Girl Meets Boy その2


 衝撃の朝が過ぎた。炎夏は悩みに悩みながらも授業を受け、その後は何事もなかったかのようにふるまう律季と、表面上はいつも通り練習を終えた。

 今は夜。場所は大型ショッピングモール『ATOMIC』の裏手の住宅街。藍色の屋根の家から、二人の男女が出てくる。ひとりは天道炎夏。もう一人は、炎夏を越す長身の理知的な顔つきの少年だった。玄関のドアを閉じるとカランカランと鈴が鳴り、闇の中で黒い野良猫が走り出す。


「ずいぶん長居しちゃったな。もう十時回ってるぞ」


「熱中しすぎたね……。完全に門限過ぎちゃったし、帰った後は怒られるしかないなぁ」


 友人の家で格闘ゲーム大会に興じている間に、すっかり夜は暮れていた。

 まばらな街灯と、に照らされると、それだけで美男美女のペアは絵になる。黒髪ロングの炎夏と、肩まで届く茶髪の少年。二人は真序高校の同級生で、しかも隣同士に住む幼馴染だった。


「だから言ったろ。そろそろまずいんじゃないかって。なのに炎夏ホノーが勝つまで終われないなんて意地張って」


螢視ケージはほとんど勝ちっぱなしだったからいいじゃん。私三連敗中だよ、黙って帰れると思う!?」


炎夏ホノーは見た目の割にすぐ熱くなるからな」


「どういう意味よ」


 ――文月ふづき螢視けいじ

 身長180cmの体格を持つが、顔つきは知的でおとなしい。真序高校三年生で、全国模試八位の成績を持つ秀才だ。将来は医者志望で、国立大学の医学部を受けるべく、家庭教師のバイトで学費を貯めている。炎夏とは幼稚園の頃からの親友で、炎夏ホノー螢視ケージと互いを愛称で呼ぶ間柄だ。

 そんな螢視があくびをひとつして、目をこすった先で、ショッピングモールの従業員入口から出てきた者がいる。小柄で日焼けした黒髪の少年だ。満月を見ながら大きく伸びをして、疲れを全身で表していた。

 

