学祭の幕開け

「……で、なんの用なの?」


 貴志たかしくんと廊下を歩く中、気まずいながらもアタシはいつもの調子を努めて聞いた。貴志くんはアタシが図書室での出来事を見たと知っているわけじゃないし、勝手に気まずくなっているのはアタシだけなんだけれど。


「ああ、閉会式の衣装ができたので、試しに着てもらおうかと。閉会式直前で太っていて入らないって事態になったら、大変ですしね」

「貴志くんって、ほんっとにデリカシー、どっかに置いてきてない……?」


 貴志くんを睨んだが、意に介していないようだった。これでも『学園の貴公子』って呼ばれてるんだから不思議だ。


 ……。

 ……それにしても、この廊下の距離がいつもよりすごく長く感じる。


(貴志くんは、どうしてあのとき瑠璃るりちゃんにキスなんて……)


 何度見間違いだと自分に言い聞かせても、やっぱりそうとは思えなくて。いや、そもそも瑠璃ちゃんからした可能性もある……のかな? ……ううん。あれはやっぱり、貴志くんから動いているように思えた。


(貴志くんは、瑠璃ちゃんのお兄ちゃんのはずなのに、そんなの――)


 ――「変だ」。そう思いかけて、アタシは思わず口を押えた。


 違う、アタシだって同じだ。

 アタシだって、んだ。


 ……なら、アタシも『変』なのかな。


 そんなこと、今まで一度も思ったことない。だってアタシのこの想いは『恋』で、守に対する『愛』なんだから。


 貴志くんも、きっとアタシと同じ?


「た……貴志くん」

「……? なんですか?」


 アタシが先に歩みを止めたことで、貴志くんも数歩先で足を止めた。


 突然呼び止められたことで、貴志くんは訝しげな視線をアタシに向けている。


「貴志くんって……」


 ――瑠璃ちゃんと、どんな関係なの?


 ……なんて、そんな踏み込んだことを聞けるわけもなく、アタシは言葉を飲み込んだ。


 すると、貴志くんはアタシの事情を察したのか、驚きの言葉を返してきた。


「気になってるのは、俺と瑠璃との関係ですか?」


 まさか貴志くんから言われるとは思ってもみなくて、アタシは動揺した。それが顔に出ていたのだろう――貴志くんは「そうでしたか」と呟いた。


「き……昨日、気づいてたの?」

「ええ。先輩のブロンドヘアーが逃げるように揺れるのが見えましてね」


 貴志くんは淡々とした振る舞いを見せている。どうしてアタシにあんな場面を見られたと知っても、そんな堂々としていられるのだろう。


「……瑠璃は、唯一血の繋がった家族なんです」


 突然語られた事実に、アタシは「……え? それってどういう……」と、聞き返した。


「小さいころに両親は事故で他界してしまって、今は父方の叔父夫婦に引き取られて暮らしているんです。最低限育ててくれますが、なんというか叔父たちは俺らに無関心で……俺は瑠璃だけは寂しい想いをさせないように、ずっと寄り添ってきました。それは今も変わりません」


 流し目にこちらを見る貴志くんは、アタシの反応を逐一伺っている様子だった。


「――だからあのキスは、愛情表現のひとつなんです。瑠璃に対してそんな下心なんて持ち合わせていません。俺が瑠璃に向ける感情は『純愛』そのものです」

「純……愛……?」

「ええ。だから先輩、どうか忌憚せず、これからもお話してくださればと思います」


 そんなことを言われても、アタシはそんな簡単に気持ちを切り替えられそうにもなかった。


 知ってしまったものは――そう簡単に忘れられない。


「ところで、先輩は御大地みおおじに夢中なようですけど」


 急に守の話になり、アタシは戸惑い肩を揺らす。


 そこで、アタシは優子の言われた言葉を思い出した――『貴志が円に『恋』してるってことよ!』って。


 もしかして、優子の読みは本当に当たっていて、瑠璃ちゃんへの愛情表現と、『恋』はまた別だったり……?


 訳もわからずただ混乱していると、気づけば、貴志くんはあと数センチのところまでこちらに近づいてきていた。


 至近距離で目が合い、緊張が走る。


 そんな中、貴志くんはいつもの調子で口を開いた。


「先輩。御大地からは、手を引いてもらえませんか?」

「……え?」


 ――それって、やっぱりアタシのことが好きだから……? なんて自意識過剰みたいなことを考えていると、続けて放たれた貴志くんの言葉は、予想の斜め上のものだった。


「瑠璃の奴、御大地のこと気になってるみたいで」

「…………」


 ――困惑と呆れと怒りが、ごちゃ混ぜになったような……よくわからない感情がアタシの中で渦巻いた。


 ……うん、とにかく、ここは冷静に自分の意志を伝えるのよ、アタシ。


「……悪いけど、アタシは引く気はないよ。アタシだって、守のこと好きなんだから」


 貴志くんはしばらく考え込み、「……あの」と、こう続ける。


「例えば、俺じゃダメなんですかね」

「……え、何が?」

「『恋』の相手です」

「……は?」


 ――待って、どういうこと……? ……ダメだ、思考が追いつかない。


「恋愛ごとは俺とすれば、御大地と関わらなくなるかなって思いまして」


 そう話す貴志くんの表情は、いたって真面目そのものだった。アタシは必死に頭の中で状況を噛み砕きながら、「ご、ごめん、つまり……?」と、結論を促した。


「――俺と付き合うのはどうですか?」


 一瞬、頭が真っ白になった。


 そういったセリフは、今まで何回か受けたことがある。……だから、その言葉自体の意味はよくわかってる。


「……あのさ、まず聞きたいんだけれど……貴志くんはアタシのこと、好きなの?」


 貴志くんは「憧れだったり尊敬の気持ちはありますけど、それだけですね」と答えたあと、続けて、


「俺にとって、一番は瑠璃ですから」


 と、平然としたままに言い切った。


 愕然とした、というのが正しいのかな。貴志くんのことが、どんどんわからなくなっていた。


 えっと……結局、アタシが好きだからじゃなくて、アタシと守を引き離すために、付き合おうとか言っているんだよね?


 ――いや、別に好きになれって言うんじゃないんだけれど……どう整理つけたらいいの、この気持ち。


 好きじゃないのに恋愛するって、それは恋愛なの?


 っていうか、貴志くん自身はそんなのってアリなの……!?


 ……。

 まあいい……今は、アタシの答えを返すのみ。


「貴志くん」

「はい」

「……ごめんなさい」

「そうですか」


 あまりにもあっさりした受け答えに、ああ、本当にアタシのこと興味ないんだな……なんて思った。


「わかりました。まあ、今はとりあえず先に家庭科室へ行きましょうか。手芸部のみなさまを待たせるわけにはいきませんし」


 ――その言い方は、アタシが守から手を引かないことに納得していないようにも取れた。


 まるで何事もなかったかのように、スタスタと先を歩き出す貴志くん。


 アタシはしばらくその場に立ち竦んでしまっていたけれど、すぐに我に返って、急いで貴志くんの後を追いかけた。


(うぅ……なんかモヤモヤするけれど、今は何も考えないようにしよう……)


 ――恋愛マンガに夢見て、『恋』にずっと憧れていたけれど、現実は思った以上に複雑に想いが絡み合っていて……きれいなだけじゃないと、この瞬間、深く実感する。


 高校最後の学祭が目前に迫る今、こんなに不安を抱え込むのは――初めてだった。

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