迷惑な青春②
会議が終わり生徒会室を出ると、外はもう綺麗な茜色になっていた。そんなに時間経ってたんだ…別に午後からの授業に参加していたところで絶対に寝ていたけれど、それでもちょっとだけ申し訳ない気がする。…いつも寝ちゃってる数学の、みさちゃん先生、今日も授業聞けなくてごめんね…次は出席して半分でも起きていられるように頑張るから…‼
生徒会室前で他の人とは別れて、私は自分のカバンを取りに行くために二階の教室まで行った。午後からの授業は一時間しかなくて、そのあとは皆部活や遊びに行っちゃうから、教室はもぬけの殻になっている。
燃えちゃうくらいの夕日を浴びながら、私は自分の席に座った。
目の前には黒板、日直が消したはずなのに先生の濃い筆跡が少し残っている。こんなのを見ていると、授業中がどんな様子だったのかは想像に難くない。皆、眠いよーとか分かんない‼とかやいのやいのと騒ぎつつも、結局は楽しそうに笑って先生の話を聞いてる。多分本人達は楽しいなんて感じているつもりじゃないのかもしれないけれど、きっとかけがえのないものなんだ。
私はこんな、手に触れられるくらいの幸せを守りたい。多くを望んでそれを叶えること以上に素晴らしくて価値のある行動なんてないけれど、私はちっぽけだから、大それた野望に見合うほどの能力を持っていない。それなら、せめて近くの人だけでも笑って、こんな何気ない日常を”何気ない”と感じられるように過ごしてほしい。
失踪してしまった六人のことを考える。三人は軽音楽部、残りの三人がどんな学校生活を送っていたかわからないけれど、自主的にいなくなるほど辛い時間を過ごしていたとは考えにくい。やっぱり犯罪に巻き込まれている可能性が高いと思う。
正直これまでは、生徒会選挙―――すなわち全校生徒選抜武闘大会を勝ち抜いた私達にとって、簡単な仕事をこなしてきた。でも、今回ばかりは違う。相手は以前みたいな学生じゃない可能性があるし、その手のプロかもしれない。組織的なものだとしたら、他の犯罪にも広く手を染めていて、銃や火薬を所持しているかも。
机の下、膝の上で揃えた指が細かく震えている。私、恐れてるんだ…生涯負けなしの私が、生徒会1の強者である私が…。
でも、ここでやめてしまったら、もっと怖い思いをしているかもしれない人達を助けることができなくなってしまう。彼らはたった今この瞬間だって、怖くて怖くて仕方がなくて、でもいつか来るかもしれない助けを唯一の救いとしてきっと必死に戦っている。
それに応えるために私達がいるんだから。それに応えるためにこれまで力をつけてきたんだから。
「だいじょーぶ。」
口に出して形にしてみる。たった一人の教室に私の細い声が落ちる。
実際がどうとかじゃなくて、いやそれも大事なんだけど、言うだけタダでしょ。自分のこと、自分で応援してあげないと、本当に孤独になっちゃうよ。結局手の震えは消えないし、今だって怖いけど、それでも向き合おう。決めたのは私だから。
体中から力を集めるように拳を握って席を立つ。そのまま振り返らないように歩いて、教室のドアを開けると、目の前の壁に体重を預けて、文庫本を開く白い制服を纏った人がいた。びっくりして声が出ない私にその人は気づいて、本を持っていない方の手指を数回折り曲げて見せた。
「家までご一緒していいかな」
どうやって歩くんだっけ。
そんなことを思っている自分が怖かった。凛太朗先輩と二人きり、たったそれだけで我を失ってしまったように気持ちが落ち着かなくなっちゃう。これが何なのか全然わからなくて、それにもまたむずむずしてしまう。
街灯の明かりが眩しい夜、光から光を目指すようにおずおずと進む。当たり前のように車道側を歩いてくれる凛太朗先輩は、これまた自然に私と歩幅を合わせてくれた。愁先輩より足が長いくせに、まるで時間を引き延ばすかのようにゆっくり歩いている。
普段は生徒会長として気を引き締めた姿を見せている先輩だけど、ある出来事を経て、私とはちょっとだけ特別な間柄になった。それからというもの、一か月に2,3回のペースでこうやって私を帰路に誘ってくる。初めは監視のつもり?だなんて思っていたけれど、その話題が出ることは全くなくて、他愛のない、生徒会の事や先輩のお兄さんの事なんかをぽつぽつと話したり聞いたりするだけ。いつも見る先輩よりほんのすこし鎧を脱いだ姿は、生徒会長の凛太朗先輩とも、にこにこしながらえぐい手裏剣を放つ凛太朗先輩とも、他のどの凛太朗先輩とも似つかなくて、そんな様子の先輩を見られるのがちょっと嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、とにかく初めての感覚で何ともむず痒かった。
「それで、今度は文部科学大臣が見に来るらしい。本当に妙なプレッシャーでさ…聞いてる?……果子?」
「…ひゃぁっ」
目の前にいきなり色素の薄い特徴的な瞳がやってきて、私の目をのぞき込む。曇りがないそれに射抜かれると、私もわかっていない私の全てが見抜かれそうでこのうえなく心臓に悪い。
「あ、ごめっ、なさっ、」
「…ははっ、そんなにびびらないで。俺も傷つくから。」
「やっ、ほんとに…もう…」
