ぎゅーってしていい?

 ―― 「――つまり、二人が『恋』に落ちる可能性は超高いってこと! 恋のライバル出現ってことよ!」


 優子ゆうこの言葉が胸に引っかかったまま、そのあとずっとモヤモヤした時間を過ごしていた。


 優子は『恋のライバル』だって言っていたけれど……実際は、ライバルでさえない。だってアタシ自身が、恋人候補の土俵にすら上がれていないんだから。


 アタシはまもるの血の繋がった姉。どんなに守を想っても、 守はアタシの『恋』許してくれないと思う。


 アタシはそんな守や気持ちがわからなくもない。

 でも、守自身の本当の気持ちは――。


(こないだも全然頼りがいあるところ見せられなかったし……アタシって全然ダメだ)


 勉強も運動も部活の助っ人も、全部そつなくこなしてきたと自負しているけれど……守との関係だけは、どうも上手くいかない。


(『恋』って、こんなに難しいものだったなんて)


 そう思いながら廊下を歩いていると、向こう側から守が歩いてきていることに気づいた。アタシはうれしくなって、「守!」と呼びかけながら駆け寄っていく。


 守もこちらに気づき、いつもの無表情顔を見せているが、アタシは見抜いている――守がアタシを見て、胸を弾ませたこと。


 バレていないと思っているだろうけれど、アタシはわかっている。守がアタシを見つけて、一瞬微笑んだことに。


円樹つぶらき先輩は、これから学祭の練習ですか?」

「まあねー、今日はダンス部と打ち合わせ。明日は軽音部と歌の合わせをやって、明後日が生徒会に……」

「……やることが多いですね」

「んー、なんかいろいろ任されちゃってて。ま、毎年のことなんだけれどね」


 アタシは苦笑いしながら話すと、守くんは心配そうな眼差しを向けてきた。


「本当に大丈夫ですか? 円樹先輩、人がいいですから、頼まれただけやってしまってるんじゃ……時には断ることも大事ですよ」

「心配ご無用だよ! それにね、みんなが喜んでくれるなら、アタシだって喜んで手伝いたいって思うから」


 守は安心したように、「……なら、いいですけれど」と小さく笑った。


「無理だけはしないでくださいね」

「うん! 無理なんてして……」


「してない」と言いかけて、アタシは一度言葉を飲み込んだ。


 最近は学祭のせいで話す機会も減ってきているし、守とは学年が違うせいで、大半の時間もいっしょに過ごせていない。


 ――だから、今ある時間を大事にしたい。


「……ううん。ちょっとだけ、疲れちゃったかも」


 アタシ先輩だし、お姉ちゃんだけれど、ほんのちょっとくらい甘えてもいい……よね?


「ねぇ、守。……ぎゅーってしていい?」


 守はみるみる顔を赤くさせて、返事をせずに目を逸らした。アタシは、あとは手を伸ばせば届く距離まで守に近づいて、上目遣いで問いかけてみる。


「……そんなことして、何になるんですか」


 ようやく守は口を開いたかと思えばこれだった。いいですよってすぐに言ってくれればいいのに。


「何になるって……アタシの疲れが取れて、心身がリラックスされるの」

「ただそんなことしただけで、ならないと思いますけれど」

「な・る・の! 疲れた本人が言ってるんだから、間違いないでしょ!」

「……でも、僕らは……」


 ――ああ、じれったいな。


 アタシはもう守の了承を待たずに、その背中に腕を回した。守の首筋からは、ふわっと爽やかな制汗剤の香りがした。夏の暑さも忘れるくらい、互いの体温が触れ合って心地いい。


 ずっとこのままでいたい。守といると、こんなにも安心する。


「……先輩、長くないですか」

「もう少しだけ」


 腰のあたりで、何かが這う感覚がした。ああ、手のひらだ。守の手のひらが、そっとアタシの腰を撫でている。


 ――なんだかくすぐったくてムズムズしてきた。


「……守、くすぐった――」


 アタシは笑って、少し身体を離して守の顔を見た。一方で、守はすごく真剣な表情かおをしていて。


 なんだか艶っぽくて、でも、その眼光は鋭くて。


「守……?」

「……円樹先輩」


 ……。

 …………あ。


「……守、アタシってお姉ちゃんなんでしょ……」

「……その前に、僕だってひとりの男ですし……」

「……守」


 ――これ以上は、いけない。


 直感的に悟ったアタシは、守から身体を離した。


「あはは、ぎゅーってしたら、疲れ取れたかも!」


 気まずい空気を取り払うように、なるべく明るく言ってみせた。


「……。……僕はどっと疲れましたよ……」


 一方守は、すっかり赤くなった顔を隠すように、口元に手を添えて話した。


 一度アタシたちは見つめ合う。なんだか照れくさくて、すぐに目を逸らした。


 そろそろ、アタシも行かないと。


「じゃあ、アタシ……そろそろ行くね」


 後ろ髪を引かれる思いがありつつも、アタシは守の横を通り過ぎていった。


 背後で、守も歩き出す音が聞こえる。少しずつ離れていく距離が、急にアタシを寂しくさせた。


 廊下の曲がり角を曲がる直前、アタシは何気なく守のほうを見た。

 守も、どうやら同じタイミングで振り返っていたみたい。


 バッチリ目が合ってしまって、守は慌てた様子で前を向いて早足で歩いていってしまった。


 その挙動も、何もかもが愛おしい。


 そんな守の全部をアタシの物にしたいけれど、それは簡単には叶わない。


 アタシはすでに、『血の繋がり』を得てしまっているから。


 それ以上は何も望めない。それ以上は、本来は傲慢で罪なことなんだと思う。


 ――でも、それがなんだっていうんだろう。自分の心に従うのが、一番なんじゃないの?


(……そう思ってるわりには、アタシったら、あそこでビビっちゃったけれど)


 もしあのまま抱きしめ合ってたら――って、ダメだ、考えられない。


 なんか、それはすごくいけない気がするし……何より、守の気持ちを踏みにじる行為だと思う。


 ――姉として、これ以上甘えるようなことは、しちゃダメ。


 それがアタシの決めた、守に対するルールだ。


(早くダンス部のとこ行こっ)


 アタシは気持ちを切り替えて、ダンス部の部室まで小走りに向かう。


 途中で図書室の前を通りがかった。扉の窓の向こうには二人の人影があることに気づき、アタシはなんとなく足を止めた。


 窓から顔を覗けば、貴志たかしくんがいた。その隣にいるのは、眼鏡をかけた一年の女子生徒――瑠璃るりちゃんだ。こう見ると、顔立ちも似ていて本当に兄妹なんだなと思った。


 二人は何か話してる様子だった。アタシはそれ以上気にすることなく、再びダンス部へ向かおうとしたのだけれど、不意に視界に入ってしまった二人の行動に、アタシは足を止めてしまっていた。


 ――だって二人は、今確かに。


「……え」


 思わず小さな声が洩れ出てしまうほどに、アタシは動揺していた。


 だって、二人は今確かに――のだから。

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