連城高校②
喝采から遠ざかり、私達は校舎の影に入る。むっつりと黙り込んでいる綺麗な顎のラインを晒すその人は、私のことなんて見えていないみたいな早足で、外階段を上っていく。そもそも昼休みなので生徒が少ない教室のある三階までのフロアを無視して、先輩がドアを開けたのはあの部屋がある五階だった。やっぱり怒られちゃうんだ…という諦めと、それでも…!という謎の抵抗心が音を鳴らす。廊下に響くたった2つの足音を聞きながら、私は意を決して、皺ひとつない白い制服の背中に声をかけた。
「せっ、先輩…あの、」
「あ"?」
3歩先を歩いていた先輩は振り向く。左目だけを見開きこちらを睨みつけた怒りの表情であっても、それは”神の完璧な設計”と謳われるだけあってとても美しかったけれど、私は知っている。
こんな顔をするときは、寡黙な先輩が口に出さぬ怒りを抱えているとき…‼
ポケットに突っ込まれた右手がぎゅっと何かを握るようなしぐさをする。それだけで私は震えあがってしまった。だってこの人…。
「うっ…。」
「
「いえいえそんな、滅相もないっ‼」
「だよな、」
そう言っているうちに油断していた私は、さっき自分がしたのと同じように、先輩が一瞬の間に間合いを詰めてきていることにようやく気が付いた。
私が息を吸っただけの空気で、セーラー服のオレンジ色のスカーフが揺れて、先輩の丹田あたりに触れる。
…近いっ‼
「
低い声が聞こえた瞬間、頭に向かって右から拳が飛んでくる。間合いが狭く、おまけに私の方が身長が低いせいで速い攻撃が捉えづらく、すんでのところでしゃがみ込み避ける。
「なっ、何するんですか!危ないじゃないですか!」
「俺に言わせればお前より危ない奴はいない。いじめられているのを見れば誰彼構わず首突っ込みやがって」
「それは当たり前でしょう⁈校内の治安維持は私達生徒会の仕事じゃないですか!」
「それにしても簡単に手を出しすぎだって言ってるんだ。あれ程度俺達が出なかったって何とでもなるだろ。」
問答をしながらも、先輩の手は攻撃の手を緩めない。
この人、普段はほとんど声を発さないくせにこういうときだけ口が達者になるんだ。要は怒らせると面倒くさいってこと…。何故か毎回、ああやって騒ぎを止めに入ると、ものすごく嫌な顔をする。手柄を取られて拗ねてるの?子供ですか?!
私に攻撃の意思はないので、飛んだり跳ねたりしながら延々と避けていく。
「先輩、本っ当にやめてくださいよ‼こんなの意味ないじゃないですか‼」
「一回くらい殴られないと理解できないんだろ。
なら
先輩はついに私を壁まで追い詰めた。左右も壁で囲まれてしまったので逃げ道がない。恐らくこの人に私をボコボコにする意思はないだろう。だけど癪だ。私が間違ってないと思う以上、咎められる必要なんてない。
「反省しろ」
かかと落としのような動きで、先輩の足が私の頭をロックオンする。つま先を極限まで折り曲げて、…ってあれは容赦のない構えだ。やっぱり膝をつかせるつもりなの?そんなの…
「いーーーやだ‼」
さすがに我慢ならなくて、私は拳を握りしめて脛の裏側をめがけて突き上げる。流石の先輩でも、真正面から食らったらかなり痛いだろう。私の狙う打撃点は身長より高い所。だからここからは見えない。さぁ、先輩の踵と私の拳、どちらが速いか…
「はい、そこまで。」
「う、おっ」「わ、」
来るべき痛みに備えて目を閉じた瞬間、柔らかい男の人の声が響いた。いきなりのことに気を取られていたら、声の方から棒手裏剣と何かが飛んできたのに受け身が取れなかった。手裏剣は寸分の
「
先輩と違い、柔らかな明るい声。隙のない均整の取れた歩き方。普通の人なら確実に気づかないだろうけど、その右手の指先がほんの少しだけ袖に隠れていた。
「「
声の主は
「遅いから迎えに来たよ。副会長コンビ。」
「そういう生徒会長こそ何でこんなとこにのこのこ出てきてるんだ。」
片足だけを上げた不格好な姿勢で心底嫌そうに
「それ、ネジ式になってるよ。」
「なっ」
あははと爽やかに笑いつつ地味にえぐいことを言って、凛太朗先輩は立ち尽くしている私に近づいた。
「中庭のあれ、見てたよ。」
「え…あ、いやぁ…」
いつものように笑顔の凛太朗先輩。その姿からは何を考えているか全く読み取れない。怒られるのか、それとも別の言葉をかけられるのか、全くというほど判断がつかなくて、私は固く体を強張らせた。
「さすが、鮮やかな手さばきだね。」
少しだけ目にかかった髪の毛の奥から覗く瞳が私を見つめていた。にっこりと笑っているのが分かって、ひとまず安心する。さりげなく差し出された手をとって、私は立ちあがった。
「ちょっと騒々しかったけど、大勢で一人をいじめてたんだろ?
