2:作家様は居候
燕河さんと人混みを歩きながら、私は人捜しを続けていく
「で、菜穂子と玄って誰だ」
「
「…」
「何か驚くことでもありました?」
「…この辺の鳩波って「華族」の鳩波、だよな?」
「ええ、そうですよ」
「そんなところに居候って、鴇宮先生は何者なんだよ」
「あ〜。私の生まれも華族なんですよ。鴇宮公爵家、知りません?」
「知らん。「家系」なんざ興味ない」
「そうでしたね、貴方はそういう人でした」
燕河さんは私と朱音さんの劇を見た後、家を出ている人だ
家系や血筋、家業なんて言葉は、彼の興味を惹くことはない
むしろ苛立ちを誘発させる危険な言葉だ。この話題は早めに終わらせておこう
「と、いうわけで私はなんだかんだでいいところのお嬢様です」
「そうは見えないけどな。で、なんで鳩波伯爵家に居候しているんだ?ご両親は?」
「そうですねぇ。ところで、燕河さんは私の誕生日を存じていますか?」
「確か、1923年の9月20日だ」
「正解です。なぜ覚えていてくれたのですか?」
「お前が毎年毎年誕生日に何かしろって催促するから。嫌でも覚える」
「とにかく」
「話逸らした」
「…私が産まれた歳の9月に何があったかなんて、言わなくてもいいですよね」
「…ああ。言わなくてもわかる」
1923年の9月、この程度では災害が起きました
関東大震災。そこで私の母親は重症を負いながらも生き延び、私を産んだ後…病にかかって死んでしまった
残された私は、ギリギリまで一緒にいた菜穂子さんが育てることになったと聞いています
そんな境遇ではありますが、菜穂子さんは私を実の娘のように可愛がってくれています
もちろん、当主の孝様や息子の玄さんとも、きちんと家族らしい関係を築けていると思っています
なので、環境に不満はありません
「ご両親は、それで?」
「母は震災を生き延びましたが、私を産んでから少しして…病にかかり、死にました」
「父親は?」
「父親と呼ぶべき人間は母と結婚する前から関係を持っていた相手と今もどこかで睦まじく暮らしているはずです。もしかしたらこちらも病死しているかもしれませんけれど」
「関係を持っていたって…」
「「浮気相手」「泥棒猫」…呼び方は色々あると思います。燕河さんが好きなものをお選びください」
「なんかすまん」
「お気になさらず。私が話したいから話しただけですので」
それに、たまにはクソ親父の事も話しておかないと
うっかりしたら、忘れそうになってしまうので
「ま、まあとりあえず。そういう経緯があって、鳩波に引き取られたんだな」
「ええ」
「養子には?」
「しないみたいです。「鳩波の娘」として、私の将来を縛るのは可哀想だからと」
「なるほどな」
「ただ、菜穂子さんからは「鴇宮がするはずだった教育」は私に与えると…女学校に入学したのもその関係です」
「マジで?受かったの?」
「ええ」
「とりあえず入学おめでとう。今度入学祝いに原稿用紙買ってきてやるよ」
「ありがとうございます。まさか受かるとは思っていませんでした」
「鴇宮先生、計算できないもんな〜。確かにこれはなぜ受かるってレベルだ」
「ふん。燕河さん。私とて出会った頃と同じではないのです。成長をしています…買い物ぐらいはできますとも」
「原稿用紙と万年筆のインクしか買えないくせに何を言うか」
「さ、最近は朱音に教えて貰い、あんぱんを買えるようになりましたし!」
「あんぱんの購入ぐらいその辺のガキでもできるぞ。お前尋常小学校で何をしていたわけ?」
「ずっと戯曲書いてました」
むしろそれ以外にやることはない
授業中でもなんでもお構いなく、私は舞鳥の為に戯曲を書き続けた
しかしそれがどうやら燕河さん的に気に食わないらしく、頭に思いっきり拳骨を食らわせてくる
「先生も同級生も誰一人注意することなんてなかったのに、どうして…」
「お前の特権身分を警戒したんだろうな。全く…授業を受けろ、戯曲バカ。少しでも糧になる話もあっただろうに」
