第2話

 柴田駿は寝不足であった。


 数学検定一級という誇らしい称号のため、ここ一ヶ月くらい寝る間を惜しんで勉強をしていたのである。

 しかし、会場にいた坂口静羽のおかげで目が覚めた。

 

 静羽は学年でも指折りに入るほどのおてんば娘だ。

 彼女はいつも元気で人当たりが良く皆に愛されている。運動神経が良く、体育祭や球技大会でちやほやされるタイプの人間だが勉強は得意な方ではないらしく、天然な一面もある。


 そんな彼女を傍観者として遠くからただ見つめて最初の一年が過ぎた。

 去年一年同じクラスで過ごして、何度彼女の笑う姿をかわいいと思ったのか。数えたくもないが、俺が彼女に一目置いているのは認めよう。


 2年生に進級し、もう一度彼女と同じクラスとわかった時は単純に嬉しかった。

 ただ、彼女は相変わらず人気者であり、そんな彼女の目に自分が映っていないことも理解しており、何の変化もないまま今日を迎えている。


「おまえ、何でこんなところにいるんだ…?」

 部屋に入ってきた静羽に俺は思わず尋ねてしまった。

 失礼だが、彼女が数学検定一級を受けるとは思えない。

 この間の数学の定期テストは、平均点より一点高かったと喜んでいたくらいだ。

 一階上の5級と部屋を間違えているのだと思った。


「検定を受けに来た以外の理由があるなら逆に教えてほしい。」


 彼女は蔑むような冷たい目付きで俺を見上げて普段の姿とは駆け離れた冷静な声でそう言った。


 これは、どうやら本気マジらしい。

 いつも能天気なこいつも、俺と同じ一級を受けるらしい。

 脳の整理が追い付かない中、彼女は困ったような表情を浮かべ、いつも通りの馬鹿っぽい口調で付け加えた。


「ほら、たまには数学の勉強とかやったほうがいいじゃん…!」


「…。まあ、何でもいい。」


 聞きたいことは山ほどあるが、彼女の奇妙なほどの笑顔をを見ているうちにはばかられた。


 今の状況から察するに、彼女は馬鹿を演じている。学校のテストの点数は全て平均並みと言ったところだがよく考えると平均を下回っている印象はない。

 おそらくわざと問題を間違えて点数をコントロールしているのだろう。


 数学一級を受けに来ているということは彼女は相当な実力を持っているはずだ。

 できるのに、できないふりをして生きている。

 これはきっと俺だけが知っている坂口静羽の秘密だ…!


 周りの奴らは試験開始まで参考書に向き合って最後の確認とやらを行っている。だが、想定外の出来事で集中力が欠落している俺と、今も窓の外を眺めている坂口静羽だけは、参考書を開いていないのだった。




「時間です。終了してください。」


 あっけなく試験は終わり、手応えはほどほどといったところだろうか。


 これはおそらく合格していると思いながら筆記用具を鞄にしまい、席を立つ。


 振り返ると、すぐ後ろに坂口静羽が立っていた。


「ねえ、今から時間ある…?」


 いつもの甘ったるい声からは想像できないほど冷たい声だった。



 

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