予想外のオファー

 蝉の鳴く声を聴いていると、ようやく夏が来たんだなと実感する――同時に、これまで僕の周りではいろいろあったというのに、まだ世間はようやく夏を迎えた段階だということを、改めて知ることになった。


 気持ち的にはもう、秋が来ていてもいいんだけれど……。


(まあ、そんなことはどうでもいい。今はとにかく……)


 僕は意識を今いる教室へと戻した。現在、僕のクラスでは夏の学祭に向けて、出し物は何がいいか話し合いが行われているところだった。


 クラスの中心人物らが、意気揚々と意見を言ったり、ふざけた案を投げたりして笑いあっている。話し合いを取りまとめている学級委員長も、口では注意しつつも、いっしょになって楽しんでいる様子で――これはまだまだ時間が掛かりそうだ。


(僕は参加する気もさらさらないし、帰らせてほしい……)


 そうは思うが言い出せない、長いものには巻かれるタイプの僕だ。


 ふと、僕は少し視線をずらし、前の席に座る北千種きたちぐささんを見た。


 北千種さんはどこか憂いているような瞳で、窓の外を見つめていた。


 ――そう思っていたら、北千種さんが不意にこちらに目線を向け、目が合ってしまう。北千種さんは僕を見るなり柔らかい微笑みを浮かべて、「暇ですね」と、小声で話しかけてきた。


「正直、やる気のあるメンバーだけで勝手にやっていてほしいです。わたし、お祭りごとというか、みんなで盛り上がるのって、そんなに得意じゃないんですよね」

「同意だ。……はぁ、早く帰りたいよ」


 僕がそう返すと、北千種さんは目を細めてこう言ってきた。


「それって……早く円樹つぶらき先輩と帰りたいからですか?」


「なっ……!」と僕は声をを上げかけて慌てて引っ込める。今は一応ホームルームの時間なのだ。騒いではならない。


「……なんで急に円樹先輩が出てくるんだよ」


 声を抑えてそう聞くと、北千種さんはクスクスと笑ってから答える。


「いやぁ、だって昨日、わざわざ円樹先輩のほうから教室こちらまで迎えに来て、帰ろうだなんて誘われになって……絶対、何かありますよね?」

「……北千種さんまで、勘弁してくれ」


 僕はそう言って深いため息をついた。実をいうと、今朝からクラスメイトたちに僕と円樹先輩の関係を聞かれてばかりなのだ。僕はそのたびに「特別な関係でもなく、ただの先輩と後輩だ」とだけ答えてきた。もういっそのこと、僕らは姉弟なんだ――と言ってしまってもいいのだが、僕が勝手に話せることではない。


「あら失礼。……で、どうなんですか?」

「失礼と言いつつ、全然悪いと思ってないだろ」

「バレました?」

「逆にそんな薄っぺらい嘘がバレないとでも?」


 北千種さんはまた小さく笑った。


「ふふ、御大地みおおじくんと話してると楽しいですね」

「……そうか?」

「ええ」


 北千種さんは、「……まあ、今は下世話な詮索するのはやめておきますか」と言って、黒板のほうを見やる。


 どうやら、下世話だという自覚はあるらしい――とにかく、詮索の手を引いてくれたことに安堵した。


「あら、いつの間にかクラスの出し物は決まったみたいですよ」


 北千種さんに言われ、僕も黒板を見た。様々な案が書き並べられる中に、ひときわ目立つように黄色のチョークの丸で囲われ、花丸マークが付けられている案があった――『演劇』と。


「…………」


 絶句した――演劇だって? なんで一年目からそんな難易度の高そうな出し物をやると決めたんだ。


 僕と北千種さんは、自然と顔を見合わせていた。


「適当に、展示会でも開いていれば楽でしたのに」

「それについても同意だな」


 僕らがコソコソと会話を交わす中、学級委員長は明日のホームルームの予定について話していた。明日から本格的に演劇の内容決めなど進めていくらしい。


 まあ、僕には関係ないことだ。これからも、ただ適当にやり過ごしていくことだろう。




 ◇




 ――そう思っていたのだが。



「ねぇ、学祭にやる演劇のメイン、御大地くんと北千種さんにお願いしたいんだけど、やってくれるかな!?」



 学級委員長は、まさかの僕と北千種さんにメインの役のオファーをかけてきたのだ。


「「……え?」」


 予想外の出来事に面食らう、僕らの戸惑う声が重なった。

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