燃え尽きた③

夢を見ていた。

私がいたその場所は、あぁこれは夢なんだって、妙に自覚のある幻の世界だった。


私は家のベッドに横たわっていた。

ふいに目が覚める。いつものように布団の中でぎゅっと体を丸めて、上っている太陽に反抗して…

あれ、まだ開いていない瞼の向こうが眩しくない。今は朝じゃないみたい。何時まで寝ちゃったのかな。

ぽつぽつとそんなことを考えながら、ようやく目を開き半身を起こし、そして、襲ってきためまいに、咄嗟に頭を押さえた。

尋常じゃないほどの違和感が、容赦なく頭の中を駆け巡る。脳みその芯がぼやけて、体をまっすぐに保てない。私はベッドから落ちて、床に体を打ち付けた。

「い”っ…」

突然の痛みに、芋虫のように不格好な受け身しか取れなかった。ぐわんという鐘になって叩かれたのかと錯覚する痛みにのたうち回る。そのまま床を転がって、姿見にぶつかり、ようやく体の動きが止まる。

そして、その曇りのない鏡に映った自分の姿に絶句した。


「誰…」


思わず口から出た言葉通りに、鏡の中の誰かが口を動かす。これは紛れもなく。万が一、私であったとして、

「いやっ」

衝動的に姿見の脚を蹴る。ばりんっと耳障りな音がして鏡の破片が飛び散り、そのいくつかが生足に突き刺さった。

「いたい…っ」

痛みに耐えきれず、床を転げまわる。そんなことをすればするほど体に破片が当たって、白いマキシワンピースが真紅に染まっていく。

ふいに窓から風が吹いてきて、傷口を撫でていく。とてつもなく痛い。涙でぐちゃぐちゃになった視界の向こうで、嘲笑うように三日月が輝いていた。






「はぁっ」

目を覚ましたそこは、見たことのない天蓋付きベッドの上だった。それでも、冷や汗でぐしょぐしょになった制服とか、握りしめたシーツの向こうの手のひらにくっきりと刻まれた爪のあととか、覚えのある右半身の痛みとか、そんなものが、ここは現実だよって教えてくれる。

嫌な夢を見ちゃった。何だか今日は全体的に調子が悪いなぁ。寝てないわけでも食べてないわけでもないんだけど。




「果子…起きた?」


「りん、たろ、せんぱい…」

ベッドに横たわって見る天蓋からは、軽やかな印象ながらもしっかりと目隠しをしているレースのカーテンがかかっていた。その向こうから、凛太朗先輩は話しかけていた。ぼんやりと影が見えていて、その動きとともに軽いレースがひらひらと舞う。

「開けてもいい?」

「はい…」

半身を起こそうとすると、途中でふっと力が抜けてしまって、またベッドに逆戻り。でも、さっきの夢みたいな、固くて拒絶するような痛みはなくて、ふわりと仕立てのいいマットレスが包み込んでくれる。どこか安心した私と打って変わって、ゆっくりとカーテンを開けていた凛太朗先輩は慌てたようにこちらに近づいてきて、「大丈夫?」と聞いた。後ろから愁先輩も着いてくる。

「はい…」

もう一度、体を起こす。両側から先輩達が支えてくれた。

「しゅうせんぱい…だいじょうぶ、でしたか?」

「今のお前の前で”大丈夫じゃない”と言うほど俺は”大丈夫じゃない”わけじゃない。」

愁先輩はまた、白い制服を着ていた。ちょっと疲れた顔をしている気もするけれど、少なくとも立っているのが辛いというほどきつそうな印象はない。ひとまずほっとした。

「高宮はどうだ?」

「あ…ちょっと、体に力が入らない…気もする…くらいです…」

本当に、さっきの夢に比べたら全然辛くない。見覚えのある人が近くにいてくれることがこんなに幸せなんだって知って、もしかしたらちょっと体には不調があるのかもしれないけれど、そんなの気にならないくらい安心していた。