あれくらいやったって間違ってないよ。しかも果子なら、怪我一つさせずに攻撃できるだろうし。」
そう言いながら凛太朗先輩は愁先輩の方を見る。なかなかに難しい姿勢のせいでネジを回すのに苦戦しているらしく、未だに片足立ちのままだった。
「それに引き換え愁は今、半分くらい本気で果子のことを蹴ろうとしただろ。」
「ちっ…」
綺麗な二重瞼を尖らせて睨みを利かせる愁先輩。凛太朗先輩は余裕の笑みで小さな声を出す。
「そんなに果子が可愛くて仕方ない?」
「「なっ…」」
びっくりして思わず私までも声を上げてしまった。でもそんな勘違いされてたまるもんか‼
「凛太朗先輩、何てこと言うんですか‼愁先輩は私のことが大っ嫌いだから殴りかかったりしてくるんです‼」
「
「あぁこれ?」
凛太朗先輩はエスコートしたのと逆の手にある投げつけられた玉を取った。真ん中に切れ目が入ったクルミのような硬さのそれ。それなりに痛かったような気もするけれど、愁先輩の手裏剣に比べれば随分軽いお仕置きだと思う。
「中身、唐辛子だけど?」
「へ、」
軽い、だなんて考えが甘かった。えげつなさすぎる。絶句している私と愁先輩の隣で、凛太朗先輩はさっき手裏剣の説明をしたときと同じ笑顔で解説する。
「果子は掴み方が上手だったから、仕掛けが
…上の空でその話を聞きながら、私は思い出す。そういえばこの人、一人でチンピラを五人ぶっ倒す私や、その私を攻撃できる間合いに突っ込んでくる愁先輩なんかを束ねる生徒会長なんだった…。優しい笑顔に細身の体で、非力に見えるけど侮ってはいけない。この人は強い。
「また改良しないとね。」
にこにこしながら右の袖に玉をしまう。それからようやく愁先輩の手裏剣に手をかけて、ぐりぐりとひねりながら棒状のそれを引き抜いた。
「愁を迎えに行かせたのは会議の招集のためだろ。
もちろん騒ぎの収集をつけるようにも言ったけど、果子と喧嘩してもいいとは言ってない。」
攣りそうになったのか、ふくらはぎを何度も擦る愁先輩に、凛太朗先輩は微笑んだ。
「これからは気を付けてね。」
右手の中指がほんの少し制服の袖に隠れる。そして再度現れた中指に
…生徒会長、恐るべし‼
「さ、行こう。皆が待ってる。」
「
「果子ぉ~。遅かったね。」
生徒会室に入った瞬間、私は手前の定位置に座っていた会計・
「どうしたの~。」
七聖先輩の体はいつでもぽかぽかしていてとても安心する。私はすっかり緊張モードをほどいて、先輩の肩にぐりぐりと頭を擦りつけた。
「なんにもしてないのに、愁先輩が怒ってきてぇ、そしたら凛太朗先輩が止めに来てくれたと思ったらぁ、私に唐辛子入りの目つぶし玉を投げてきたんですぅ。怖くて怖くて…」
「そうなの?」
私の頭を撫でながら七聖先輩は二人に聞く。優しい手つきに和みながら、私はにやりとほくそ笑んだ。ちょっとくらい怒られちゃえ。
「誤解を招く言い方をするな。俺は首を突っ込むなと…」
「そうだ。少なくとも俺は愁と違って助けに行っただけ…」
醜く言い訳を始める二人を、七聖先輩はばっさりとぶった切る。
「こら~。御託はいいの‼
男の子二人が寄ってたかって女の子をいじめない‼」
「だって『果子/高宮』は…」
「いじめないの‼わかったなら返事して‼」
「はい…」「ちっ…」
七聖先輩の完全勝利!にやにやが止まらない私は、「んしょ」といきなり両手で顔を掴まれたことにびっくりした。そのまま肩から正面に向き合って、可愛らしいお顔と対面する。
「ひゃひゃひぇしぇんぴゃい?」
「果子もだめだよ~。あそこまで大暴れするのは。
一応ね、凛ちゃんも愁も心配してるんだからぁ。」
「見てたんですか?」
解放された頬を撫でながらそう聞くと、七聖先輩はくるりと椅子を回転させて後ろを振り返った。そこには大きな窓―――それこそ中庭も含めた学校の敷地全体を見渡せるような窓があった。
「丸見えだよ~。」
でも頑張った頑張った、ともう一度頭を撫でてくれる。…こういうところがどこぞのお兄さん達とは違うんだよなぁっ。にへにへする私の視界の端では、『は?』というように首をかしげる二人が見えた。ふーんだっ。可愛くてちょー優しい先輩のお膝は私のものだもんねー。
「お、果子ちゃんようやくー。」
「
背後でドアが開く音がして、振り返るとそこには、肩につくかつかないかくらいの長さの髪の毛を無造作に束ねた男の子がいた。凛太朗先輩や愁先輩よりもさらに細身の体を白い学ランで覆い隠しているけれど、その着こなしはちょっとチャラくて、今も上から二つまでのボタンが留められておらず、中の黒いタンクトップが顔を覗かせている。
この人は
「今日も相変わらずチャラいね。」
「果子ちゃんも相変わらず大活躍なようで。…くっ」
言いながら思い出したように笑う。この人、私の顔見て笑ったな?
