今だけ、お姫様でいさせて

 学園の中庭なら誰もいないだろうということで、御大地みおおじくんといっしょにそこへ向かってみると、わたしたちの目論んだとおり、そこには誰もいませんでした。


「このへんは涼しいな」

「そうですね」


 夏の時期ではありますけど、今はそよ風が吹き、このあたりは木に囲まれていて、直接太陽の光にも当たることもありません。さらに夕刻ということもあり、暑さは緩和されていました。


 わたしたちはベンチにカバンを置いてから、互いに少し距離を空けた状態で向かい合います。


「じゃあ、問題の舞踏会のシーンやってみるか。台本だと、 舞踏会に現れたシンデレラに王子様が一目惚れして恋に落ちて……そのまま踊りに入るんだよな」

「ええ。……あの、でもその前にひとつ、いいですか?」


 なんとなくここまで来てしまいましたが、練習を始める前に、確認しなければならないことがあります。


「御大地くん、こんなことして怒られませんか?」

「こんなことって?」


 そう返す御大地くんは、この状況がどんなことか本当にわかっていないみたいでした。


「それは、今から舞踏会のシーンの練習をすることですよ」

「演劇の練習をして、一体誰に怒られるんだよ」

「鈍いですねぇ。だって今、中庭でわたしと二人きりなんですよ。わたし、一応女子なんですけど」

「……はぁ」


 ――「はぁ」って……わたし、意識されてなさすぎですね。


「だから、円樹つぶらき先輩にいらぬ誤解を持たれて、怒られちゃうかもですよ?」


 鈍感な御大地くんにていねいに説明してあげましたが、御大地くんの反応は思っていたのと異なり、なんだか脱力した様子を見せました。


「怒られるって……僕が円樹先輩に怒られる筋合いなんてないさ」

「えー、でも、彼女さんじゃないんですか?」

「彼女って……前にも話したろう、僕と円樹先輩の間には何もない、ただの先輩後輩の関係だ」

「ふぅん…… でも、そうは見えないんですよねぇ」

「……あんまりしつこく聞くと、もう練習付き合わないぞ」


 御大地くんがそう言い出してしまったので、わたしはこれ以上追及するのはやめました。


 ここまで頑なに否定されると、わたしの読み違い……ですかね。それならそれで、わたしにもチャンスがあるってことになってうれしいんですけど……。


(うーん、腑に落ちませんねぇ)


 わたしが頭を悩ます一方、すでに練習モードに切り替えていた御大地くんは、「あ、そうだ」と言って、ズボンのポケットからスマホを取り出し、何やら操作を始めました。数秒して流れ出したのは、どこか聞き覚えのある音楽。


「シンデレラのアニメの舞踏会シーン、動画あったから流してみた。音楽あったほうが踊りやすいだろ? アニメを観ながら動きもわかるし」


 それは、誰もが一度は観たことがあるであろう、有名なアニメでした。わたしもよくこれを観て、王子様との恋愛を憧れたものです。


「じゃあ、やってみるか」


 御大地くんの合図を受け、急に緊張しきたわたし。御大地くんはリードするようにわたしの手を取ってくれて、音楽に身を任せていきます。


(わたし、手汗かいてない……ですよね)


 一方、御大地くんはわたしのそんな心配は露知らず、「……ダンスって、こんな感じか?」と言って、リズムに合わせステップを踏んでみせます。


「わわっ」


 わたしも御大地くんの動きに懸命に合わせ、足を動かしますが、ああ、やっぱりリズムを取るのが……だんだんと、足がもつれはじめて――。


「足元ばかり見ずに、こっち見てろ」


 御大地くんに言われ、わたしは顔を上げました。


「こういうのは、自然に身を任せていればいい。所詮、クラスの出し物の踊りだ。高尚なテクニックなんて必要ない、ただ足を上下に動かしていればそれでいい――そう考えたら、簡単にできるだろ?」

