、炎夏の人生でも初めての事だった。
「――すー、すー……う、ううん……?」
「ッ! み、水鏡くん!?」
寝息を立てていた律季が、小さくうめき、眉を寄せて身をよじる。炎夏は勢いよく椅子を立ち、彼の顔を上から覗き込んだ。鼻に絆創膏をつけた律季の目がゆっくりと開き、瞳が彼女の顔を見て――次の瞬間、その下に視線を移した。
「――――おっぱい!?」
――がしっ!
かっと目を見開いた律季が、炎夏の胸に手を伸ばした。それが昏睡状態から目覚めた彼の第一声だった。
まだ夢うつつの彼は本能のままおっぱいを弄ぶが、服とブラジャーに包まれているので揉んでも指はそれほど沈まない。電話の向こうの『上司』も含めて、しばし沈黙が流れる。
「……! ――もう。なんか安心しちゃったわ。くよくよしてたのがバカみたい」
恥ずかしさや驚きももちろんあったが、その種類の刺激にはこの数日間で慣らされつつある炎夏。
このセクハラを受けて生じた一番大きな感情は、いつも通りの律季が帰って来てくれたという『安堵』だった。相変わらずな彼にあきれる気持ちとは裏腹に、炎夏の鼻の奥ではツンと熱い感触が生じる。端末の向こうで、『上司』が我に返ったのか派手に笑い、彼女はその感触を自覚しなかった。
『――ハハハハ! なるほどなぁ、炎夏ちゃんから聞いた通りやわ!』
「えっ? ここどこ……?」
「おはよう、水鏡くん。おっぱい気持ちいい?」
「あ! すみません先輩……!」
「ううん、いいの。元気だってわかってほっとしたわ」
『あたしらも君に話さなあかんことがいっぱいある。とりあえず聞いてくれるか』
「は、はい……てかさっきから誰ですか?」
『コードネームは『イヌイ』。『機関』の人間で、炎夏ちゃんの上司や。これからは、君もあたしの部下ってことになるさかい、敬語使わなあかんよ』
「は、はい。よろしくお願いします……」
◆
「み、三日……? そんなに寝てたんですか?」
『回復スピードとしては相当早い方や。――普通なら十日はみとかなアカン容態やったからな。魔力を無理に振り絞りすぎた反動で、一時は命にも関わる状態やった』
「えっ……!」
ショックで意識不明となっていたとはいえ、戦いの一部始終まで忘れたわけではない。
確かに最後、空中で炎夏の胸をつかんだ時、果てしない柔らかさと一緒に『力』が流れ込んでくるのを感じた。その力の流れに引きずり出されるように、律季の中のか細い魔力まですべて流出したのを覚えている。
あの一撃は、炎夏と律季の魔力が一体となったものだったのだ。勝利こそ得られたものの、律季は二人分の力――というより、律季を一人とカウントするなら、炎夏は二十人力ぐらいありそうなものであり、明らかに分不相応な量の力を無理やり使ってしまったわけで、それなりの反動がくるのは当然と言えた。
「……ほんと、ごめんね、私のせいでひどい目に遭わせちゃって……」
「い、いいんですよ。俺が勝手にやったんですから。ついでに言うと、先輩、泣き顔もすっごく素敵ですね。おっぱい揉みたくなりました」
『それ、まさか慰めてるつもりか? ホンマにマイペースな子やなキミ』
あれから三日となると、今日は休日だ。だから昼間なのに炎夏が私服なのか――と、律季は勝手に納得する。炎夏は今回の一件について相当気に病んでいたらしく、ふとしたことですぐ泣きだすほど不安定な状態だ。
多少の無理は承知でも、炎夏を助けられるならそれでいいと思ったのだが……その結果、彼女を泣かせてしまうのでは良かったのか悪かったのか。
「……くす。ええ、そうなんですよ。――とんだ人が『
「――は?」
『ああ、それも言い忘れとったな。正式な検査の結果、キミは炎夏ちゃんの『
耳を疑うヒマもなく事実を告げられた。律季の大きな目もこの時ばかりは点になる。
「先輩のマスター……って響きにはちょっと心ときめくものがありますけど」
「君、前は逆のこと言ってなかった?」
「別に逆じゃないですよ。ご主人様でも下僕でもウェルカムってだけなんで」
『魔法使いのルールをプレイみたいに言わんといてや』
「というか私、君をご主人様にも下僕にもするつもりないんだけど。自分がなる気もないし」
「えー……でも、やっぱりちょっとおかしいですよね。なんで俺が『主側』なんです? つい数日前に魔法の事を知ったばっかりの俺が、何年も魔法使いやってる先輩のマスターなんて荷が勝ちすぎですよ。それこそ、性癖の話でもなきゃ……」
『ま、報告を聞いたときは、あたしらも同じ反応やったわ。キミが新米なのはもちろん、そもそも後輩魔法使いが、先輩を従属させるなんて前例がないさかい。
――あたしらは、キミの"特異体質"に、その秘密があると睨んどる。キミにも、自分が起こした変な現象に心当たりがあるやろ?』
「――満月の夢から目覚めた時の件ですか」
電話の向こうからは是の返答が返ってきた。
魔女・炎夏と夢の中で遭遇し、共闘した晩の夜明け、律季は炎夏の部屋にパジャマ姿でテレポートした。そのおかげで炎夏の寝顔や下着姿を存分に堪能できたわけだが、あれは律季自身が無意識にやったことだというのか?
