第5話 なぜ、殺してはいけないのか②


 曽祖父は殺人を犯したが、あくまで戦闘中の出来事である。曽祖父は戦時中、陸軍の歩兵だったのだ。上官の命令に従って、敵兵を倒しただけにすぎない。国から褒められることはあっても、罰を受けることは一切なかった。


「一人殺せば犯罪者だが、百万人殺せば英雄だ」というセリフを思い出してしまう。言うまでもなく『殺人狂時代』のチャップリンであり、ちなみに元ネタはドストエフスキーの『罪と罰』らしい。


 僕は祖父母の家にはよく泊まりに行ったが、曽祖父に会ったのは赤ん坊の頃だけなので、明確な記憶はない。ただ、仏壇の中に曽祖父の遺影があったので、目を閉じれば顔を思い浮かべることができる。


 もし、曽祖父が存命なら、「なぜ、人を殺してはいけないの」と訊いてみたいところだ。「戦争だから仕方がなかった」と言われただろうか。それとも、「好き好んで敵兵を殺したわけじゃない」と言われただろうか。


 祖父の話によると、曽祖父は広大な中国大陸を目の当たりにして、この国を占領するのは無理だ、やはり戦争はいけない、と感じたという。戦争が一旦起こると、命が軽く扱われてしまう。そんな現実を曽祖父は中国で実感したのではないか、と思う。


 アリの命の重さは、人間の命と同じであり、一グラムも変わらないという言い方がある。きれいごとに聞こえるかもしれないが、命の大切さについては、誰もが子供の頃に学んできたことだろう。


 犬や猫などペットを飼っていた人なら、より一層、命の大切さを実感できるかもしれない。もちろん、家族の一員に等しいペットを失って、つらい別れを経験したからである。僕は犬や猫を飼っていたことはないが、小学校でウサギの世話をしたことがある。


 小学生三年か四年の頃だった。餌と水を与えたり、小屋の中を掃除したりしていた。ふわふわとした小さな生き物は、まるで生命の塊のように思えた。夏休みや冬休みも交替で面倒を見たものである。


 その頃、他の小学校でウサギが殺される事件は起こった。犯人は不良中学生であり、悪戯半分で命をもてあそんだらしい。幼心に大変なショックを覚えた。可愛い生き物の命を奪うなど、まともな神経の持ち主とは思えない。


 おそらく、犯人にとって、ウサギの命は軽かったのだ。戦争が起こってしまうと命が軽視されることになるが、平和な日本でおいても、こうした悲惨な事件は度々起こっている。あなたも新聞やニュースで、何度も見たことがあるだろう。


 ウサギやネコなどの弱者に対する非道な仕打ち。そうした記憶が幼心に影響したのか、小学生の時に不気味なものを見かけたことがある。


 そういえば、その経緯についても実話怪談にしている。

 タイトルは「コインロッカーの前に潜むもの」だった。






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