爆乳魔女・天道炎夏 その2


「『灯せ』」


 炎夏がそうつぶやくと、白い掌の上に火の玉が現れて、明かりがまばらなプールの空間を煌々と照らした。一本歯の下駄がタイルの上で軽やかな足音を立てる。律季は小走りで炎夏のあとを追った。


 ――彼女と共に歩いている間も、延々と無人のプールは続く。

 かすかな水音。水面の波紋に反射する光。どことなく見覚えのある光景にもかかわらず、人の気配が全くないというだけで、得体のしれない強烈な圧迫感があった。先頭を歩く炎夏の存在がこの上なくありがたかった。


「……先輩、毎月こんな気味悪いとこに一人で来てるんですか?」


「うん。さすがにもう慣れたけど、初めてだとすっごい怖いでしょ」


「怖いです。魔物いなくて先輩と二人っきりっていう前提なら、肝試しみたいで割とオツですけど」


「い、意外にたくましいね」


 その後、さらに五分ほど。真っ暗闇の長い廊下が続いていた。

 会話はない。下駄の分いつもより背が若干高くなった炎夏の横顔が、火の明かりを照り返すのを、律季は熱っぽい視線で見ている。長い睫毛に、きりっと引き締まった口元。命を救われ、魔法使いとしての凛々しい姿を目の当たりにしてから、一秒ごとに魅力が増して見えた。

 

(――うわー、頼もしい。それにすっごい綺麗。こうしてると、やっぱ俺、この人好きなんだって実感するな。さっき死にかけたって言うのに、先輩と一緒に歩くだけでちょっと幸せ感じちゃう自分がいる……)


「……もう、見すぎ。そんなにこの服が気に入ったの?」


「ちっ、違いますよっ!」


 ジト目の炎夏が、律季の横腹をお祓い棒でつついてたしなめる。タイル張りの暗い廊下に、律季の裏返った声が反響した。


「俺だってなにも、四六時中エロい事考えてるわけじゃないですからね! 綺麗だなーとか好きだなーとか思ってたら、その、いつのまにかポーッと……」


「――! こ、このぉ。そんな手に引っかかると思うなよ。こう見えても私は経験豊富なんだからなっ」


「あいたたた。や、やめてくださいって。可愛いですけど地味に危ないですよそれ」


 照れ隠しに律季の頬をお祓い棒でグリグリとやる炎夏。見た目こそほほえましいが、炎夏の握った『それ』は、巨体の魔物を瞬時に炭と化す凶器だ。律季からすれば、拳銃の銃口を突き付けられるのと大差がない。

 炎夏は口では動じていないと言いながら、炎の明かりではごまかせないほど赤面していた。その炎も彼女の動揺に影響されてか、風に吹かれたロウソクの火のように激しく揺れている。


「あのね、自慢だけど、私けっこう偉い人なんだよ。君の命の恩人で、この町の平和を守るヒーローだよ。その辺わかってる?」


「はい。助けてくれてありがとうございます」


「だ、だったら、そんな風に粉かけるのやめてよ。君一年生なんだし、他にいくらでも可愛い女の子ぐらいいるでしょ?」


「……俺は先輩がいいです。粉かけてるわけじゃなくて、俺は先輩じゃなきゃ嫌です。それに、偉い人だから狙うなっていうのも俺にとってはよくわかりません。

 ――普段は優しくて親切な先輩なのに、裏では人々を守るために戦う魔法使いだったとか、むしろ燃えるんで。それを知ったらもう絶対に逃がせないです。絶対彼女になってもらいますから」


「~~~~~っ。も、も~~~。まだ生意気言うかぁ!?」


「いたたたた、またそれですか!?」


「この口か、この口が悪いのか~~~~!」


 律季と炎夏の話し声が、静寂に色をつけていくようだった。

 経験豊富とは言いながら、告白してきた男たちを残らず門前払いしてきた彼女だ。高嶺の花として祭り上げられてきたため、彼らもそれで諦めて引き下がった。律季のように門前払いの門を強引に突破されれば、そこは未知の領域だ。


