恋する人への応援〈エール〉

 放課後、アタシはまもるのいる教室クラスへと行ってみた。一年のクラスはもうだいぶ生徒は出払っていて、A組の教室を覗けば、守だけが残っていた。


 守は自分の席で、白い表紙の冊子を読んでいた。


 もしかして、演劇の台本だったりするのかなと思いつつ、声を掛けたら邪魔になるかもしれないと、入口から守の様子を見ていたけれど、しばらくして、守はアタシの存在に気づいて、冊子から顔を上げた。


円樹つぶらき先輩、何しているんですか、そんなところで」

「えへへ、ちょっと守の様子、見てた」


 アタシが苦笑いを返すと、守は冊子を閉じた。アタシは教室に入り、守の近くまで移動する。


「ねぇ、それって、演劇の台本?」

「はい。本番までにセリフ覚えなきゃならないんで、読んでいたんですよ――っていっても、そこまで王子様役のセリフは多くないので、だいたいは覚えましたが」

「ほんと、守が王子様役なんて意外だよねー」

「僕も驚きましたよ、まさかクラスメイトに選ばれるとは思いもよりませんでしたし」


 守との何気ない会話のやり取りは、やっぱりアタシの心を満たしてくれる。もし、アタシたちが初めから姉弟として同じ家で暮らしていたのなら、夕ご飯を食べながら、こんな話をしていたのかな。


(……って、そんな感傷に浸っている場合じゃないんだった。アタシは守に、頼りがいのあるところを見せてアピールしなくっちゃ……!)


