Girl Meets Boy その3

 

 炎夏と螢視と別れた後、家で泥のように眠った律季。

 目が覚めると、プールにいた。


「――はっ!?」


 つい一瞬前までベッドにもぐりこんでいた彼は、家と似ても似つかない周囲の様子にきょろきょろするばかりだ。眠りに入り、意識が途切れたその瞬間、夢にしては不自然な急すぎる場面転換が起こって、気づけばこの謎の薄暗い謎のプールにいた。


「だ、誰かいませんかー?」


 ……彼の声だけがむなしく空間に反響する。どうやらかなり奥まで続いているようだ。律季は寝た時のはだしにパジャマのままだったが、天井と壁を埋め尽くすタイルは乾ききっていたので、なんとか滑らずに歩けた。


「俺、さっきまで寝てたよな……? ってことは夢の中? 明晰夢にしては変な夢だなぁ。――『牛柄ビキニの天道先輩』を召喚ッ!! ……は、できないか」


 夢と自覚して見る夢である『明晰夢』は、内容をある程度自由に決められるというが、よこしまなことを念じても特に何も起こらない。一方で、足の裏に伝わる床のタイルの感触や、誰も入っていないのにわずかに波立っているプールの水音、水面で乱反射した光が壁に映る様などが妙に生々しい。

 冷静になればなるほど、この状況の不気味さが際立ってきた。気合を入れて目覚めようとしてみたがなしのつぶて。とりあえず進んでみることにした。


「……だ、誰かいませんかー……?」


 ひたひたという足跡が反響し、行けども行けども同じような空間が続く。物理的に考えればただただ待っていればいずれ目覚められるだろうが、ここはじっとしているには静かすぎた。

 ――!? 薄暗く足元がよく見えない通路に差し掛かった時、足の裏にぬめった感触を感じて、律季は顔をこわばらせた。よく見ると、濡れた何かを引きずったような水の跡がのびている。

 いよいよ不気味だった。誰かはいないようだが、『何か』がいることは確からしい。跡は奥の曲がり角まで続いており、律季が足音を立てないようにそこへ近づいて壁に背中に張り付いて、顔を出してみると……


(――うっ!?)


 曲がり角を曲がった先は、これまでで一番広大な、体育館のように天井の高い空間になっていた。四角い柱が不必要なほど大量に立っている。


(あそこにいるのは……なんだ?)


 モップの先のような白い毛の塊が、大きな濡れた体をずるずると引きずっている。律季からだんだん遠ざかっており、距離はおよそ100メートルほどだ。律季は口をおさえ、荒くなる息を必死で抑えた。正体が何であれ関係ない。アレに見つかれば絶対にまずいと本能が叫んでいた。


 ――たったったったっ!


(えっ!! やばい、後ろからも……!!)


 歩いてきた方向から、猛スピードで何かが走って来る。囲まれたことで気が動転した律季は、床のぬめりに足を取られて横転した。大きな音が反響し、横になった視界の中でモップのような化け物がゆっくりとこちらに方向転換するのが見えた。足音もまたすぐそこまで近寄ってきている。圧迫する恐怖に耐えかね、目を閉じたその時――




「まさかと思ったけど、やっぱり君かぁ……」




「――!?」




「立てる? 水鏡くん」




 温かい手が背中に添えられ、優しい聞きなれた声がした。

 驚愕して目を見開いたとき『彼女』は既に律季のそばから離れ、大きく跳躍して怪物の前に躍り出る。広い袖が舞って、紙垂のついたお祓い棒が振り上げられた。






「――オン阿毘羅吽欠蘇婆訶アビラウンケンソワカッ!」






 呪文とともに炎の光線が照射される。

 タイル張りの空間が赤い光に染まり、爆発が人間の十倍はあろうかという怪物の巨体を飲み込んだ。

 細い腕が誇らしげに掲げられ、指を鳴らして業火を消す。怪物は周囲の柱の一部ごと、灰も残らず消え去っていた。様変わりした服装で、超常の力を行使するその人物の後ろ姿は、律季の見慣れたもの。起き上がることも忘れて見とれる律季に、『彼女』は太陽のような笑みで振り向いた。


「水鏡くん、ケガはない? 早く見つかってよかっ……」

 

 むにゅっ♡


「た……」


 颯爽と現れた炎夏は、その直後に硬直した。

 今に至って、やはりこれは夢と確信した律季は、一瞬にして炎夏の懐に潜り込み、迷いなくその豊満なおっぱいに顔をうずめたのである。顔中に広がるドリームな感触と、頭を埋め尽くすマジカルな汗の香り。――ああうん、やっぱ夢だな。


「んんっ……むにゅむにゅ。すーはーすーはー。ぐりぐりぐりぐり……」


「――な、な、なぁっ……!」


 内なる欲望の限りを尽くす律季は一周回って無心。

 視線を落として固まっていた炎夏の表情に、正気が徐々に戻る。律季に何をされているか実感し、見る見るうちに顔が真っ赤になって――




「は、歯ぁ食いしばれ――ッ!!」




 ――律季は、これが夢でないことをしたたか思い知らされたのだった。




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