第2話 日常

 「お母さん、僕がドラえもんになったらどうする」


 テレビ漫画を見終えた4歳の息子の信治が振り向いて、夢都に尋ねた。夢都は、無邪気な質問をする信治に苦笑した。苦笑の訳といえば、その実自分では現金な事を考えた照れなのだろう。すると、信治も微笑みながら、隣でベビーラックに座っている生後5カ月の妹を愛らしい目で見つめてささやいた。


「有紀ちゃんが、ドラミちゃんになったらどうする」

と聞いてくるので、夢都は信治の方に質問を向けてみた。


「シンちゃんはドラえもんになったら、何がしたいの」


「僕はタケコブターで空を飛びたいな」


「お母さんは、タイムマシンで、過去や未来を見てみたいわ」


「タイムマシンか、僕がドラえもんになったら出してあげるね」

と言って、妹を見つめて笑いかけていた。


  時々、子供というのは面白い事を言って楽しませてくれる。しかし、もう信治はドラえもんの話には興味をなくしたのか、また別のテレビ漫画を熱心に魅入っている。


 しかし、夢都の頭からはタイムマシンという言葉が離れないで残っていた。“タケコブター”は、まだ可愛らしい乗り物のように思われる。飛んでいる姿は鳥みたいで面白いと思った。それが、“どこでもドア”となると、タイムトンネルやワープに近く全ての障害物を通り抜けることからも、時間と空間を越えた乗り物ということになる。

 このような乗り物を通して、子供は楽しい夢を見ている。そこには、大人が考えるような打算はないのが当然かもしれない。そういう意味からも、月からウサギがいなくなっても夢の乗り物開発は進んで行く。

 ただ、夢都が子供に尋ねられた時に、すぐ頭に浮かんだタイムマシンとは、単に過去や未来に飛んで行って楽しむだけの物ではなかった。超現実的に、未来の宝くじ当せん番号表を手に入れられる乗り物だった。子供なら単純に、お父さんやお母さんの子供の頃は、どんなだろうかとか、自分のお嫁さんはどんな人だろうかとか、可愛らしい使い方をすると思う。また、そうであってほしいと願うのは親なら当然かもしれない。 


 その意味で、タイムマシンは使い道によっては罪な乗り物なのかもしれない。しかし、それは現実味のある話ではない。そんな夢のような事を考えても始まらないので、夢都は夕食の用意を始めた。



「シンちゃん、有紀ちゃんにミルクを飲ましてちょうだい」

と、やさしく頼んだ。


「いいよ。お兄ちゃんだから妹の面倒みるからね」

と、お兄ちゃん振りを披露する。4年間、一人っ子で育ってきたので、面食らうところもあるようだが、赤ちゃんながらいい遊び相手になっているようだった。


「お兄ちゃんは偉いね」

と、ほめると信治は上機嫌になる。


 信治は有紀にミルクを飲ませながら聞いてきた。

「お母さん、今日のおかずはなに」

と、毎日のように同じ事を聞く。


「今日はね、ハンバーグとポテトと中華サラダ、それからわかめスープよ」

と言うと、飛び跳ねながら喜んでいる。


「わあぃ、わあぃ、僕、ハンバーグ大好き。いっぱい食べて大きくなるよ」


 あまり喜びをあらわにしない時もある。そんな時でも精一杯喜びをあらわそうとしているが、そういう時は食が進まない。


 ミルクを飲み終えると、有紀はおもちゃで遊んでいるようだ。

「お母さん、全部飲んだよ」

と言って、ミルク瓶を持ってきた。


「シンちゃん、どうもありがとう。もう少し待ってね。ハンバーグ出来るからね」


 そこへ、電話のベルがなり響いた。


「あっ、お父さんだ」

と言って、跳んで行き、受話器を取った。


「お父さん、早く帰って来て。おみやげ買って来てね」

いつも受話器に向かって同じ事を言っている信治だった。


「よし分かった。お母さんに代わって」


「お母さん、はい」

受話器を渡した。


「今から帰るので、9時ぐらいかな。何か変わった事あった」

やさしく尋ねた。


「変わった事はないわ。じゃ、気をつけてね」

気遣うように言った。


「ああ、分かった」

と言って、携帯を切った。


「お父さん、早く帰って来るって」

心配そうに聞く信治だった。


「いつもの時間だから、食事して、お風呂に入っていようね」



 夢都は、ようやく出来た料理をテーブルに並べて、今日の楽しい幼稚園での出来事や友達の家での楽しい遊びの話を聞きながら、夕食を食べ始めた。食事も終わり、後片付けを終えた。そして、風呂の支度をした。