炎夏が無防備な寝室に律季を入れるはずもないので、もとより消去法で言えばそういう結論になるのだが――
『わずか一日……いや、半日足らずで"
――そして当然、"教国"も、キミのそういう異常性に目をつけとるはずや。神瀬ユウマを先駆けとして、これからさらにキミの
「――ごくり」
とんでもないことになったものだ――と、律季はどこか他人事のような感想を抱きながらも、本能的な恐怖の生唾を飲み下す。
しかも、ユウマとレンがただの鉄砲玉だと? あの二人に勝つだけでも、数日寝込むダメージを負ったというのに……。曲がりなりにも『国』となれば、それだけの組織力があるのかもしれないが、なぜそんなものから一介の高校生に過ぎない律季が付け狙われなければならないのか。
『新しく魔法使いになった者には、"教国"と戦う道を選ぶか、"機関"の庇護下で生活を続けるか選択してもらい、その意思を尊重する。それがあたしらの普段の方針やが、今回ばっかりはそんな余裕はない。
――頼む。キミ自身の身を守るためにも、"機関"に入って"教国"と戦ってくれ』
「ええ、いいですけど」
『早いな!?』
「み、水鏡くん、もうちょっと葛藤とかさ」
「だって、他に選択肢ないんでしょう?」
「それはそうだけど……」
迫る危機に対してはそれなりに脅威を感じている風だった律季だが、これからの身の振り方についてはあっけらかんとしていた。
『機関』の提案は、律季にとってこれまでの日常が完全に変容してしまうことを示唆している。炎夏もそうだったが、いざ決断する段階では躊躇する者が多いのだ。
「不謹慎かもしれないけど、俺、正直この状況にめちゃくちゃワクワクしてるんですよ。今の現代社会、魔法とか冒険とかって憧れ以外の何物でもないし。しかも訓練って、もしかして天道先輩とマンツーマンですか?」
「そ、そうなるかな。たまに『機関』から指導が入るかもしれないけど」
「あー、マジっすか。そりゃあもうベストオブベストですね。先輩と手取り足取り個人指導。二人っきりのマジカルでファンタジーなイチャイチャ空間。――うわダメだ、超興奮してきた」
ガバァッ!
布団を引きはがし、跳ね上がるように起きる律季。彼が床に降り立つと、『ゴゴゴゴ……』とどこかから地響きが聞こえてくる。病人着に似つかわしくないほどに精力が全身にみなぎっていた。
『ど、どうしたんや?』
「これからを想像して、興奮が抑えきれないみたいです。その感じなら、今のところは体は心配ないかな?」
「ええ――行きましょう先輩。冒険が俺を待っている」
「うん。それもいいけど……まずはいったん帰ろうね?」
『と、とりあえず機関に入るっていうことやな? じゃあ、詳しいことは後で炎夏ちゃんから聞いてくれや。質問はこの端末から入れてくれたらええからな』
逃げるようにイヌイが通話を切った。
窓の外からは音響信号のサイレンと、犬の鳴き声。平和な土曜日の昼間だった。
「――あ! そ、そういえば、医療費っていくらぐらいに……?」
「戦闘の結果の負傷だから機関が出してくれるわ。このまま出てって大丈夫よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます