満月がいっぱい

路肩のロカンタン

.

 あーしは遂にやった。

 目の前にひざまずいている女、かの有名アイドル保坂トイロ、あーしから不動のセンターの座を奪い取った不倶戴天ふぐたいてんの敵、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、誰もが崇め奉る輝かしい偶像アイドルを、遂にここまで追い詰めてやったんだ。


 木曜の午後10時23分、ガラガラになったボロい銭湯の脱衣所、この全てが御誂向おあつらえむきになった状況シチュエーション……このセッティングにもってくるまで、どれだけの調査と忍耐の時間を費やしたか、こいつには分かんないだろうな。

 全く、未だに部屋にお風呂も付いてないような身分で、よくあーしが育て上げたグループのセンターを張れたもんだ。

 馬鹿で無知蒙昧なファンの方々は、それをまた無垢イノセントなひたむきさと称賛してたんだけど。実情はただのキャラ作りだってのに。こいつ、もう引っ越すだけの実入りはあるはずだろ。

 我らがアイドルグループ、''葛城かつらぎドールズ''のコンセプトは、''みなし児の少女を、あの光り輝くステージへ''ってやつだった。

 苦労人だったら誰だって御輿を担ぐのが、この国の娯楽エンタメだから。特に悲劇の美少女はね。今どき銭湯なんて、死体ボディの解体ぐらいでしか使わないのに。


 そしてこの怯える表情ときたら……あーしを見上げているその潤んだ目は、どこかの黒いハイブランドのコートも相俟って、何だかとても煽情的にみえる。そうだ、こういう……街を歩いてもなるべく人目に付かない、それでいてしっかりとした作りの、知る人ぞ知るみたいな、シルエットの綺麗なお召し物をいつも着ているんだ、この女は。ムカつく。いつものファンからの貢ぎ物だ。


 恐怖に歪み、引きつったその顔……毛先の末端まで手入れの届いた金髪……あーしを見上げるその端正の取れた、全てのパーツが在るべき場所に完璧な調和の元に収まったかのようなその顔は、こうやってまじまじと見下ろすと、余計に美しいものに見えた。

 完全無欠、無垢イノセンス神聖ディヴィニティー現身うつせみ、これが保坂トイロの正体だったのだ。

 

 クソが!


 こいつはこうやって殺される直前でさえ、完璧にアイドルそのものなんだ。悔しいけど、それだけは認めざるを得ない。

 だからって今更、決心が揺らいだりはしない。あーしは、右手に強く握りしめていたナイフを空に振りかざす。保坂トイロの発する悲鳴は更に大きくなる……あーしはその綺麗な金髪を掴み、こいつを浴場へと引き摺ってゆく。


 忘れていた、ナイフっていうのはこうも……難しい。人体にはそう簡単と突き刺さってくれない。殺し屋をやってたのは確かもう4年も前だから、あーしの腕は完全に鈍り切っていた。いや、緊急で用意したこのナイフのせいかも。

 福田さんとこの武器屋は秘密裏に銃だって扱ってるけど、刃物類の質に関しては全然だ。今度レビューで低評価しておこう。人殺しに使う武器なんてのは適材適所で、その時の状況に応じて最適解を選ばなきゃいけないのに。


 でも結果としてはこれでよかったのかも。苦しそうに口元から泡混じりの鮮血を吹き出し、瞳孔を激しく収縮させ、手足をバタバタと痙攣させている保坂トイロを見ていると、苛立ちも少しは収まってきた。

 熱いお湯と一緒に流れてゆく真っ赤な小川、とても綺麗でうっとりしてしまう。どうせならこのまま、元サヤしてしまおうか? いや駄目だ。''全日本殺し屋協会''からは危険人物認定されて追放されたから、どう足掻いても復帰は無理だろう。あーしは未だに、こうして絶対に振り向いてくれない恋人に、身を捧げているんだ。''人殺しの快楽''っていう恋人に。

 テキパキと迅速に、長い長い腸も引き摺り出して小さく切り刻む。この曜日、この時間帯に他の客は来ないはずだが、油断は禁物。あーしは真っ赤な保坂トイロちゃんを小さく、もっと小さくしてゆく……