「……はい」


 わたしは御大地くんのアドバイスどおりに、足元ばかりに意識するのはやめ、音楽に集中してみることにしました。


 リズムに乗って、徐々に相手の呼吸との合わせていって。


「わたし、シンデレラみたいに踊れていますかね」

「できてるんじゃないか? そもそも、僕も踊れているかわからない……傍から見たら、すごく拙いダンスをしているのかもな」

「……かもしれませんね」


 ――そうだとしても、わたしはこの時間が何よりも尊いと思います。


「御大地くんって、優しいですよね」

「なんだよ、急に」

「だってほら、こうして、わたしが苦手だと話していた踊りに付き合ってくれているじゃないですか」


 話している今だってそう、木漏れ日の下で、わたしたちはともに音楽に乗りつづけている。


「……僕は、優しくなんてないよ」

「どうして?」

「……」

「わたしは、御大地くんは優しい人だと思います――今も、昔も」

「……『』?」


 そこで、音楽は鳴り止みました。

 二人だけの舞踏会はもうおしまい。景色は見慣れた中庭へと姿を変えていくのです。


 わたしは手を離し、一歩後ろへ下がり、


「今日はありがとうございました。おかげで少し自信がつきました。本番までには、なんとかなりそうです」


 と話して、頭を下げました。


「こちらこそ。……ああ、そうだ。僕飲み物買ってくるよ、ちょっと動いて喉乾いたし」

「そんな、わたしが行きますよ。それにお金……」

「大丈夫、ちゃちゃっと行ってくるから。気にしないで待ってて」


 御大地くんはそう言って、足早に飲み物を買いに行ってしまいました。


 わたしはお言葉に甘えることにし、ベンチに腰掛けました。


(わたしに興味ないくせに、とことん優しい王子様ですね……)


 うれしいけど、うれしくないような、なんだか複雑な気持ちになりながら、わたしはふと視線を落としました。


 そこには、ベンチの上に置かれたままの御大地くんのスマホが。さきほど動画を流したまま、置き忘れてしまったようです。


 しかし画面は真っ暗で、スリープ状態になっていました。十中八九パスコードはかけてるでしょうし、中を見ることはできません――まあ、本人がいないときまで勝手に人のスマホを覗き込むほど、わたしはデリカシーがないわけではありませんが。


 そのままスマホから視線を外そうとしたときでした。鈴の音の通知音が鳴ると同時に、スマホの画面が明るくなりました。


 通知はなんでもない、ただのゲームアプリのようでしたけど……わたしはそんなことよりも、露わになったに目が釘付けになっていました。


 それは――御大地くんと円樹先輩のツーショットだったから。


 肩を寄せ合う二人は仲睦まじげで、写真の雰囲気から、それはプリクラで撮ったものだと一瞬でわかりました。


「……どう見たってこんなの、ただの先輩後輩じゃないじゃないですか、バカ」


 ――ああ。だけど、こんな写真を見てしまっても、そう簡単に長年想いつづけてきたこの気持ちは消えなくて。


「飲み物買ってきた」


 そこへ、ペットボトルを二本持った御大地くんが戻ってきて、わたしは慌ててベンチから腰を上げました。


 御大地くんからそのうちの一本を受け取り、お礼を伝えると、御大地くんは優しく微笑んでくれました。


「演劇の主役なんてたいそうな役やる羽目になっちゃったけれど、お互いなんとか乗り越えような」

「ええ、そうですね」


 乗り越えた先は、何が待っているんでしょうか。


 ……いいえ、きっも何もないのでしょう。いつもどおりの日常が、また始まるだけ。


 だったらせめて今の間だけ、夢を見ていたいから。


「――本番まで、たくさん練習付き合ってくださいね、王子様」


 ごめんなさい、御大地くん。

 あなたが別で好きな人がいることは、もうわかりきっているのだけど。


 ――今だけ、あなたのお姫様でいさせてください。

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