第8話 弁当箱①
あの赤黒い色と鼻をつく臭いは、おそらく一生忘れられないと思う。
僕は小学六年の初夏に転校をした。成績が上がったのだが、頭がよくなったわけではない。勉強に力を入れている学区から、比較的のんびりした学区に移ったせいだ。漢字や算数のテストなら、簡単に百点をとれるようになった。
以前は虫取りとスポーツが得意なタイプだったが、転校後はガリ勉優等生というキャラづけがなされた。僕自身は変わっていない。クラス内での立ち位置が変わったのである。
クラスの男子ではサッカーが流行っていて、昼休みになると皆グラウンドに飛び出て行く。僕はサッカーが得意ではなかったけど、勇気を出して仲間に入れてもらった。スポーツもそこそこいけるキャラづけを狙ったのである。
しかし、完全に裏目に出た。ゴールキーパーを任されたのだが、敵チームのシュートをまともに顔面で受けたのだ。鼻血が吹き出て、頭がクラクラした。保健室で手当てを受けてクラスに戻ると、「ダサい奴」と言われて、すっかりクラスの笑いものだった。
サッカーではなく得意な野球だったらよかったのだが、後で悔やんでも仕方がない。僕のガリ勉優等生キャラは決定的になってしまった。
子供は残酷だ。「ダサい奴とは遊ばない」という不文律があり、まんまと僕ははまってしまった。卒業するまで、キャラの見直しは期待できない。
僕は仕方なく、壁打ちという一人遊びに励んだ。テニスではなく、野球のそれだ。団地の大きな壁面や児童公園の銅像の台座に軟球を放り投げては、跳ね返ってきたところをグラブでキャッチする。ただ、それだけの繰り返しである。
ただ、団地では組合長さんから「音がうるさいから
そのため、壁打ちをするには、自転車にまたがって、小学校の校庭に行かねばならなかった。プールに近いコンクリートの壁なら、校務員さんに見つかっても、怒られることはなかった。
投げては捕り、投げては捕る。リズミカルに繰り返していた。
「お兄ちゃん、うまいなぁ。すごいなぁ」
声のした方を振り向くと、男の子が笑顔で立っていた。背丈が僕の肩ぐらいしかない。二年生か三年生だろう。僕は壁打ちを続けた。背中に視線を感じたので、さりげなく振り向いた。やはり男の子がジッと僕を見ている。
「キャッチボールをしようか?」
声をかけると、仔犬のようにすっ飛んできた。男の子にグローブを貸してやり、ゆっくり下からボールを投げてやった。なかなかキャッチできなかったけど、うまくグラブの中におさまると飛び上がって喜んだ。弾けるような笑顔だった。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。気がつくと、陽が傾いて空が茜色に染まりかけていた。
「もう、そろそろ終わりにしようか?」
「やだ。お兄ちゃん、もっと遊ぼうよ」
男の子の投げたボールが大きくそれて、見当違いの方向に転がっていった。僕は慌てて追いかけた。ボールは思いの外、コロコロと転がっていく。男の子が投げたにしては、信じられない速さだった。
たちまち、校庭の反対側にある雑木林にまぎれこんでしまった。長年放置されているせいか、木々の枝の伸び方は無秩序で、青々とした雑草が生い茂っている。雑木林というより、森に近かったかもしれない。
中に入ってみると、薄暗くてひんやりしていた。湿気を含んだ空気が肌にまとわりついた。
「お兄ちゃん、ボールあったぁ?」
「今さがしてる。たぶん、大丈夫」
そう言いつつ、こいつは手こずりそうだ、と思った。5分ほど探していると、太い木の根元に光るものがあった。白いボールが夕陽を受けて光っているのか、と思ったけれど、それはボールではなかった。
アルマイト製の弁当箱である。なぜか、地べたに放置されていた。どうして、こんなところに弁当箱があるのだろう。誰かの忘れ物だろうか?
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