「お母さんが先にお風呂に入って身体を洗うから、お兄ちゃんはもう少ししてから、有紀ちゃんの洋服を脱がして連れて来てね」

と、いつものようにやさしく頼んだ。


「いいよ、マンガが終わったら、僕も入るからね」


 マンガが終わるとテレビを消して、有紀の洋服を慣れた手付きで上手に脱がし、風呂場へ連れて行き、夢都に渡した。


「お母さん、このおもちゃ入れていい」

と言って、塗装されたものやら電池が入っているのを持ってきた。


「そういうのは駄目よ。錆びたりして壊れるから。いいのは、プラスチックやゴムで出来ているものね」


 夢都は有紀を風呂に入れ、信治が身体を洗うのを見届けてから、風呂を出た。信治は、心置きなく遊んだのか、お風呂から上がってきた。そして、夢都は8時に子供達と寝床に入った。二人が眠りについた事を、夢都は確認した。



 遅い帰宅の時は、子供を寝かせて、9時からの2時間ドラマを見ていた。陽一の帰りがいつも、ドラマの結末の時になるので、録画ボタンを押し忘れて最後がよく分からないことがある。それで、そんな時は結末を組み立ててしまう。それが高じてか、かなり想像力が豊かになって、睡眠中に見る夢がドラマめいている。


 夢というのは、現実にはあり得ない事が起こる。確かにもう済んでいるのに何で今また、過去と同じ事をしているのだろうと考え、夢を見ながら、冷静に状況を判断して、おかしいことに気付く。そして、夢から覚めようと必死になっていることがある。夢の中には上手く出来たものもあり、夢と分かってもこのまま見続けようとすることもある。また、別の日に夢の続きを見たりする人もいるという。

 夢は、その人の記憶の痕跡の中から見ているというが、経験も願望もした記憶がない夢がある。もしかしたら、記憶した覚えがないと思ったものも、忘れていることや幼い時の記憶や無意識に目にしたものなのかもしれない。

 夢の現実離れは、眠ってからかなり時間が過ぎるので、起きている時との時間的連続性がなくなることや、脳に来る刺激が極端に少ないので外界との空間的連続性がなくなる事から起きるともいわれる。また、脳の活動が低下するので、辻褄の合う事が考えられなくなるともいわれる。そして、過去の記憶が浮かび易い状態になっていくようだ。それならば、もう一度あの小説のような夢を見たいというのなら、少しでも小説を読んで自分自身の記憶痕跡の幅を広げて、まるで音楽家によって芸術的に音符を並び替えられたかのように、自分の脳の中の記憶痕跡を並び替えて夢を浮かび上がらせなければならない。しかし、夢は気まぐれだからそれを見られる確率は万に一つかもしれないので気が遠くなる。


 夢都は記憶というものが不思議でたまらない時がある。そんな事を考えるのは文章を書く時で、例えば手紙の文面が思い浮かばなくて困り果てている時だ。それは、突然に天から手紙の文面が何枚も降って来たかのように頭の中にあふれる。夢都はこれを、タイムマシンのような物ではないかと思ったりする。アインシュタインには悪いと思いながら、夢都の頭の中から光よりも早く超高速粒子なるものが飛び出て行く。そして、これから書くはずの手紙の文面を、未来から持って来ているのではないかと考えたりする。タイムマシンを機械的に作ることは出来ないが、自分自身が誰でも頭の中に持っていると考えれば、こんな心強い事はない。

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