「そ、そういえば、出口ってどこまで歩くんですか? 全然風景が変わらないんですけど……」


「ああ、もうすぐそこよ。


 軽く涙目の律季が何気なく聞くと、炎夏はおかしなことを言う。浮ついていた雰囲気ががらりと変わり、律季に向けるのも、『男の子』を見る視線から『護衛対象』へ向ける目になった。


「夢の中には非常口なんてないわ。ここを出るには、『クリスタラー』を倒すしか方法はないの」


「クリスタラー?」


「ゲームだと、ダンジョンを抜けるにはボスを倒す必要があるって相場が決まっているでしょう? クリスタラーはいわばこの『ダンジョン』のボスなのよ。そいつを殺して『空間の核』を壊さないと、この夢は終わらない」


「と、となると、さっきまでの奴らより強い魔物が出てくるってことですか? なら、俺は邪魔にならないように離れてた方が……」


「いいえ、逆よ水鏡くん」


 廊下が終わり、奥に大きな広間の入口が見えてきた。『クリスタラー』とやらがあそこにいるのだろう。換気扇が回る低い音が禍々しく聞こえた。

 炎夏は足を止め、怯える律季の手を取った。凛とした眼光に射貫かれ、律季は一瞬息をするのを忘れる。


「だからこそ、絶対に私から離れないで。やけどするかもしれないけど――近い方が守ってあげられるわ」


 会心の一撃!

 アッパーカットの如き衝撃が律季の全身を貫いた。


「――わかりました。一生この手を離しません」


「いやいや。そしたら戦えないでしょ」


「たった今、先輩がかっこよすぎるせいで心に大やけどを負いました。責任とって結婚してください」


「うんうん。じゃ、ここを出たらお医者さんへ行こうね」


 炎夏も律季の病気には既に慣れっこになっていた。余裕の笑みで律季の口説きを受け流し、部屋へ足を踏み入れる。


「……これって……全部ウォータースライダーですか?」


「そうみたいね。でも、ここから先に通路はないみたい」


 そこにあったのは、色とりどりのウォータースライダーの出口が、部屋の三方向から突き出している光景だ。通路を抜けた場所の足場を除いて部屋全体がプールになっており、スライダーを滑ってきた者を排出するために設けられた部屋の様だ。全体的に薄暗く、炎の明かりがあってもプールの底は見えない。

 横に広い部屋のわりに、炎夏が手を伸ばせば届きそうに天井が低い。青空の柄の壁紙とは裏腹に、異様に閉塞感を強く感じる空間だった。


「!? なんだこの音……?」


「水鏡くん、私の後ろにいて」


 炎夏がそう言った瞬間、全てのスライダーが轟音を立てて大量の水を部屋に流し込み始めた。プールはあっと言う間に溢れ、水位がみるみる上昇し、二人の立つ足場が浸水する。


「――下か!」

 

 歴戦の魔法使いが敵の存在を感じ取る。水底からクジラかイルカの声に似た甲高い鳴き声が上がってきた。

 『人型の何か』の影が水中に見えるが、プールが気泡だらけになってその姿はよく見えない。


「まさかあいつ、このまま水中から出ない気かよ!? 先輩は炎使いなのに……! と、とりあえず逃げましょう!」


「く……それしかないわね!」


 一瞬の葛藤があって、炎夏はうなずく。しかし振り向いた瞬間、今通って来たばかりの一本道の通路の向こう側から、鉄砲水が襲ってくるのが見えた。

 二人大慌てできょろきょろと周囲を見回す。すると、通路入口の真上、通常の人間では明らかに届かない高さにウォータースライダーの入口があった。

 白いクレヨンのような筆跡で、太い矢印と「IN」の文字が描かれている。あからさまに怪しいものの……


「……乗ってやるしかないみたいね。あそこまでジャンプするわ。掴まって!」

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