 

 外に出ると夜空に満月が浮かんでいた。

 その光は神々しくて、目の内にこびり着いて離れない霞のように、あーしの脳裏にゆっくりと染み付いていった。


 冬の冷たい空気が肌に噛みついて、あーしは高揚する身体を小さく震わせた後、血に染まった上着のポケットからハイライトを取り出し、ライターで火を付けた。

 吐き出す白い息が、タバコの煙と混じり合う。これだから冬の一服は辞められない。


 あーしは遂にやった。

 あの保坂トイロを、この手で殺ってやったんだ。





 指先で辿る仮想空間SNS

 誰もがお決まりの定型句を投げ合っている。驚嘆、悲嘆、陰謀論の混合ブレンド……誰もが思い思いのポエムを書き殴っていた。


 そういう意味ではここ半年、とても退屈だった。それは現実でも同じことだ。

 最初の数ヶ月は事務所の社長も、マネージャーも、他のメンバーもまるでこの世の終わりみたいな顔して動揺してたけど、人間の適応能力ってのは案外馬鹿には出来ないみたい。半年も経てばあーしはセンターに帰り咲き、まるで何事もなかったかのように、''葛城かつらぎ''であの歌い慣れた曲を歌っていた。


 やっぱり拍手喝采の音楽っていうのは、真ん中に立って浴びるのが一番嬉しい。広い会場のL⇔Rのステレオを、左右どちらかの方向にズレて楽しんでるのは馬鹿な奴だけ。


 もちろん死体ボディはあの銭湯で、完全に透明処理にしておいたから心配ない。骨だけはどうにもなんなかったから、家に持ち帰って細かく砕くのに骨が折れたけど。文字通りに。

 最後は福田さんの軽トラで近所の山奥まで行って、その辺にサッと撒いちゃっておしまい。福田さんはカタギになったあーしに手を貸してしまったのに色々と愚痴ってたけど、現役時代に握ってた弱みの証拠をいくつかもう一回見せたら、顔を真っ青にしてお願いを聞いてくれた。やっぱりこんな時のために、保険はとっとかなくちゃね。


 それにしても、眠い。

 あの夜、およそ4年振りに人を殺してからというもの、あーしはろくに眠れない体質になってしまった。何だか目を閉じても、瞼の裏側で、あの日の満月の光がチラついてしまうような気がして……


「✕✕ちゃん? 大丈夫?」


 私はうとうとして、持ってるスマホを床に落としそうになった。広々とした楽屋の机──向かいの席には清水マキがいた。

 ''葛城かつらぎ''のメンバーの一人であり、古株のオリメンだ。まあどのグループにもいるような、その種の権威に胡座をかいてるだけの、いまいち跳ねきらない地味な奴。あと数十年も経てば、立派な老害ロートルになるようなね。


 そんでこいつが一番、保坂トイロが消えて、何日も何日も分かりやすく悲しんでた。何故かは分からなかったけど。


「あー、ごめん大丈夫。最近寝不足でさー」


 清水マキはこちらへ身を乗り出し、真っ直ぐな目で覗き込んできた。ちけえよ馬鹿。次はこいつをバラしてやろうか。


「ねえ、✕✕ちゃんってさ、そもそも何で''葛城かつらぎ''に加入することになったの? 付き合い長いけど、そういや聞いたことなかったなって……」

 

 あーしは一瞬、押し黙った。まあ、ここは部分的に嘘を吐くしかないか。


「あー……まあ、前のグループにいた時にお世話になってたマネージャーがいて、その人がオーディションを勧めてくれたんだよね」


 実際は''協会''を追放されてから、楽にチヤホヤされて金が稼げる仕事に就きたかったから、福田さんから紹介して貰ったのだ。

 あそこの芸能事務所の社長は昔からの知り合いで、いくらでも融通が効くって。自己顕示欲の強すぎるお前に闇の仕事は向いてない、社会復帰の為の人格矯正プログラムを受けた後は、人々に夢を与える真っ当な表の仕事に就くべきだって。


