第11話 小笠原嶺二

 ナイフをポケットに忍ばせ、水上刑務所近くのコンビニまでタクシーを頼んだ。


 三年前の夜、梶原充は私の息子の啓斗を殺した。


 啓斗には自閉症があり、その日の夜は子どもの頃から続けていた週に一度の宿泊日で、偶然施設に泊まっていた。


 愛する息子を殺した挙句心がないと言った男を、私は絶対に許さない。


 妻の心は壊れた。夫婦仲も悪くなり離婚した。私は家を売り、裁判で得た賠償金の殆どを妻の口座に振り込んだ。それが啓斗を守れず妻を充分に支えられなかった私にできる、唯一の償いだと思ったからだ。


 息子を奪われ人生を壊された私は、深い悲しみを怒りと憎しみで塗り固め今まで生きてきた。だがそれも今日で終わる。


 先日、私はテレビ討論会に乱入し梶原を殺すと宣言した。


 参加者の山神は何度か私の家に取材に来ていて、個人的にも頻繁に会って話していた。


 最初山神に彼の出演する討論会に出させてほしいと頼んだが、ディレクターに断られた。だが山神の計らいで観客として入ることができた。元々あの乱入と殺害宣言は、私と山神の二人で計画・実行したものだった。それでしか、あの卑劣な男に対抗できないと思ったからだ。山神の『諸刃の刃』という言葉が乱入の合図だと取り決めしていた。


 あの後私は警察署で取り調べを受けたが、すぐに解放された。


 私はこれから梶原を殺す。息子を殺し侮辱した男の命を、この手で奪ってやる。


 コンビニの前に、幼馴染の刑務官田中洋司が立っていた。今日彼は非番だった。


 田中は前回会った時にこう言っていた。


 梶原は支援者からの手紙で自分は英雄だと勘違いを募らせ、面会に来た人に「喋れない重度障害者は死ぬべきだ」などと言っている。しかも今もどこかから大麻を仕入れて吸っているようだと。


 そこで私は梶原を殺害する計画を持ちかけた。最初田中は止めたが、私の息子への思いを聞いて考えを変え協力してくれたのだった。


 田中は私に着替えとIDカードの入った袋を渡し、無言で私の肩を叩いた。


 私は礼を言って受け取るとコンビニのトイレで制服に着替え、帽子を目深に被り刑務所まで歩いた。


 刑務所の裏門をIDカードで通り、裏口も同じようにして潜ることができた。すれ違う職員は誰も侵入者だと気付かなかった。


 職員用の通用口を歩きガラス扉の前でまたカードをかざして中に入ると、その先は服役者たちの収監場所だった。


 私は通路の中程の102と書かれた部屋のドアをそっと開けた。そこが奴の部屋だと田中から聞いていたからだ。

 

 部屋は暗く、鉄格子で囲われた小さな窓から外の暗闇が見える。


 ベッドで梶原充が眠っていた。暗闇の中でもその顔がはっきりと見えた。こいつが息子を殺した男だ。怒りが込み上げてきた。


「おい」


 男に顔を近づけ声をかけた。


「おい、起きろ」


 男が目を開け起き上がり「誰だ?」と聞いた。


「小笠原啓斗の父親だ。お前が殺した息子だよ」


「そんな奴いたっけか」と男は薄ら笑いをした。握った拳が震えた。


「聞きたいことがある」


 怒りを堪え私は男の顔を見た。男は立ち上がり、「何だよ?」と向き合った。


「お前は啓太を価値がないと……人間じゃないと思うか?」


 男は微かに頷いたように見えた。


 腰からナイフを抜いた直後梶原が掴みかかってきて、私達はしばらく揉み合った。


 私は梶原の顔を右拳で殴りつけ、相手がよろけた隙にナイフを天高く振りかざした。その時私は確かに感じた。懐かしい温かい感覚が手の中に甦るのを。


 そして、辺りが目も眩むような白い光に包まれるのを。


 梶原の顔が恐怖に引き攣って、口から「ひいぃっ」と間抜けな悲鳴が漏れた。男は後退り腰を抜かし震える声で叫んだ。


「剣だ……こいつは剣を持ってる!! 眩しい……目が潰れる!!」


 梶原は尻餅をついたままガタガタと震え、私の背後を指差して更に表情を凍らせた。


 その時私は確かに見た。


 背後に黒煙が立ち上り、巨大な龍が姿を現すのを。


 竜は黄色く光る鋭い目で男を睨みつけ唸った。直後、鼓膜が張り裂けんばかりの咆哮に地面が激しく揺れる。

 

「ギャアアァ〜!! 竜だ!! でかい竜が襲ってくる!! やめろ、やめてくれえぇぇ!! 許してくれえぇぇ!!」


 梶原は激しく失禁し床に大きな水溜りができた。


 竜は鱗に覆われたその巨大な半身を反らせ、大きな口を裂けんばかりに開いて真っ赤な炎を吐いた。轟音と絶叫が響き渡る。


「あ"ぁ"ぁぁぁ!! 熱い!! 熱い!! 死ぬ!! 助けてくれぇぇぇ!!」


 炎に巻かれた梶原はのたうち回った。


 やがて竜は格子窓の外に消え、炎もなくなり、気を失った梶原と私だけが残された。


 駆けつけた刑務官によって私は捕えられた。


 その後梶原は心神喪失状態となり精神病院に入れられ、死刑を待つ身となったと田中から聞いた。


 あの時男がなぜあんなに激しく怯えたのか。大麻で幻覚を見たんじゃないかと田中は言っていたが、真相は分からない。


 今日私は前妻に会いに行き、面会室で二人で啓斗の日記を読んだ。


「啓斗があなたを守ってくれたのね。私も勇者の剣が欲しいわ」と彼女が言ったから、腰から抜いて渡す真似をした。彼女は微笑んでそれを腰に刺す仕草をした。


 窓のカーテンの隙間から光が差していた。



        


                   了

 

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勇者の剣 たらこ飴 @taraco-candy

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