「俺が悪いの⁈…睨まないでー、怖いよー。」
「(棒)って見えてますよ、もう…」
先輩はこんなことを言いながらも笑ったままで、本気で怒ってはいないことがわかる。どうしてこんな対応なのかもわからなくて、もどかしくて。でもこの時間が嫌いではなくて、むしろ少し楽しくて。
そんなことを思いながら隣を歩いていたら、ふいに先輩はちょっとだけ上を向いた。何を眺めているんだろう。綺麗な直線を描く顎のラインが見えて、その先の瞳はさらさらの髪の毛に隠れて見えない。私もおんなじように頭を反らしてみるけれど、空には無数の星が瞬いていて、先輩が何を視界に捉えているのかわからない。
「…もしも、」
「…え?」
「もしも失踪した子達が、ただただ黙ってキャンプに行ってただけで、あるいはヒッチハイクをしていただけで、そんな一見くだらない理由でいなくなったとか、ないかなって。」
何のことを言っているのか、一瞬分からなくて、すぐに今回の案件のことだと気が付いた。
計六人が約一か月も行方をくらましている。その事実が伝えていることはただ一つ、『異常』で、99.9%の確率でそんなに楽観視できる状況ではない。でもこの先輩が、言葉の通りの馬鹿な発言をするはずもなく、そのあとに少しだけ小さい声が聞こえてきた。
「そんな、自分探しの旅に出ていましたみたいな、『迷惑な青春だな』なんて言葉で片付けられるくらいのことであったら、どんなにいいだろうって思う。」
「…はい。」
「よく考えるんだ。こんな事件も暴力沙汰もない連城高校。
皆が何の脅威にも怯えなくてすむ場所。
皆が他校よりちょっとだけ強くて、でもそれはリングやコートの範囲内の話で、実際はごく普通の生徒達が通う場所。
…俺達の力が信頼になって、何の不安もなく過ごせる場所になってほしかった。」
「…はい、そうですね。…本当に。」
先輩が何を言いたいのか、手に取るように分かった。私もさっきまで似たようなことを教室で考えていた。だからこそ、私も痛かった。
先輩の唇が少し開いて、音にならない空気だけが漏れて、何も届かないまま閉じる。
先輩は傷ついているのだった。たった一人で背負い込まなくていいのに。きっと理事会か何かでふっかけられたに違いない。先輩は生徒会長として、生徒の代表、生徒会の代表の役を担っている。生徒の不祥事も、生徒会の不手際も、全部全部両手に抱えて、私達の前ではなんてことない顔をする。
「…先輩、私、…」
こんなとき、いつもはうるさいくらい饒舌な私の口は大した言葉も紡げない。どれだけ成長しても自分の中の本当の気持ちが出てこない。
先輩を励ましたい気持ち、その先輩が背負っている荷物の責任の一端を握っている罪悪感、劣等感。そんなものがないまぜになってしまう。
「先輩…私は、…」
それ以上何も言えなくて、ふいに先輩の手を握ってしまった。
「え、」
ずっと上を向いていた凛太朗先輩は、びっくりしたように瞼を少し引き上げてこちらを振り返った。その視線を受け止めきれなくて熱くなりながら、先輩の手って自分のよりめちゃくちゃ大きいんだなんて妙なことを考えていた。
先輩はそんな私を見て、肩の力を抜いたようなふにゃりとした笑顔を浮かべてみせた。そしてなぜかぎゅっと私の手を握りなおす。手の皮の厚さとか、その奥のぬるい体温とか、そんな先輩の生々しい感触が伝わってきて、半ばパニックになる。
「やだっ、離してください、」
「果子の方が握ってきたんだろ、それで拒否るのは違うと思うけど?」
「先輩これどこまでするんですか⁈」
「果子の家まで?…俺の家まで着いてきてくれるつもりだった?」
「そんなことっ…」
本気で怒りそうになったので、一旦冷却。今日、先輩は弱ってるし、私からやっちゃったし、…うーん…
「私の家まで、今日だけですよ。」
「はは、どうもありがとう。」
家まで普通ならあと10分といったところか。それまでずっと私の左手は先輩の右手に拘束されたまま。過去一気の抜けない帰路になりそう。でも…
隣の凛太朗先輩をばれないようにそっと仰ぎ見る。前を向くその瞳はいつもの落ち着きを取り戻していて、凛とした強さを纏っている。
この人の背負っているものを全て理解することはできないだろうし、きっと先輩自身望んでいないだろう。でも、ほんのちょっとだけ分かった気になってもいい、かな。ほんのちょっとだけ頼られたって思ってもいい、かな、なんて…。
「先輩?」
「なに?」
「…私は、先輩の思うこと、間違ってないと思います。私も同じこと、考えていまし
た。」
ぐちぐち悩んでも、出てきた言葉はそれだけだった。だからこれで納得してほしかった。私は先輩のそばにいたい、先輩と同じように悩んで、時には逃げたい、そんな恥ずかしいこと言えないからこれで勘弁。
返事はなかった。でも、その代わりなのか、さらに手に力が加わった。
それで十分かな、なんて、…私、甘くなったなぁ…。
夏の少し涼しくなった夜道で、私達はもう何も口にしなかった。ただ手から伝わる温もりだけを頼りにして、二人で歩幅を合わせながら、ゆっくり、ゆっくり、歩みを進めた。
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