第45話 歯止めが効かない男と女

戸惑う松木をみて、忍はこれは無理だと思い、得意技の自虐ネタで逃げることにした。

「あはは、今日も飲み過ぎちゃったのかな~。ごめんなさい、私みたいなブサイクな子にそんなこと言われても気持ち悪いだけですよね~。全部冗談なんで、忘れてくださいね!それじゃあ!」


カクン


走って逃げようとしたのに、慣れないヒールで見事にズッコケてしまい、逃げるに逃げれなかった。


クッ、不覚…


恥ずかしくて穴があったらほんと入りたい

っていうか、この川に飛びこんで沈んで浮上しないようそこらへんの石像を重しにして投げ入れてほしい


私みたいな、私みたいな女が

なんて身の程知らずなことを


転んだまま身動きできない忍に、松木はそっと手を差し伸べた。

「大丈夫?ケガはない??」

「はい…」

すると忍がつかんだ手を自分の方へ寄せると、そのままギュッと、抱きしめた。


えっ…


そこへ、思いがけないセリフ。

「僕も、忍ちゃんのことが、好きだよ」


うそ…


パチパチパチ


何時もまばたきをする。


「なんでこんな僕を?生活に疲れたただのおっさんだよ?」

「そんなことないですよ…松木さんは優しくて心が温かい、すてきな人です…」

「それを言うなら忍ちゃん、君もだよ?だから、自分のことをブサイクとか、処女を捨てたいとか、自分を粗末にするようなことは言ってはダメだよ」


まっすぐ、自分の目をみてそう言ってくれる。


あ、ダメ


泣きそう


いや、もう泣いてる


涙で、前がよく見えない



松木の指先が、忍のほほを触り、涙を拭う。


そしてそのまま


瞳を閉じさせると


唇が近づいた。



………


忍にとってはファーストキス。


温かい…


どれほどの間そうしていたのだろう


時が止まったような錯覚をおぼえた。


「僕も男だから、どうにかなってしまうよ」

「それで、いいです…」


意を決したように、松木は忍をエスコートして歩きだした。

近くのホテル街。

空室を見つけると、チェックイン。


初めて見る本物のラブホの部屋。

背徳感が理性を超え、本能を呼び覚ます。

松木に身を委ねると、照明を消した薄暗い部屋のベッドの上で、忍は服を脱がされ、裸の松木を全身で感じていた。


「ん…あぁっ…」

声にならない声。

自分の中からこんな声が出るとは思わなかった。

「ハァ…ハァ…」

初めて聞く松木の声。


あぁ

男の人って

興奮するとこんな声になるのか


色っぽくて

もっともっと

ほしくなる



彼のすべてを



悶えながら

熱い吐息を受け

全身が敏感になる


「あっ…ん…」


頭の中が真っ白になって

もう何も考えられない


快感に溺れ

彼とひとつになれたよろこびを感じ

おたがい絶頂にまで達していった




土曜日の夜

咲希の自宅には、南井が訪れていた。

合鍵は存在が重いから持ちたくないと、

柴田の手元にないのが好都合。

勝手に入られることもなければ、

余程のことがなければ来ることもない。

堂々とふたりは、おうちデートする仲にまでなっていた。

一緒にお風呂に入り、たくさんキスをして、あまえあう。

咲希にとっては、絶対柴田とはできないラブラブデート。

うれしくて仕方ない。

「こんなに魅力的な咲希さんの裸を目の前にして、手を出せないのはなかなかの生き地獄ですね」

ウエストが細く、胸は大きく艷やかななハリのある白い肌。

この身体に、柴田も魅了されたのだ。

南井は咲希の体調に配慮し、挿入するセックスまでは至らなかった。

「体調が落ち着いたら、いっぱいしましょうね」

小悪魔っぽく言うその仕草ですでに、南井は骨抜きにされるほど咲希に惚れこんでいた。

ベッドに入ると手を繋いで眠る。

夜にひとりじゃない。

隣に誰かいるぬくもり。


そう、私こんな愛情を求めてた

浩輝さんとじゃ味わえない幸福感

南井さんと、陽介(ようすけ)さんと結婚したら

毎日こんなに幸せなのかな


そんなことを考えている。



翌朝

初めて一夜を共にしたあと

不慣れなことに戸惑い

どうしていいかわからず

ベッドの中でモゾモゾかなり挙動不審な忍。


松木はまだ眠っている。

そっと、寝顔を見つめる。


「きれいな顔…」


私、この人に抱かれたんだ

無我夢中だったけど…


だけど

これで最後


きっともう、会うこともない


「ありがとうございます、松木さん…」


私の無茶なお願いをきいてくれて


好きな人が

私のことを

好きといってくれた

やさしく抱いてくれた

それだけで

私はこれからも

生きていけます


そそくさと着替えを済ますと、

食事代やホテル代を半分置いて

忍はそっと出ていった。


時刻はまだ6時。

明るくなった街はまだ目覚めたばかり。

日曜ゆえ出勤に急ぐ人もおらず、どこかのんびりした空気を漂わせていた。


朝帰りしちゃった…

お父さんになんて言おう

多分朝まで飲んでたとかいえば

それ以上詮索はしないだろうけど


なんとなくすぐには帰りたくなくて、

誰もいない堤防沿いの草道を歩いた。


昨日のことはあまりにも自分の人生とはかけ離れ過ぎていて、一瞬夢だったんじゃないかと思ってしまう。

だけど、下腹部の痛みが、あれは夢じゃないんだと教えてくれた。


処女を失うってこういう気分なのか…


40歳にもなってこんなこと言うのも恥ずかしいけど

自分が少し、大人になったような気がした。


ワンピースがたなびき、スカートの中がスースーする。

コンクリートの階段に腰かけ、空を見上げた。

少しひんやりした5月の朝の空気が、ほほを撫でていく。


いつもと変わらない景色なのに

昨日とは少し、

違ってみえる。




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