四節:それでも慕う『北千種瑠璃』
忘れかけていたけど
ついに迎えた学祭当日。
開会式を終えると、いつの間にか学園内は熱気と活気に包まれていました。
「二年B組! フランクフルト売ってまーす! いかがですかー!」
「お化け屋敷絶賛大好評中でーす! ほら、そこの君たちもどう!?」
「文芸部、新刊販売してます! よければご覧くださーい!」
そんな飛び交う宣伝の嵐の中を通り抜け、ようやく
振り向かずとも、その相手は誰だかわかりきっています。
「兄さん」
兄さんはわたしの顔を見るなり優しく微笑みました。
いつもクールな『学園の貴公子』……なんて呼ばれているみたいですが、わたしからしたら、そんなふうには一切思いません。
「こんなところでどうしたんだ?」
「14時に演劇を披露する予定だから、それまで練習しておこうと思って」
「練習って……せっかくの学祭なのに、楽しまなくっていいのか?」
「うん。別にこれといって見たいものもないし。それよりも、セリフを忘れないようにもう一度見直しておかないと」
「……真面目だな、瑠璃は」
兄さんはその大きな手でわたしの頭を撫でました。
温かくて、どこか安心する。
……だけど、最近はちょっと違う感じがして。違うというか、なんでしょう……違和感、というのでしょうか。
兄さんのことは嫌いじゃないけど。
「兄さんも練習に付き合ってやろうか?」
「……ううん、大丈夫。わたし、一人でできるから」
兄さんは少し寂しげに眉を下げた。
ちょっぴり罪悪感を感じつつも、「そういうわけですから、ほっといといてください」と言って、この場を切り上げようとしたときでした。
ピロン、とスマホの通知音が鳴ったのです。
誰からだろう――とスマホを確認すると、
……ああ、そうそう。同じクラスメイトですから、連絡先交換はすでに済ましているのです。
さて、内容は――というと、『いっしょに学祭を巡らないか』と、お誘いのメッセージが届いていました。
「……え!?」
まさかこんなことがあるとは夢にも思わず、驚きの声が洩れてしまうわたし。
(ど、どうしたんでしょうか……御大地くん、そもそも学祭自体に興味なさそうなのに……!)
わたしの反応が気になったのでしょう、兄さんは「どうした?」と聞いてきました。
「……えと、クラスメイトから、学祭を巡らないかお誘いがあって……」
「そのクラスメイトって、御大地のことか?」
「……うん」
わたしはなんだか照れくさくって、兄さんから目を逸らしつつ頷きました。
「よかったじゃないか。瑠璃、そいつのこと気になってるんだろう?」
「別にそういうのじゃ……」
「嘘をつかなくていい、見ればわかる」
兄さんにそこまで言われてしまっては否定できません。
「行ってきたらいい。せっかくいっしょにいれるチャンスじゃないか」
「……でも、わたし……」
「演劇のほうなら心配ないさ。瑠璃はできる子なんだから」
「……うん」
兄さんがそう言ってくれるなら大丈夫……ですね。
「わたし、行ってきます」
「ああ」
兄さんはいってらっしゃいの挨拶代わりに、わたしの額に口づけを残しました。
昔から、兄さんは何かあるときこれをしてくれるんです。
「……兄さん。わたし、もう子供じゃありません」
「兄さんにとっては、瑠璃はまだ子供みたいなもんだよ」
出ました、兄さんのそのセリフ。歳もひとつしか違わないのに、兄さんったら大人ぶるんだから。
まあ、そんなことはいいです。今すべきことはひとつだけ――早く、御大地くんに会いに行かなくちゃ。
わたしは御大地くんに『いいですよ』と返答すると、すぐに『教室待ってる』と返ってきました。
途端に弾む心。やっぱり気持ちは正直です。
「それじゃあ、兄さんも生徒会のお仕事、頑張って」
「ああ」
わたしは兄さんと別れ、御大地くんの元へ急ぎました。
◇
「御大地くん、お待たせしました」
教室では、御大地くんが待っていてくれました。
御大地くんはわたしに気づくなり本を閉じると、こちらを見て手を振ります。
早速教室を出て、二人で賑わう廊下を歩きながら、わたしは「なんで誘ってくれたんですか?」と、聞いてみました。
御大地くんは「ああ、それは……」と、こう答えます。
「円樹先輩に『出し物見に来て』って誘われてて。執事喫茶って一人じゃどうも入りづらいし、北千種さんどうかなって」
「……」
……わたしってば、なんであんなに浮かれてたんでしょう。そういえば、そうでしたよね。御大地くんはわたしじゃなくって、円樹先輩のことが好きなんだから。
(わたしったら、御大地くんのお誘いにすっかり浮かれて忘れていました……)
さっきまであんなにうれしい気持ちでいっぱいだったのに――今は寂しさで、胸が詰まります。
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