「――あれ? おい、あいつって……」


「え……? 水鏡くん?」


「あ、こんばんわ、天道先輩」


 挨拶する口調にも朝の時のようなキレがない。律季はすぐ近くの自販機でスポーツドリンクを買い、二人の前で一口に半分飲み干した。


「バイトしてたの? 今まで?」


「あー。バレちゃいましたね。すみません先輩……」


「バスケ部ってそういうの禁止なのか?」


「別に禁止じゃないけど、水鏡くんの体力の問題よ。いつも朝練に六時から来て、授業受けて、放課後練習して、へとへとの状態でさらに夜十時までバイトよ?」


 家に帰って風呂に入ればあっと言う間に十一時にはなるだろう。登校時間も加味すると睡眠時間は六時間台まで削られる。体力的にも時間的にも、相当な過密スケジュールだ。


「律季お前、疲れてたせいで炎夏ホノーに変なこと口走ったんじゃないのか?」


「違いますよ! ちゃんと前日から心決めてやったんです! まぁ、確かにちょっと深夜のテンションで考えたとこありますけど……」


「あれ? 螢視ケージ、水鏡くんと知り合い?」


「中学の時、ちょっとだけ放送部で一緒だったんだよ。さっき、炎夏ホノーから久しぶりに名前聞いてビックリしたけど、何したか聞いた時はさらにビックリした」


 律季は肩身が狭そうである。帰る方向が一緒なので、逃げるのもバツが悪いようだった。


「え? じゃあ水鏡くんって、私たちと同じ中学にいたの?」


「ええ。でもろくな行事もやらないまま転校しちゃいましたから、天道先輩とは会ってないと思います」


「そうそう。こいつ、夏休み明けになったら急にいなくなってたんだ。連絡来なかったから何があったのかも分からずじまいだったし」


「ああ、そういえば言ってなかったですね。――、父方の実家に引き取られたんですよ。遠い田舎だったんで元の中学には通えなくなったんです」


 ――ぴたっ。

 炎夏と螢視の歩みが止まる。律季は三歩ほど進んでから、二人がついていないことに気づいた。

 明るい後輩の、突然の暴露。螢視はまだ単純に驚いているだけだが、炎夏は普段の姿を見ている分、とても信じられなかった。


「ちょっと待てよ律季、両親が亡くなったって……俺、そんなこと一言も聞いてないぞ? そんな理由の転校なら全校に連絡来るだろ」


「俺が連絡しないで欲しいって希望したんですよ。俺の問題でみんなを騒がしても悪いんで。新聞社のお悔やみ欄にも載せなかったので、それこそ転校したこと自体、三年だと文月先輩しか知らなかったでしょうね」


「……あああっ!? そうか! 中三の夏休みに、一年生が親御さんを亡くしたって噂が一時期流れてたけど――あれ、水鏡くんのことだったの!? そのあと音沙汰ないから、てっきりガセだって思ってた!」


「同じ中学に二人もそんな奴はいないでしょうね。――そういえば、文月先輩にぐらいは連絡しようと思ってたんだけど、今まですっかり忘れてたな。あの時は手続きとか引っ越し準備とかで、ものすごく忙しかったから……」


 すんなりとそう言う律季。二人は絶句する。

 わずか三年前の話だ。底抜けに明るく素直ないつもの律季と、とても結びつかない。落ち込んでこそいないが、両親の死について語る律季の態度は乾いていて、十五歳に見えなかった。


「祖父母には、うちにはあんまり金に余裕が無いから、中学卒業したらバイトして学費の足しにしろって言われまして。公立校に通えるのとバイト先探しがしやすいってことで、町に戻って一人暮らしすることにしたんです」


「――大変じゃない。そんな切実な理由で働いてるのに、うちの部に入ってきたの? 毎日毎日練習とバイトで……もしかして、本当はやめたかったりしない?」


「全然思いませんよ。天道先輩に会えるんで。この際言っちゃいますけど、俺、もともと先輩目当てでバスケ部に入ったんです」


 確かに、志望者には炎夏にお近づきになりたいという動機が多いことは、彼女自身も理解している。実際今年は、募集人数の実に五倍がバスケ部入部を希望してきた。

 しかし、見学の際にいつも以上に激しい練習を見せてやったらそのほとんどが脱落し、残ったのはバスケ部経験者ばかりだった。


「下心で来てる人は全部落としたと思ってたけど……水鏡くんもそうだったの?」


「もーギンギンに下心ですね。入学式前の祭りの時に天道先輩に一目ぼれしてから、ずーっと意識してもらうために必死でした。練習頑張ってるのも、正直言って半分以上は先輩に振り向いてもらいたいって理由だけな感じです」


 三か月前、炎夏を始めて見た時の光景が、律季の瞼に焼き付いていた。目を閉じればありありと思い出せる。

 新しいアパートに引っ越してきた翌日。近所を散歩していたら、たまたま祭りの最中の天道神社の前を通りがかかった。

 何をやる祭りかも、その神社の名前すらもまだ知らない律季。出店の焼きそばの香りにつられてのこのことやってきた先で、爆乳の巫女が華麗に舞っていた。その胸には、地球上で最も淫靡な音を立てる、二つの鈴がついていた。

 

 ――ぶるん♡ ゆさっ♡ 

 ――もちっ♡ たゆん♡


 水鏡律季は思った――おっぱい、でっっっか!!? 巫女さん、エッッッロ!!!!??


 ――――あのおっぱい、揉みたい!!! いや、揉もう!!!!!!


