第7話 なぜ、殺してはいけないのか③


 まともな判断力があれば、ウサギや猫を殺したりはしない。小動物を遊び半分で殺害する人間は、どこかで道を誤ったのだろう。幼い頃の家庭環境や保護者からの虐待、情操教育の不備によるものかもしれない。


 命の大切さについては本来、両親や先生から教えられるはずだ。あらゆる動物の命の重さは人間のそれと同じであり、それはアリであっても一グラムも変わらない。この点を幼い頃にしっかり刷り込んでおけば、人殺しにはならないと思うのだが。


 なぜ、殺してはいけないのか? すでに複数の回答を挙げてきたが、最後にもう一つ述べておきたいことがある。幼稚園の先生から言われたことなのだが、今でも僕はよく覚えている。


「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけない」


 言い換えるなら、あなたが悪口を言われたくないなら、他人の悪口は言わない。あなたが叩かれたくないなら、他人を叩かない。そして、あなたが殺されたくないなら、誰かを決して殺してはいけない。

 

 ただ、幼い頃に命の大切さを教えられても、小動物を可愛がっていたとしても、中には殺人を犯してしまう人がいる。一体なぜなのだろう。大人に成長していく過程で、何らかの変化があったのかもしれない。


 えらい人たちは口を合わせて、刺激的なマンガやテレビドラマなどの影響を挙げている。数十年前、子供向けの特撮ヒーロー番組では、残酷なシーンを放映していた。巨大ヒーローがバラバラにされたり、首が吹っ飛んだりしていたのだ。当時の子供たちにはショッキングなトラウマ回がいくつもあった。


 大らかな時代だったのだ、といえばそれまでだが、えらい人たちが言うように。残酷なスプラッターが殺人を誘発したのだろうか? にわかには信じがたい。当時、殺人事件が増加したという統計が見当たらないし、その意見は信用性に欠けると思う。


 僕は特撮ヒーロー番組をよく観ていた。残酷なシーンを見て、誰かを傷つけたいという気持ちにはならなかったが、その映像には明らかにインパクトがあった。後にホラー映画やサスペンスドラマに夢中になったので、少なからず影響を受けていたのかもしれない。


 霊感があったことも無関係ではない。祖父母の家で幽霊を目撃し、コインロッカーの前で不気味なものを見たのは、実話怪談で述べた通りである。さらに、それ以上に不気味なものを僕は小学六年の時に目撃している。この体験にもスプラッターの影響があったのだろうか。


 その経緯についても、長めの実話怪談にした。

 タイトルは「弁当箱」である。



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