第二章

一節:『御大地守』は揺らぎ、揺るがない

似た者姉弟

御大地みおおじくん、最近ちょっと元気、ないですよね」


 図書室でいきなりそう声を掛けてきたのは、同じクラスの……そう、お下げ眼鏡少女の北千種瑠璃きたちぐさ るりだ。


 僕が本を借りようとカウンターへ持ってきたところ、ちょうど受付係が北千種さんだったのだ。


「この本、面白いですよね。犯人がまさか小さな女の子だったなんて」

「……僕はもう、このミステリー小説を純粋に楽しむことはできなさそうだな」

「あら、失礼」


 北千種さんはクスクスと笑った。


「……で、御大地くん。元気、ないですよね?」

「ああ、ちゃんと最初の話に戻るのか……」


 僕がめんどうくさそうに話すと、北千種さんは下から僕の顔を覗き込んできた。


「何かあったんですか?」


 はい、ありました――なんて、ただのクラスメイトである北千種さんに話すわけがない。


 円樹円つぶらき まどかの告白を受けてから、僕は彼女と顔を合わせていない。いや、合わせていないというか……お互いどこか気まずくて避けている、といったほうが正しいのかもしれない。


 あのあと、本当にあの答えでよかったのかと一瞬後悔が襲った――だが、すぐにそんなことはないと思い直したが、円樹円への恋情が消えない以上、このモヤモヤとした気持ちは晴れることはない。


 ……自分から振っておいて、何を言っていると思われそうだが。


「いや……別に何かあったとかじゃないよ。たまたま、ちょっと疲れているだけさ」


 僕がそう答えると、北千種さんは「ふぅん……?」とだけ呟いて、僕に本を手渡した。


「……はい。貸出期間は二週間です。ちゃんと期限内に返してくださいね」

「……ありがとう」


 僕は本を受け取って、図書室をあとにする。そのときちょうど、ひとりの男子生徒とすれ違った。


 なんとなく見覚えのある顔に、僕は思わず振り向く――あれはそう、北千種さんのお兄さんだ。


 あと10分で図書室も閉まることを踏まえると、どうやらお兄さんは、北千種さんを迎えに来たらしい。


 北千種さんは、お兄さんと何やら仲睦まじげに話していた。


(……仲がいいな)


 僕はそんな二人を羨ましく思いつつ、静かにその場から立ち去った。




 ◇




 ――立ち去った、のだが。


 それから、さっさと帰ろうと下駄箱で靴を履き替えていたときだった。


「――まもるくん」


 何度も聞いたその声に呼ばれ、僕の心は正直で、高鳴った。


 顔を上げた先には、いつも見つめてきた、大好きな人がそこにいた。


「……円樹せん――」


 ――「円樹先輩」と言いかけて、僕は言葉を飲み込んだ。だってもう、彼女とはただの先輩なんて関係じゃない。


「……お姉ちゃん」

「無理して慣れない呼び方してるって感じありすぎだよ。学校のみんなはわたしたちの本当の関係、知らないんだもん。今までどおり、『円樹先輩』って呼んで」

「……わかりました。それもそうですね、円樹先輩」


 ……うん。この呼び方が一番無難で、言いやすい。


「……で、なんですか急に。円樹先輩は姉らしく、弟の様子でも見に来たんですか?」

「相変わらず素っ気ない態度取るよね。……でも、その態度の理由も、今ならわかるから」


 円樹円は――いや、もうこの呼び方もよそう。僕の姉、もとい円樹先輩は膝を曲げ、僕と目線を真っ直ぐ合わせてきた。


「あれから、なんか気まずくてあんまり話してなかったけどさ」


 ――『あれから』というのは、屋上で円樹先輩が僕に告白してきた日のことだ。


 そして、僕らが互いに姉弟だと認識した瞬間でもある。


「……今後はさ、普通に話しかけてもいい?」


 上目遣いの問いかけに、僕の心は揺れ動く。

 すぐに答えずにいると、円樹先輩は続けてこう聞いてきた。


「これからもさ、姉弟として……改めて付き合ってくれるかな?」

「え? えぇと……」


 かしこまった態度にたじろいだが……姉弟としてなら、何も問題はない。


「……はい」

「っ! よかった!」


 円樹先輩は途端に顔を明るくさせ、満面の笑みを見せた。

 その切り替えの早さは、今までのしおらしい態度は、実は演技だったんじゃないかって思えるくらいだ。


「ちょっといろいろあったけれど――!」


「はい、よろし――」と、言いかけて、僕は目を見開いた。


「……あ、あの今、『守』って……」


 僕が指摘すると、円樹先輩はみるみる顔を赤くさせた。


「……い、嫌かな? だって、アタシお姉ちゃんだし? 呼び捨てのほうが自然でしょ!」

「別に嫌じゃないですけれど、なんかその、ビックリして……」


 急に呼び捨てで呼ばれるなんて、心の準備もないままなのに……心臓に悪い。


(なんでこれくらいのことで、僕は……)


 おそらく、今の僕も、顔が真っ赤になっていることだろう。


「……あ、守く……守は、わたしのこと『まどか』って呼んでもいいけれど、でも、学校ではちゃんと『先輩』って付けなきゃダメだからね。みんなアタシたちのこと、姉弟って知らないわけなんだからさ」


「……一応そこはちゃんとしなきゃ、なんですね」


 ……っていうか円樹先輩、今いつもみたいに『守くん』って言いかけてたよな。


(……まあ、そこは触れないでおくか)


 いきなり呼び名が変わって驚いたが、別にこのくらいは姉弟として自然なはずだし、目くじらを立てて否定するまでもないだろう。


 ――だけれど、はやっぱり譲れない。


「まあ、まど……先輩って、僕みたいなのが下の名前で呼んでいたら、円樹先輩のファンに睨まれそうなんでやめておきます」

「えー! そんなことない……いや、あるかな……?」

「……それと、念のため言っておきますけれど」


 ――自意識過剰かもしれないけれど、予防線は張っておかねばならない。


「どんなに距離を詰めようとしてきても、僕はあなたとは付き合えません。嫌いだとか、そういうんじゃなくて、ダメなんです。僕は、ちゃんと円樹先輩には幸せになってほしいから」


 円樹先輩は一瞬寂しげな眼差しを浮かべたが――すぐにその目は、何か揺らぎないものへと色を変えた。


「ありがとう。でもね、言っとくけれど、弟にそんな心配されるような姉になる気はないから」


 円樹先輩のその力強い言葉は、すでに決意を固めているようだった。



「――アタシの幸せはアタシが決める。アタシは、アタシのために生きるの」



 ――これが、アタシの『恋』だから。


 最後に、円樹先輩はそう言った。


(……敵わないな)


 この誰にも曲げることのできない意志の強さは、きっと彼女の最大の魅力なのだろう。


「そういうわけだから、どうせひとりだろうし、いっしょに帰ろうよ、守」

「どうせって……まあそうですけれど。あれ? というか、葛城かつらぎ先輩は?」

優子ゆうこはまた補習。今度は英語がダメだったみたい」

「……大変ですね」


 そんなわけで、円樹先輩の押しに負け、僕はいっしょに帰ることとなった。


(……しかし、弱ったな)


 何度断ろうとも折れない円樹先輩と、何度好意を差し出されても払い除ける僕。


 ――僕ら姉弟は、とことん頑固な性格らしい。

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