「脱水かな…ちょっと飲み物もらってくる。」

果子のことよろしく、と愁先輩に言って、凛太朗先輩はカーテンの向こうに姿を消す。まだぼんやりしている頭をはっきりさせようと思って、周りをぐるりと見回した。

「愁先輩…ここ、どこですか…」

カーテンがひらひらと舞うときに、ほんの少しだけ外が見える。床には綺麗な絨毯が敷かれていて、その向こうには、濃い茶の猫足で統一された重厚そうな家具が所々に置いてあった。

「凛太朗の家だ。

あのあと、俺も気分が悪くなって…

もともとお前を家に送っていくところだったけど、それを言ったら、凛太朗が休ませてくれた。」

「”あのあと”って…私、どうなったんですか…」

「記憶が飛んでるのか?」

「いえ…橋田くんのお宅で、ギターケースと”あれ”を見ていたら、めまいがして、あ、おかしいってなって…そこからは、ちょっと」

「あぁ…」


いつもは憎まれ口ばっかりなのに、自分も体調不良だからか、今の愁先輩はちょっとしおらしい。奥から私の肩を支えてくれて、「座っていいか」と聞いてから、ベッドの縁に腰かけた。

「あの後、お前、思いっきりぶっ倒れたんだ。こっちから…」

そう言って指で私の右側頭部を指し、そのままゆっくりと手のひらを逆側に移動させ、壊れ物にでも触れるようにそっと頭を撫でた。

熱があるのか、少しほてった体温がほどいた髪の毛をくしけずる。

「痛かっただろ…」


突然の優しい手つきに多少戸惑う。普段なら”体調管理くらいしっかりしろ”って怒鳴られてるところなのに…。

あぁでも、愁先輩って、悪い人じゃないんだっけ…。怒られてばっかりで忘れがちだけど、この人は、勉強も部活も頑張って、それだけで功労賞をもらえるほど優秀な人なのに、辞退してもいい選挙に出て、連城高校のために働いてるんだよね…。それなのに、こんな私まで気にかけてくれて…。

先輩はお兄ちゃんみたい。もしも私に家族がいたなら、きっとこんな風に甘やかしてくれるんだろうな…。

「先輩…きょう、何でこんなに優しいんですか…」

かく言う私も本調子じゃないことに対して弱気になっていて、普段なら口にしないことを言っていた。先輩もきっと普段なら突き返していたけれど、ほとんど無意識のように口を動かした。

「それは、お前が…」




「待った待った待った‼」

「なっ」




気持ちいい静寂にいきなり終わりが訪れたかと思うと、おぼんを持った凛太朗先輩がばたばたとかけてきた。愁先輩がびくりと肩を揺らす。

突然の大声に頭がきいんとする。きつく目を閉じている間に、優しい愁先輩の温もりは離れてしまった。


「うちのベッドで何してるんだよ‼」

「…何もしてない‼」


横目で見た愁先輩は見たことないくらい真っ赤になっていて、いつもの無口な姿を思い出せないくらい。さっきまでちょっとかっこいいって思ってたのに、今はいたずらがばれた子供みたいで何だか笑えちゃう。

「…ふふ」

「何笑ってるの⁈果子、愁に何された⁈」

凛太朗先輩も凛太朗先輩でどうしてこんなに焦ってるんだろう。私達のラブシーンを邪魔しちゃって。

「…凛太朗先輩、お邪魔ですよ。」

「え⁈」

「もーこの話はお終いです‼飲み物頂いてもいいですか?

のどが渇いて仕方がないんです‼」

「…教えないとあげない。」

「子供ですよ凛太朗先輩。」


口の奥で唸ったあとに、凛太朗先輩はサイドテーブルにおぼんを置いてくれた。間髪入れずにその真横にスツールを持ってきて、どっかりと座り込む。不満げな凛太朗先輩と少し距離を置いて、疲れた様子の愁先輩は座った。

