保健室でのひととき

 中庭に置いてあった二人分の弁当箱を回収した僕は、保健室の扉を開けた。


「失礼します」


 保健室には手当てされた円樹円つぶらき まどか葛城かつらぎ先輩がいた。


「お弁当届けに来ました。……あれ、先生は?」

「来たらいなくってね。だから代わりに、優子ゆうこが手当てしてくれたんだ」


 ――それはいいのだろうか……まあいいか。


 僕は近くのテーブルに弁当箱を置き、円樹円を見た。


 左の頬には大きいガーゼに覆われてしまっている。もしその下の傷が消えないことになってしまっては、僕はどう責任を取ったらいいのだろう。


「――傷のことなんて気にしなくていいよ」


 円樹円は僕の内心を読んでか、そう言った。


「これはアタシが勝手に受けた傷だから。そんなことよりもさー、まだお昼休み時間あるよね? せっかくだから、ここでみんなで食べようよっ!」


 円樹円は極めて明るい調子で話していた。きっと、僕に心配かけまいとしてくれているんだろう。


 僕ってやつは、とことん格好悪い。


 だが、今自分を責めていたってしかたない。ここは円樹円の気遣いに甘えて、僕もいつもどおり話をさせてもらおう。


「……保健室でごはんなんて、いいんですか」

「えー、やっぱりダメかな? ……でもアタシ、お腹空いたなー」


 円樹円は上目遣いで僕に甘えた声を出した。こんな至近距離で、本当に勘弁してほしい。


「……ですが」

「転校生は堅いわねー。バレなきゃいいのよ、こんなのは」


 葛城先輩は僕の声を遮って、テーブルの上に弁当を広げはじめた。


 二人は意気揚々とした様子で机を囲み出す。すると、葛城先輩はただ突っ立っている僕を見かねて、「ほら、アンタも食べれば」と言ってきた。


「それに何か、本当は円に渡す物でもあるんじゃない?」


 どうやら葛城先輩は、僕の持っていた紙袋に目を付けたようだ。


 よく僕のことを観察してくれる。だがまあ、正直渡すタイミングを逃していたところだったし、ありがたいと思うべきか。


 僕は緊張のせいで少しぎこちなくなりながらも、円樹円に紙袋を手渡す。


「……これ、このあいだお弁当を作ってくれたとお礼です」


 円樹円はそれを受け取ると同時に、瞳の奥が輝いたように感じた。「中、見てもいい?」というので、僕は頷くと、彼女は早速中を開ける。


「マカロン……!」


 うれしそうにはにかむ円樹円は、次に突然立ち上がったかと思えば、今度は互いの鼻が触れそうなほどの距離まで顔を近づけてきた。


 甘い匂いがほんのりと香り、一瞬襲う淡い目眩。


 僕は必死に表情を引き締めて、「き、気に入りましたか?」と、なんとか言葉を絞り出す。


 円樹円はにっこりと笑んだ。


「うん! ありがとう、守くん!」


 こんなにも素直に喜んでくれるとは思わなかった。こんなにも真っ直ぐに感謝されるとも。


(ダメだ……ちょっとだけ顔ニヤケそう)


 そんな僕はお構いなしに、円樹円は「アタシ、これ一生の宝物にする!」なんて言っていた。「いや、カビ生えるから食べなさい」と葛城先輩は冷静にツッコミをいれていたが。


「食べるのもったいない……けれど、まあしょうがないか。お弁当食べて、最後にみんなでマカロン食べようか。ちょうど三つ入りだし」

「えっ、僕はいいですよ。こっちがあげたものなんですから……」

「そーよ。わたしだって関係ないし、受け取れないわ」

「いいじゃん! もらったアタシがいいって言ってるんだから、みんなで食べよっ」


 僕と葛城先輩は目配せし、ここは円樹円の言葉に甘えようということになった。


 お弁当を囲みながら思う。


 円樹円は小さな子供みたいに純粋だ。それなのに、たまに強引なところとか、小悪魔的な面もある。


 いっしょにいて楽しくて、居心地がいい。


 この居心地のよさは、安心感は、それはきっと、血が繋がっているこそなのか。それとも、『円樹円』だからなのか、正直どちらの理由もあると思う。


 だけれど、僕からハッキリ言えるのは。


(やっぱり、円樹円のことが好きだ)


 これは『姉』へ向ける感情じゃない。初めて円樹円を見たあの日と同じ『恋』の感情だ。


 幸いなことに、相手も同じ想いを持ってくれているというのに……。


(もどかしいなぁ……)


 なんのしがらみもなければ、僕は喜んで円樹円の気持ちに応えようというのに。


「……どう? 肉じゃがおいしい?」


 僕は意識を外へ向ける。円樹円は僕の反応を窺うかのように、僕の顔を覗き込んでいた。


「はい、とっても」


 円樹円は安心したように笑う。


「よかったぁ、これね、お母さん直伝なんだよ」


 そう話す円樹円はとても楽しそうだ。


(お母さん……か)


 この肉じゃがも、僕にとっては母の味ってわけか。


「なーに円ぁ。もうお嫁さんポジションでも狙ってるの?」

「なっ!? 違うってば! あ、守くんも優子の言うこと聞き流してね!」


 僕は「……はい」と答えると、二人は急に目を丸くして僕のことを見てきた。


「……なんですか?」

「いや、転校生ってそうやって笑うんだなぁって思って」


 葛城先輩に言われハッとする。僕……今笑ってたのか。


 恐る恐る円樹円のほうも見る。彼女は僕と目が合うや、微笑みを返してくれた。


(……ダメだ。勝手に顔が熱くなる)


 前髪で目を隠すように、僕は視線を下ろす。

 僕の気持ちを、円樹円に悟らせてなるものか。


「……。んじゃ、わたしは先に行ってるわね」


 不意に葛城先輩はそう言うと、自分のお弁当箱を片付け立ち上がった。


「えっ、優子行っちゃうの?」

「そりゃあ、二人だけの時間も……ねぇ?」


 葛城先輩はニヤリと笑う。ああ、これ完全に、僕らをくっつけようと企んでる笑顔だろ。


 僕は内心ため息をつく。


「んじゃねー! あと、転校生もマカロンありがと」


 葛城先輩はそう言い残し、さっさと保健室を出て行ってしまった。


 二人きりになった空間で、急に恥ずかしさが襲う。

 円樹円も同じ気持ちなのか、僕らは同時に目を逸らした。


「……えと、ごはんも食べ終わったし……アタシもマカロン、いただこうかな」

「……どうぞ」

「守くんも食べるんだよ」

「……はい」


 僕らはそれぞれマカロンを手に取る。


「……あのさ、今度――」

「こら! そこの二人、何してるわけ?」


 円樹円の声に被せるようにして入ってきたのは――しまった、保健医の先生だ。


 メガネの奥の瞳は、じっと僕らを睨みつけていた。


「あ〜……ちょっと怪我? しちゃったんで手当てしてて〜……で、その、なんというかお腹も空いちゃったしそのままごはんっていうか……」


 しどろもどろに説明する円樹円。だが、そんな説明で先生が許すはずもない。


「このことは不問にしてあげるから、さっさと出ていきなさい!」

「「はっ、はい!!」」


 僕らは慌てて片付けをし、保健室をあとにした。


 まったく、葛城先輩め。まさかこれを見越して先に出て行ったのか。


「えへ、二人で怒られちゃったね」


 円樹円はそう言って可愛らしく舌を出した。


 ――まあ、こうして新しい表情かおも見れたことだし、今回だけはよしとするか。

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