「ふーん。そっか」


 清水マキはそう言うと、どこにでもいるような地味な顔と、地味な髪型と、泡沫のメンバーに与えられる地味な衣装を翻して、颯爽とどこかへ消えた。

 何が「ふーん。そっか」だよアホ。普段から何も喋らず、誰ともつるまずに、毎日仕事が終われば真っ先に家に帰るような奴だ。気持ち悪い。

 あーしはスマホを机に置いて、ロッカーにある衣装に着替え始めた。ストレッチだって入念に、やった。



 今夜のライブも大盛況。

 浮かれ気分で家の近所の高架下を歩く。

 

 質量のある闇だった。

 冷たい月明かりが微かに差し込んでくる。

 すると視界の右端と左端から、2本のナイフの切先が煌めくのが見えた。私は素早く身を交わす。ナイフは鈍色のコンクリート上で乾いた音を立てた。


「すごーい! まだ全然動けるじゃん」

「めんどくせー。早く済まして帰ろうよ」


 それは顔馴染み2人──殺し屋時代の先輩、''Wアイコ''だった。どっちも名前は''アイコ''で、片方はずんぐりむっくり、片方はガリガリの幼馴染。

 ''協会"からトップランクの評価を得ている凄腕。ブランクもあるし、2人相手は──ちょっとキツいかも。


 ''Wアイコ''はその色濃い暗闇の中で、ジリジリとこちらへ近付いてくる。


「うちら今回、特例ってことで大分報酬ギャラ弾んで貰ってっからさー、本気でいくからねー。かわいい、かわいい''元''後輩ちゃん♪」


 あーしは誰からの依頼か考えた。答えは自ずと導き出された。


「あーそっかあ。''無口な奴には気を付けろ''ってことねー。やられたわ」


 まあ、ここまできたら仕方がない。覚悟を決める。いつだって、そうしてきたんだ。

 夜空に浮かんだ満月が、あーしをいつまでも照らしていた──





 


 

 



 どのメディアも未だに、トイロちゃんのかつての美談ばかりを流している。

 彼女は毎月の収入の殆どを、世界中の孤児院に寄付しており、自身はずっと風呂なしの部屋に住んでいた、などなど──


 まるで海外のラッパーが死んだ後に、次々と未発表音源がリリースされるかのように。行方不明になった伝説のアイドル保坂トイロは、未だに大衆の中では死んでいないのだ。

 

 そして次の緊急速報。

 都内で20代女性の遺体が見つかった。アイドルグループ、''葛城かつらぎドールズ''のメンバー、''✕✕✕✕''と思われる。警視庁は捜査を続けており──




 昔、極秘裏に公開されていた、''殺し屋協会所属人員リスト''と、その''評価レビュー一覧書''。

 危険を犯してまで、事務所に忍び込んで入手した甲斐があった。


 あの時、''✕✕✕✕''の反応を見て、疑惑が確信に変わった。私たち''葛城かつらぎドールズ''は、今や''全日本殺し屋協会''の天下り先として利用されているような、れっきとした闇社会の''フロント''だったのだ。

 恐らく、集まった身寄りのない少女の何人かを''協会''に提供する代わりに、莫大な資金援助を受けていたのだろう。

 ''✕✕✕✕''はその異常性から、''協会''から事務所へと突き返されてきたサイコパスだった。

 どこまでも温かい光が射す場所の裏側には、それ相応の深く濁った腐敗の影が落とされている。

 きっとトイロちゃんの放っていたあの光は──あまりに眩しすぎたのだろう。

 

 それなら私は、あの満月の光になりたいと思った。

 それはいつでも冷たい。だからいつでも冷静でいて、私たちがゆく闇夜の道を照らしてくれるからだ。



「清水さん! そろそろ出番でーす!」


 

 楽屋のドアの向こう側で、スタッフの一人が呼んでいる。私はスマホを鞄にしまい、椅子から立ち上がってはゆっくりと歩き出した。

 あの光り輝く、ステージの真ん中へと。


 

 ああ、トイロちゃん──

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

満月がいっぱい 路肩のロカンタン @itmightaswellbespring

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