それでも、円〈アタシ〉は

 今日は優子ゆうこには先に帰ってもらって、アタシは屋上でまもるくんのことを待っていた。


(来てくれる……かな)


 スマホのホーム画面に表示された時刻をただ眺めていると、錆びついた扉の開く音が聞こえてきた。


 アタシはすぐさま顔を上げ、扉のほうを見る――守くんは、ちゃんとここへ来てくれた。


「どうしたんですか、屋上なんかに呼び出して……」


 守くんは、まだアタシが何を話そうとしているのか、わかっていないみたいだった。


 数メートル越しに向かい合ったアタシたち。


 屋上へ来る人は滅多にいない――そして、この場は今、アタシたちだけしかいない。


 完全に二人だけの世界だ。


「アタシ、守くんに話さなきゃいけないことがあるの」


 守くんは途端に眉を顰めた。

 アタシは意を決して、彼に向かって『真実』を言い放つ。



「――アタシたち、実は血の繋がった『姉弟』なの」



 刹那、守くんの目が大きく見開き、たちまち動揺した様子で、半歩退いた。


 ――ああ、そうか。私の思ったとおり、守くんは初めから、全部知ってたんだ。


 知っていたからこそ、守くんは――。


「守くんは、全部知ってたんだね」


 守くんは唇を震わせ、瞳が激しく揺れる。

 狼狽え、その顔の色は絶望を表していて。


「……ごめんなさい。黙ってる、つもりはなくて」


 やっと紡がれた守くんの言葉。それは本当にか細く、小さな声だった。


 アタシは静かに首を横に振る。


「謝らないで。アタシ、守くんを責めたりなんてしてない。むしろ……アタシのほうがごめん」


 アタシは一歩踏み出して、守くんと距離を詰める。


「アタシ、本当につい最近まで知らなかったの。あの日、デートから帰ってきてお母さんに伝えられるそのときまで……ね」


「母さんに……」


「……うん、お母さん、アタシと守くんとの写真、見つけちゃったみたいでさ。それで、全部話を聞かされたの。未だに信じられないくらいだけれど、やっぱり……本当なんだね」


 もしこれがウソだったら、守くんは否定したり、何を言っているのって疑問を向けてきたはず。だけれど、こんなにもあっさり受け入れるなんて、これが事実であることは確実なんだ。


 だからといって、アタシが今から話すことは変わらない。


「――守くん、ずっと言えずに辛かったよね。アタシは守くんの抱える事情を知らずに、自分の気持ちばっかり押しつけてて……ごめんね。……でもね、守くん。改めて、アタシの気持ち聞いてほしいの」


 アタシは深呼吸をしてから、守くんを真っ直ぐ見つめた。



「――アタシ、それでも守くんのことが好き」



 想いをひとつも取りこぼさないように、アタシは気持ちを伝えていく。


「血の繋がっている姉弟だろうと関係ない。アタシはあなたのことが好き。この気持ちは――『恋』は、本物なの」


 事実を知っても変わらなかった。揺らぎなく、アタシの気持ちはここにある。


「……守くん」


 ――だからどうか、聞き入れてほしい。


「アタシと……として、付き合ってくれませんか?」


 風が、アタシたちの間を通り抜けていく。


 守くんは目を伏せ、固く拳を結んだまま黙っていた。

 アタシは、守くんからの返事をただただ待った。


「……さい」


 しばらくして、守くんはようやく口を開いた。


「――ごめんなさい。僕らは、どうしても付き合えない」


 守くんの返答に、アタシは咄嗟に「どうして!?」と、張り叫んでいた。


「……僕らは血の繋がった姉弟です。それはどうしようもなく覆せない事実で、現実です。あってはならないんですよ、僕らが結ばれるなんてことは……」

「……っ、そんなのわかってるよ! でも、それでもいいじゃない。アタシは守くんのことが好き。守くんだって、アタシのこと好き、でしょう……?」


 カラオケでキスしたとき、守くんはキスを返してくれた。


 アタシは確信している――お互い、同じ気持ちだということを。


「……それとも、守くんはアタシのこと嫌い……なの?」


 守くんは下唇を噛んだ――ああ、またこの仕草だ。


「……答えてよ、正直な気持ち」


 守くんはアタシから目を逸らしたまま、こう答える。



「……僕は……あなたには幸せになってほしいと、心の底から思います」



 ――なんなの、その答え。それじゃあ、アタシの質問の答えには……。


 悲しくて、悔しくて、ハッキリしない守くんにとてつもなく腹が立つ。


 アタシは感情に任せて、次の言葉を吐いていた。


「そんなこと言って……じゃあなんで、守くんはカラオケのときに、キスなんて仕返したの……!」


 言ってしまって、アタシは慌てて口を押さえた。


 あとから、いかに自分が幼稚なことを言ってしまったか自覚する。


 守くんは答えてくれたのに。


 ――「」なんて言葉の真意は、少し考えればわかることなのに。


 だけれど、守くんはそんなアタシに呆れの眼差しを向けることなんてなく、ただ淡々と話を続けていく。


「僕らは付き合えば不幸になる。たくさんの苦労や苦難が、普通の恋人以上に降りかかってくるはすです」


 わからない。そんな説明をされても納得なんていかない。


「『間違い』は、ここで留めておくべきです」


 ――不幸も、苦労も、苦難も、どんなに病めるときがあったって、二人で分かち合えばいいと思ってしまう。


「だからこの話は、ここで終わりにしましょう」


 ――少し手を伸ばせば届く距離にいるほど、惹かれあっているはずなのに。そんなこと、お互いわかりきっているはずなのに。


 守くんは腹を決めた様子で顔を上げ、アタシを見た。その表情かおは、一瞬でハリボテだとバレるような、無理をした笑みだった。


「じゃあね、


 守くんは――は、そう言ってその場を去っていってしまった。


「それでも、アタシは……」


 その呟きは、誰もいない空間にただ溶けて消えていく。


 ひとり取り残されたアタシは、フェンス越しに、ただつまらない景色をしばらく眺めていた。

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