どうして、どうして。どうして?

 円樹円つぶらき まどかは、なぜか僕を見かけるたびに話しかけてきた。


 理由はわからない。


 ひとつ、僕が円樹円について知ったのは、どうやら彼女は学園一の美少女として有名人ということだ。


(同じ姉弟で、こんなに差があるなんてな)


 円樹円がみんなを照らす太陽だとしたら、僕は誰にも認知されない影の中の引きこもりだ。


 そんなことを考えつつ、僕は教室の隅で本を読んでいたが、不意に周りがざわめき出した。


 何かと思い、僕は少しだけ目線を上げる。


 扉のほうを見れば、円樹円がそこにいた。


(……クラスにまで、何しに来たんだ)


 僕は内心悪態をつきつつ、また本に目を落とす。


 ……ん?

 ……なんだ? さっきよりも周りが騒がしいような……。


 そんなときふと、ほんのりの甘い香りが鼻腔をくすぐった。


(……嘘だろ)


 見なくてもわかる。

 円樹円は僕の目の前まで来ている。しかも、僕の顔を上目遣いで覗いてきている。


(……なんの拷問だよ)


 少しでも気を緩めたら、理性なんて吹っ飛んでしまいそうだ。


 顔に出ないように、僕はひたすら平常心を保とうと円樹円から気を逸らそうとした。


「……まもるくん、アタシのこと覚えてる?」


 ――だが、僕はそのひとことに一瞬で意識を引き止めらた。


(『覚えてる』って……まさか)


 シャツの内側で、じっとりと嫌な汗が滲み出す。


「覚えてるって……」


 僕は絞り出すようにそう聞いた。

 円樹円は目を細め、頬笑みを浮かべて答える。


「ほら、二週間前かな? 職員室の前で声掛けたでしょ? 君ったら、あれからずっとアタシのこと無視したり……あと、なんていうか素っ気ないからさぁ、もしかして、アタシのこと忘れちゃってて、怖がってたんじゃないかなぁって」


 その言葉を聞いた瞬間、一気に僕は冷静さを取り戻した。


 ――なんだ、やっぱり僕が最初に思ったとおり、円樹円は何も知らないんだ。


 僕のことを。僕らの関係のことを。


 さっきまで焦っていたのが、本当にバカらしい。


「だからさ、改めて自己紹介しておきたくって。アタシ、三年A組の円樹円。何かあったら遠慮なく声かけてね。先輩として、君のこと助けたいと思ってるからさ」


 そんなの知っている。何度も聞いた。

 何が『助けたい』だ、どうせそんな親切心も、自己満足にほかならないんだろう。


「……だったら、僕に話しかけるのはやめてください」


 ――本当に、助けたいと思うなら。


「先輩として僕のことを助けたいと思っているのなら、僕に構わないでください。それだけで十分ですから」


 ――もう僕に関わるな。


「ああ……そっか、ごめんね。しつこかったよね」


 ああ、彼女が離れていく。

 突き放した感覚が、僕の心を予想以上に抉っていく。


「じゃあ……アタシ、帰るね」


 ――行かないで。


「それじゃあ、お邪魔しました〜」


 ……いや、どっかへ行ってくれ。


「……っ」


 どうして彼女は、僕の姉なのだろう。

 どうして僕は、よりにもよって彼女を好きになってしまったのだろう。


 どうして。

 どうして。


 ……どうして僕は、彼女との血縁関係をひた隠しにしたがるんだろう。


 事情を話せば、早い話なのに。


 僕はまだ彼女を諦めきれないでいる……どうしようもない卑怯な男なのかもしれない。

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