「酷い、私の何が面白いの⁈」
「いや、だって後ろ…」
くくくっと堪えきれない様子だからどうしたものかと思って後ろを振り向くと、じとっとした目でこちらを睨む凛太朗先輩と愁先輩がいた。何よもう‼
二人に詰め寄ろうとしたら、その前に真白にぐっと腰を引き寄せられた。
「ひゃっ…」「な"、」「う"っ」
手近な会議机に追い込まれ、腰かけるような姿勢になる。さらに真白もその上から両端に手をついてきて、逃げ場がなくなった。多少焦って自然と声が出る。で、どうして先輩二人が攻撃食らったみたいな声出してるの!この状況でビビるにふさわしいのは私だけのはずなんだけど!
「真白やめ…」
くっくっと真白は笑って、さっき中庭で愁先輩がしたみたいに、私達の耳元で囁いた。
「先輩達、あせってらー。面白い、ね?」
「へ?」
それだけ?というくらい中身がない内容。それだけのためにこんな大胆なモーションをしたわけ?
拍子抜けするくらい真白は簡単に私を解放した。そしてあっけにとられた私達を置いてけぼりにして、さっさと椅子に座る。
「会議しましょ?押してるんでしょ?」
「お前が言うな」
「あでっ」
生意気なことを言う真白なんかには天罰でも下っちゃえと思っていたら、真白の横にいた巨体から手刀が振り下ろされた。容赦ない攻撃、他に類を見ない巨体、この人は
「大翔先輩、遅れてすみません。」「気にするな。」
ほんの少しだけ頷きつつ短くそう言う。多くを語らずとも、わかる人にはわかる。万歳、大翔先輩!
さてと、いい加減会議を始めないと。私は奥の自分の席に座る前に、真白の向かい側に座る、その人に声をかけた。
「
自分の名前が呼ばれたと気づいて、そっと顔を上げるのは長い黒髪の華奢な少女。
そっとかすかに首を傾げる、その瞳は漆黒で、いつもと同じく何を考えているのか分からない。この子は
ただ唯一、何かがあるとすれば、茉吏はしゃべらないということだ。その理由や解消法なんかも、粗方尋ねてみたものの、こちらが必死になっても彼女は口がきけないから、何も手がかりは得られないまま。その容姿も相まって美しい人形のような少女だった。
「元気?」
茉吏と話すときはこちらもなぜか小声になってしまう。私のおずおずとした問いかけに、彼女はいつも通りちょっと頷くだけだった。
「果子、座って。」
「はい。」
凛太朗先輩に言われて、状況を思い出した私は急いで定位置に行き、先輩が引いてくれた椅子に腰かけた。皆は既に席についている。
黒板と向き合う位置に、窓側から、私、凛太朗先輩、愁先輩。
私の左手側に直角に置かれた机には、近い方から、七聖先輩、茉吏。
愁先輩の右手側に直角に置かれた机には、近い方から、大翔先輩、真白。
これが私達の定位置。連城高校の方針について最高決定権を持つと同時に、生徒達の保安機関でもある生徒会の会議における正式な隊形だ。
ここに座ると、何となくしゃんとした気分になる。責任感や正義感なんかがないまぜになった何かに、いつも背中をぴしりと叩かれたような気がする。
「では、連城高校生徒会、臨時会議を始めます。」
会長である凛太朗先輩の声。私はもう一度気持ちを入れなおすと、厳かにお辞儀をした。
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