「……そ、それだけのきっかけで、まったくのバスケ未経験から一年生のエースにのしあがったのか? しかもバイトやりながら……すげーなお前、エロパワー大魔神じゃん」


「否定はしないです。我ながら、スケベ心だけでここまで頑張れるなんて、夢にも思いませんでした」


「あ、あれは昔から代々伝わる、神様に納めるための大事な舞なのよ。それをエッチな目で見てたって、君ってやつは……」


「天道先輩は動くだけでエッチになっちゃうんだから不可抗力です。神様だって欲情してますよきっと」


 天道神社の祭りとなれば、当然毎年テレビ局や新聞社が取材に来る。律季の調べでも、炎夏は『エロ可愛すぎる巫女さん』として、ネット上で全国的に話題になっていた。県外からの見物客も、年々増えているらしい。

 律季しかり、観光客しかり、どうしても下心のある男を寄せ付けてしまうのが炎夏の体質である。本人は何気なく過ごしているだけなのに、自然体で暴力的なまでのエロスを振りまいてしまうのだ。

 つまりなにもかも、炎夏のおっぱいがデカすぎるせいである。


「俺も右に同じだなぁ。そればっかりは男ならしょうがないと思う」


螢視ケージまで!? ううっ、もう……好きで大きくなったんじゃないってのよぉ……!」


「どうしてくれるんですか、俺のゆがんだ性癖を。責任取って付き合ってください先輩っ!」


「いーやーでーすー!」

 

 むっちむちのバストを細腕で抱え込む炎夏。やっぱり『むにゅうううう~~~~~っ♡』という音が立つ。少なくとも律季にはそれが聞こえた。


「――じゃあ、俺はこのあたりで失礼します。アパートこっちなんで」


「そっか。明日は朝練ないから、ちゃんと寝るんだよ。体調壊したら大会もなにもないからね」


「承知です。おやすみなさーい」


 ぱたぱたと手を振りながら笑顔で去っていく律季。二人はそれを見送った。

 満月の方向へと消えていく律季の影。草むらからは虫の声が響いている。


「……動機こそあれかもしれないけど、結構ガチでお前が好きなんだな。律季のやつ」


「うん……。夜の十時までバイトしてるのに、寝る間を惜しんで練習に来てたなんて、全然知らなかったよ。……でも、水鏡くんも分かってないよね。意識して欲しいって言われても、そのせいで無理して風邪でもひかれたら、こっちはマネージャーとして立つ瀬ないのに……」


「お? なんだよ炎夏ホノー? 今ちょっとデレの波動が来たぞ」


「そ、そんなことないっ!」


「そんな躍起になるなよ。でも実際、お前にとっても簡単に袖にできる告白じゃないだろ? もう『勝ったらデート』って言質はとられちゃったわけだし。負けたらともかく、勝った時はどうするつもりだ」


 炎夏は押し黙った。あの時そう言ったのは、ともかく「おっぱい揉ませろ」攻撃をかわしたかったからで、究極的には問題の棚上げでしかない。

 ――もし、律季が勝ってしまったらどうなる? デート一回だけならともかく、大会の試合は一回だけではない。三位以内に入賞すれば、県大会への出場権も手に入る。




『――やっぱりデートだけじゃ我慢できないですっ!

 先輩を県大会に連れていけたら、おっぱい揉ませてください!』




 初戦に勝った後でそう要求してくる律季の顔が、ありありと想像できるようではないか。

 試合の結果によってご褒美をあげるという前例を作ってしまったのも、今になって非常にまずい選択のような気がした。なにしろ、バスケ部は夏も冬も大会がある。炎夏の卒業までに、大小の試合がいくらでもあるのだ。そのたびに律季が、炎夏にいやらしいお願いをしてくるとしたら……。


「ああ、わかったわかった。ごめんな、悩ませること言って。、ちゃんと落ち着いた状態で眠らないと危ないもんな」


「そうだよ、もう。水鏡くんも嫌なタイミングで告白してくれちゃったもんだよ」


「俺はいつも通り翌朝見に行く。――告白された翌日に死ぬなんてことはやめろよ。律季のやつもさすがにかわいそうだ」


 ――空には大きな円い月が昇っている。それはかつて、人を狂気に陥れると信じられた光。ゆえに『Moonstruck』と言い『Lunatic』と呼ぶ。月は人にとって神秘の象徴そのものだ。

 今夜は満月。神秘が現実を侵食する夜。人が狼に変身し、魔女が黒ミサを開く魔の者の夜。天道炎夏もまた、月夜の闇に住まう者たちの一人だ。

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