おぼんには常温の麦茶とゼリーが載っている。のど越しがいいものを選んでくれたのはよくわかった。

それらに口をつけながら、凛太朗先輩が差し出した体温計をわきの下に挟む。


「…さっきよりまし?」

「愁先輩が頭撫でてくれたから楽になりました。ある程度もう大丈夫です。」

「…愁、出禁にするよ?」

「なんでだよ。」

拗ねに拗ねまくった凛太朗先輩は駄々っ子みたいに突然理不尽なことを言い出す。その姿を見ていると、ある違和感が頭をもたげた。


「凛太朗先輩はどうともないんですか?」

そう、私も愁先輩も、何故か橋田くんのお宅で体調を崩してしまった。もともと私達は丈夫だから、めったにないことなのは確実だ。今日、特別コンディションが悪かったわけでもないことを考えると、多分、もしくはあの状況に何かが

あると検討をつけるのが妥当になる。それなら多少なりとも凛太朗先輩にも影響があったっていいのに、見る限り当の本人はぴんしゃんしていた。

「どうともない、ね。

どうして二人がそんな風になったのか、俺には全く心当たりもない程度には元気。」

無意識に愁先輩と顔を見合わせる。…正直、”何でだよ‼…羨ましっ…”って思っちゃった…。




ちょうど体温計が鳴って、服の下から取り出すと数字が印字されていた。

「37.7ですかね。」

「微熱だな。」

「もうちょっとだけ安静にしてて。今日は泊って行ってもいいし。」

凛太朗先輩はそう言って私の肩に薄手のブランケットをかけてくれた。体はなんともない?と聞かれて頷く。

…ようやくいつもの先輩に戻ってくれた。たまーにぎゃんぎゃん騒ぎだすさっきの発作みたいなやつ、怖いからやめてほしいんだよねぇ。だいたい、私達、何にもないし…何に嫉妬してるんだろうね。


「で、だ。」

凛太朗先輩は改まってそう言った。タブレット端末を取り出し、綺麗な指を滑らせる。

「二人が休んでいる間に、ちょっと気になったことがあったから、いろいろ確認して…いくつか出てきた結論と可能性の話をさせてほしい。」

まず、といって画面に浮かび上がらせたのは、橋田くんのお宅にあった黒い焦げた棒…

…なのかな…?それにしては少し長いような?床の様子も少し違う。橋田くんのお宅は木目調だったのに、今の画像では白い床だった。

「これは?」

「…」

凛太朗先輩は黙ったまま、更に指を左へ左へと動かしていく。


「え、」

「おい、何だ、これ」


自然と声が出たのは私だけではなかった。初めは身を引いていた愁先輩も、だんだんと前のめりになっていく。

先輩が指を動かした回数は四回。どの画像にも例の焦げた棒が映っていた。

そしてもう一度、新しい画像を呼び出す。それは凛太朗先輩と、もう一人男の人が映った写真だった。演奏会なのか…正装をしていて、二人とも自分の楽器に手をかけている。優雅な笑みが美しく、気品のある写真だった。

特徴的な画像だけど、どうやらこの写真そのものが問題ではないらしい。凛太朗先輩はある一点をめいっぱいズームした。

「まずは結論から言おう。」




「橋田くんの部屋にあった焦げた棒。これは、失踪した他五名が最後に目撃された場所でも同じく発見されていた。

そしておそらくこの棒は…」


ズームした箇所に目がいく。画面いっぱいに引き延ばされた、凛太朗先輩ではない男の人が持ったそれは、銀色の細いくだだった。


「フルートだ。

頭部管、胴部管、足部管の三本が計フルート二本分、それぞれ発見されていた。」


フルート…

人生でこのかた音楽に親しんでこなかった私にはよくわからない、というのが本音だ。それでも手掛かりが少しだけでも見つかったというのは幸運だけど…。


「そこからさらに芋づる式に出てきた結論。




失踪者の保護者に伺ったところ、失踪した人達は皆、音楽に携わっていたんだ。」


「え⁈」

「大野くん、橋田くん、元木くんは軽音、

他の三人は部活には属さず、個人で、それぞれピアノと琴、エレクトーンを習ってた。

フルートがどんな役割を果たしていたのかは分からない。

だけど一旦それは置いておくとして、

可能性だけど、六人が連れ去られていて、それがまだ終わっていない場合、おそらく次に狙われるのは…




音楽の教養がある生徒だ。」



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