第9話 弁当箱②
何気なく蓋を開けたら、ひどい臭いとともに、気味の悪いものが眼に飛び込んできた。ビニール袋に入った血まみれの生肉が、びっしりと弁当箱に詰め込まれていたのだ。臭いからして間違いなく腐っていたはずだ。
毒々しい赤とむせかえるような悪臭は、今でもしっかり覚えている。
僕は慌てて、弁当箱に蓋をした。ひどい臭いの粒子が、手や顔にこびりついたような気がした。最悪な気分だ。校庭を横切って水飲み場に行くと、丁寧に洗った。人心地がつくまで、男の子のことをすっかり忘れていた。
夕暮れに染まった校庭に、男の子の姿はなかった。きっと待ちくたびれて帰ってしまったのだろう。
弁当箱に入っていた生肉の件は気持ち悪かったけれど、子供のことなので物事を深くは考えていない。日々の雑多な情報に埋もれて、時間の経過とともに、やがては忘れるはずだった。だが、大人になった僕の脳裏には、生肉の赤黒さと臭いが焼き付いている。
その訳について述べようと思う。
当時、僕は怪獣と戦う特撮ヒーロー番組が大好きだったのだが、時折り、残酷でショッキングなシーンがあった。本来負けるはずがないヒーローが、悪者に殺されて、無残にもバラバラにされるのだ。頭部や手足が胴体から切り離され、文字通りバラバラになっていた。
令和ではありえないことだが、そんな映像が数十年前には放映されていた。もちろん、ヒーローは復活して悪者を倒すのだが、残酷な映像の方が鮮明に覚えている。制作スタッフは新鮮な刺激を求めて、バラバラ殺人を特撮番組に引用したのだろうか?
人間を殺害してバラバラにする。そんな不道徳で悪魔的な行為を、もしかしたら僕は目の当たりにしたのかもしれない。弁当箱に詰められていた生肉は、牛や豚ではなく人間の肉ではなかったのか?
人間の肉は不味くて臭いらしい。そんな噂を学生時代に耳にした。同族を食べるというタブーを防ぐため、
バラバラ殺人が起こる度、新聞やテレビで報じられる度、赤黒い生肉は人間のそれなのだ、という思いが強まっていった。それは今や、確信に近くなっている。
時計の針を小学六年の初夏に戻そう。
翌日、おそるおそる雑木林に行ってみたが、あの弁当箱は見つからなかった。誰かが持ち去ったのだろうか。
もう一つ、不思議なことがあった。キャッチボールをした男の子についてである。あれ以来、低学年のクラスを見て回ったのだが、どこにも見当たらないのだ。あの男の子には二度と会うことができなかった。確かに、よその小学校の子かもしれないし、親戚の家を訪ねてきた遠くの子なのかもしれない。
ただ、僕の中では一つの物語ができあがっている。
あの男の子は何者かに殺されて、無残にもバラバラにされた。その肉はビニールでパックされ、なぜか弁当箱に詰め込まれた。男の子は誰かに見つけてもらいたかったのだろう。たまたま、近くに居合わせた僕が発見者に選ばれた、というわけだ。
我ながら穴だらけの推理かもしれない。夢でも見たのではないか、と思われたことだろう。その通りなのだ。
あれ以来、今でも時折り、男の子は夢の中に出てくる。僕と楽しそうにキャッチボールをして、あの時と同じように仔犬のようにはしゃぎまわるのだ。
でも、気が付くと、男の子は血まみれの姿になっている。あちらこちらから、血がポタポタと滴り落ちていた。右腕が肩のあたりからボロリと落ちた。左腕は肘のあたりから。
男の子は小首を傾げたまま、首から上がズルリとずれて、ゴロンと転がり落ちた。なのに、表情は笑顔のままなのだ。
「ありがとう、お兄ちゃん」生首が屈託なく笑っている。
まさに、悪夢だ。本当なら、こんなことは、すっかり忘れてしまいたい。でも、どうしても無理なのだ。
あの赤黒い色と鼻をつく臭いは、おそらく一生忘れられない。
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