過去の『恋』

北千種きたちぐささん、よかったらこれ、今日のお詫びに」


 僕はそう言って、校内にある自販機で買ってきた缶コーヒーを手渡した。


「あら、『ここで待っていて』というので、なんだろうと思っていましたけど……本当に気にしなくてよかったのに。でも、ありがとうございます」


 放課後の静かな教室に、カチっというプルタブを引く音が一瞬鳴った。北千種さんは早速コーヒーを飲んでから、僕のほうを見て微笑んだ。


「それにしてもチョイスが渋いですね、コーヒーって。しかもブラック」

「……悪い。僕ってそういうセンスなくて」


 僕がそう言うと、北千種さんは慌てて首を横に振った。


「ああ、すみません。責めているわけではありませんから。わたし、コーヒーはブラック派なんです。それなのに、兄さんはいつも甘いのを買ってくるんですよ」


「そうなんだ」


「そうそう。わたしのこと、まだ小さい子供だと思ってるみたい。歳なんて、ひとつしか違わないのに」


 そう話す北千種さんの表情はやわらかい。きっと、本当に兄妹仲がいいのだろう。


 そのとき、窓の外からくぐもった賑やかな声が聞こえた。

 何事かと思い窓を開け、半分身を乗り出すようにして外を見る。


 僕らの教室からはバスケットコートを見下ろせるのだが、そこではバスケの試合が行われていた。


 その中でひときわ目立つ人物がひとり――姉である、円樹つぶらき先輩だ。


 姉は周りの防壁をものともせず潜り抜け、華麗にゴールを決めてみせた。湧き上がる歓声の中、姉はガッツポーズを決めている。


(……まさか、運動まで得意なのか)


 知らなかった一面に驚く……僕なんて、体力測定じゃいつも平均を下回るほどに運動音痴だ。


「さすが円樹先輩、ですよね。美人だし頭もいいし、それに運動神経も抜群で。……すごすぎて嫉妬も湧きませんよ」


 北千種さんはそう話し、苦笑いした。


 再び姉へと視線を戻す。そのとき、ちょうどタイミングよく、顔を上げた姉と目が合った。


 姉は目を輝かせ、大きく手を振ってくれた。

 勝手に頬が緩んでしまったのが、自分でもわかる。


「そういや、円樹先輩ってバスケ部所属だったのか」


 ふと僕はそう呟くと、「いえ、そうではないですよ」と、北千種さんは教えてくれた。


「円樹先輩はどこの部にも所属していないらしいです。ただ、文武両道といわれるような人ですから、たまにああして助っ人として入るらしいですよ。助っ人として入った日には、そのチームは必ず勝つとかなんとか」


「……敵わないな」と、僕はボヤいた。あんな完璧な人、僕にはとてもじゃないが釣り合わない。


 ……いや、釣り合ってはならないのだけれど。


「……」


 姉を目で追いながら、そんな哀愁に浸っていると、不意に視線を感じた。

 その先を見れば、北千種さんはジーッとこちらを睨むような目つきで僕を見ていた。


「……えっと、何?」


 僕が聞くと北千種さんは、まるで今から推理を披露する探偵の如く、顎に手を当ててこう話す。


御大地みおおじくんと円樹先輩って……つ、付き合ってたりします……!?」


 突然素っ頓狂なことを言われ心臓が跳ねるが、平静を装いつつ、「そんなわけないだろ、なんだよ、いきなり」と答えた。


「……そうなんですか? そんなに顔真っ赤にして?」

「え、嘘……僕、そんな赤くなってる?」


 僕がそう返すと、北千種さんはクスクスと笑った。


「いいえ、赤くなってるというのは嘘です。ただ、そう言ったらどう反応するかなーと思って」

「……カマかけたな」

「まあ、いいじゃないですか」


 ――くっ、こんなところで一本取られるなんて。


「……で、実際どうなんですか? だってさっき円樹先輩、絶対御大地くんに向かって、手を振ってましたよね? 確かに前、御大地くんは女子人気があるとお話しましたが、さすがに円樹先輩という学園一の高嶺の花からは、普通見向きもされないと思うんですけど……」


「……北千種さんって、意外とハッキリ物を言うよな」 


 北千種さんって正直、見た目の雰囲気的に、大人しくてもの静かなイメージが強かったけれど……人は見かけによらないな。


「あとハッキリ言っておくけれど、僕は本当に円樹先輩とは付き合っていない。学園一の美少女は、隅から隅まで気配りが上手って話なだけだ」

「なるほどー。じゃあ、御大地くんが円樹先輩に片想いしている状態ですか?」

「……」

「あら、そうでしたか」


 ――正確には片想いではない……なんて、説明する気にもなれなかった。いや、姉の想いに対して、異なる想いをぶつける僕の気持ちは、一方通行だと表現していいのかもしれないが。


「……でも、それをいうなら御大地くんも意外ですよねぇ。他人に興味ないフリをしつつ、ちゃっかり学園一の美少女をしっかりマークしてるんですから」


 僕は「……言い方」と相槌を入れつつも、学園一の美少女という称号に惹かれたんじゃない、僕は、昔から彼女のことを好きだったんだ――と、内心言い訳を残す。


「まあ、叶うといいですね、その恋」


 北千種さんはそう言って笑った。北千種さんにとっては何気ない、ただの社交辞令に近い言葉だろうけれど、その言葉はおもりとなって、僕の腹の底に深く深く、沈んでいく。


 ――僕の恋は叶いかけたんだ。


 だけれど、与えられた愛を自ら拒絶し、払い除けたのも、この僕だ。


(……いい加減、僕も吹っ切れないとな)


 もうこれは過去の『恋』として、割り切らなければならない。


「……円樹先輩のことはきれいだなーって思っているけれど、片想いなんてしていないよ」

「えー、本当ですか?」


 北千種さんは疑うように僕の顔を覗き込んだが、すぐに教室の外へと意識を向けた。僕も追うように視線を向けると、扉の先には、見覚えのあるひとりの男子生徒の姿が。


「兄さん」


 北千種さんは言って、机の上に置いてあった鞄を持ち、肩にかけた。


「それでは、わたしはもう帰りますね。コーヒー、ありがとうございました」


 北千種さんはそう言って、お兄さんといっしょに帰っていく。


 帰り際、一瞬お兄さんのほうが僕を睨んできたような気がするが――きっと気のせいだろうと、僕は思い込むことにした。

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