 まだ、守がアタシへの気持ちがあるのなら、アタシだって守への気持ちを全力でぶつけたい。


 お互い、後悔がないようにしたいんだ。


「……ね。練習、付き合ってあげよっか?」


 守はアタシの申し出に、少し困惑の色を浮かべたけれど、アタシは構わず話を続ける。


「守の演技、見てあげる。アタシね、前に演劇部の助っ人だってしたことあるんだよ」


 守は「そんな、見てもらわなくたって……」と、言っていたが、アタシは「いいから!」と言って、台本を取り上げた。


 ペラペラと台本のページを捲る――王子様が出るシーンは……このあたりか。


「じゃあ、ラストのシーンやろうか。ここが決まらなきゃ、全部がダメになっちゃうしね」

「ラスト……ですか?」

「うん。シンデレラと再会したシーン、やってみよ!」


 アタシはそう言って、近くの椅子に着席する。


 目を瞑り、自分をシンデレラに投影させる。


 今アタシの足にはピッタリフィットしたガラスの靴がある。シンデレラだと証明できて高まる気持ちを自分の中に作り上げていき、アタシは再び目を開けた。


 近くで見守ってくれている守――ううん、王子様に視線を向け、アタシは微笑みかけた。


「……っ」


 王子様は息を飲んだ。どちらかというと、演技に入りきれていない守が、ただ緊張して唾を飲み込んだようにも思えたけれど……細かいことは構わない。


「……王子様」


 アタシは席を立ち上がり、シンデレラとしての振る舞いを見せた。


「……。……僕の姫、ここにいたんだね」


 ようやく、守も演技に身を入れはじめてくれたみたいだ。


 守はこちらへ駆けて、アタシの両手を取った。近づき、見つめ合う二人。再会した喜びを噛み締めるように、アタシたちはあの夜を思い出し、踊りはじめる。


「もう一度君に会えてよかった」

「はい、わたしもです」


 徐々に動きを止める二人。王子様は、「君に会ったら、これを伝えようとずっと思っていたんだ」と言って、シンデレラの手を取りながら膝まづいた。


「――僕と結婚してください」


 思わず、アタシの心もときめく。


「……はい」


 あくまで、これは王子様の言葉なのだけれど、もし本当に守と結ばれることがあるのなら、どんなに幸福なことだろうと、この一瞬で思いを馳せた。


 再び見つめ合う王子様とシンデレラ。お互いの瞳に惹かれ合うようにして、自然と顔を近づけていく。


 これはもう、シンデレラとしてじゃない。

 アタシは心のままに守を求め、静かに目を閉じていた。


 吐息が間近まで感じた、そのときだった。



「あら〜、素敵なシンデレラでした」



 ――二人だけの世界に割って入る、第三者の声。


 アタシは咄嗟に守から離れ、声の主を見た。

 その正体は、お下げ髪で眼鏡をかけた女の子。


「……北千種きたちぐささん」と、隣で守は言った――ということは、この子が話で聞いた瑠璃るりちゃんか。


「わたし、見ていてドキドキしちゃいました。やっぱり円樹つぶらき先輩がやると、その美貌に圧倒されますね。まさにシンデレラに相応しい感じがします」


 ニコニコと話す瑠璃ちゃんだったけれど、なんだかそんな瑠璃ちゃんが少し怖い感じがした……気のせいかもしれないけれど。


 ――と、とにかく何か話さないと気まずいままだよね……!


「あはは、ありがとうね。でも、瑠璃ちゃんのシンデレラもすっごく素敵だと思うな。アタシ、当日楽しみにしてるね」


「円樹先輩にそう言っていただけるなんて、うれしいです」


 その後、生まれる沈黙。


 ――うぅ……なんだか空気が重い……!


 いたたまれない気持ちでいっぱいで、どうすればいいか悩んでいるところに、この沈黙打ち破ってくれたのは守だった。


「北千種さん、衣装合わせ終わったの?」

「ええ、特に問題なく。次は御大地みおおじくんの番ですよ」

「……ああ、わかった」


 守はアタシを向いて、「そういうわけなので、行ってきます」と言い、教室を出て行った。


 ……こうして、瑠璃ちゃんと二人きりになってしまったアタシ。


「えっと……じゃあ、アタシも帰ろうかな〜」


 瑠璃ちゃんとはあんまり話したこともないし、何より、演技の練習とはいえ、あんな場面を見られてしまっては……なんだかアタシも気まずくて、この場から逃げるように身を引こうとしたんだけれど――


「お二人、とてもお似合いですね」


 ――不意に掛けられた瑠璃ちゃんの言葉に、引き止められてしまった。


「正直羨ましいです。わたしが、円樹先輩だったらよかったのに」


 眼鏡の奥に控える瞳は、反射の光でよく見えない。


 だけれど、その言葉の真意がわからないほど、アタシは察しが悪いわけじゃない。


「……そうかな。逆にアタシは、瑠璃ちゃんみたいになりたかったな」


 そう返すと、瑠璃ちゃんはきょとんとした表情をしていた。


 そりゃあ、事情を知らない瑠璃ちゃんからしたら、そうなると思うけれど。


 アタシは、ただ守と同じクラスメイトだけの関係でいられる瑠璃ちゃんが羨ましい。

 そこになんのしがらみも、ハードルもないんだから。


「瑠璃ちゃん」


 ……まあ、だからってアタシはそこでメソメソしているつもりはないけれど。



「――お互いさ、全力で『恋』、頑張ろうね!」



 アタシの気持ちはいつだって変わらない。


 むしろ、ライバルがいると知って俄然想いが強くなったくらいだ。


「アタシに気を遣ったりとか、絶対にしないでよね。瑠璃ちゃんは瑠璃ちゃんなりに、全力で守にぶつかるんだよ!」


 瑠璃ちゃんは目を丸くして、「は……はぁ」と答えていた。


 なんだか困惑しているみたい。アタシ、変なこと言ったかな?


 ……ま、いっか。


「じゃあね瑠璃ちゃん! 演劇、ちゃんと見に行くから!」


 アタシはそう言って、教室を出た。


 しばらくして、アタシは気づく。


(あれ? そういえばアタシ、何か頼りがいのあるとこ見せれてた……?)


 振り返れば、アタシってただただ久々の守との時間を楽しんでいただけだったような……?


(せっかくのアピールするチャンスだったのに……)


 アタシは誰もいない廊下で、ひとり肩を落としたのだった。

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