「教師の話に興味はありません。あんなつまらないものに可能性を見いだすことはできません」
「その豊かな想像力で可能性を見いだせ。それが仕事だろうが」
「…燕河さんは厳しいことを言いますね」
「厳しいのはお前の生活がたるんでいるからだ。今は訳がわからなくても、とりあえず聞き入れて実践してみろ」
「いつか、役に立ちますかね」
「それはお前次第。とりあえず、女学校は問題を起こさず卒業しろ…お前の面倒を見てくれている鳩波さんの為にもな」
「わかりました」
燕河さんの助言は悪いものではない
いつも、ちゃんと私を見てから言ってくれるから
ちゃんと為になる助言をしてくれる
「燕河さんはいい人です」
「そりゃどうも」
「なんで結婚しないんですか?」
「今は仕事第一なの…名前のせいで警戒されているだけだけど」
燕河家と言えば、将校を輩出し続ける軍人家系と聞きます。燕河さんが家を出た存在でも、その苗字はつきまとう
警戒されるのは仕方ない話だ
「大変ですね、家って」
「ああ。お互い大変そうだし、いっそのこと苗字捨てたいよな〜」
「苗字がないというのは、一昔前の時代であれば問題なかったかもしれませんが、今では不便ですよ。ここは私と苗字を交換してみませんか?」
「お前の苗字はますます厄介ごとに巻き込まれるだろうが。いらねぇよ」
「私も、言ってなんなのですが、軍人家系の苗字なんていりません。自由なさそう」
「事実無かったよ。あ、鴇宮先生。あれは?なんかお高そうな服を着ている二人組」
燕河さんの視線の先には、確かに見覚えのある男女が二人
確かに、私の探し人だ
「む?あ、菜穂子さんと玄さんです」
「探し人は見つかったらしいな。じゃ、俺はここで…なぜ引き留める」
去ろうとする燕河さんのサスペンダーを掴み、彼の動きを制限する
ここで帰られたら困る
せっかくだから、菜穂子さんと玄さんに燕河さんを紹介しておきたい
「紹介させてくださいな」
「…そういうのは、同性か、異性であれば特別な人間だけにしておけ」
「私の友達として紹介するのは駄目なんですか?」
「お前、一応華族だろ。付き合う人間は選べって怒られるぞ」
「燕河さんは私の特別なのに、駄目なんですか?」
「そういうのはなぁ…」
「———紫苑から離れろ!」
燕河さんが何か言う前に、彼の脇腹に杖が押し込まれる
この距離だ。彼らもまた私たちを見つけてこちらに来ていたらしい
「ぐべしっ!」
「あら」
「大丈夫かい、紫苑。全く…最近の男は不埒な者が多いね。こんな不審者、皆捕まればいいのに…」
杖をつきながら歩く青年は鳩波玄。私が居候をしている鳩波伯爵家のご子息です
産まれた時から呼吸器と心臓に関する病を患い、滅多なことがない限り外すら出歩けない
今日は体調がいいようで…杖があれば歩けるし、他人に攻撃もできるらしい。こんなに元気な彼を見たのは初めてだ
けれど…
「玄さん」
「何かな、紫苑。もしかして怖い目に遭ったのかい?どうする?警察呼ぶ?牢屋ぶち込む?」
「この方、私の友達としてお二人に紹介しようと思ったのですが」
「え」
「…なんなら、この人は私が八歳の時の…初公演からの観客で、いつも感想をくれる人で」
「そんな…戯作家としての紫苑にとって大事な存在に、私はなんて早とちりを」
みるみるうちに顔から血の気が失せ、狼狽える玄さんを菜穂子さんは無言で支え、私に目配せをする
やるべき事は一つだけ。何を成すかは言われなくてもわかっている
「燕河さん、起きてくださいな。玄さんよわよわなのであんまり痛くないでしょ」
「いや、その坊ちゃん的確に杖を急所に入れてきて…超痛い」
「二十二歳のおっさんでしょ。弱音吐かない」
「だれがおっさんだ。起きるけど」
脇腹を押さえつつ、よろよろと立ち上がる燕河さん
私はそんな彼を支えつつ、適当なベンチまで誘導した
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