三 追いかけてくる犬
翌日、一晩寝ると恐怖心も薄れ、いろいろと頭の混乱も収まってくると、むしろ滑稽にすら思えてきてしまうあの奇妙な犬の話を、俺達はクラスメイトに自慢したくなった。
「──いや、嘘じゃないって! マジでオッサンの顔してたし、人間の言葉喋ったんだって!」
「はいはい。そうやって話題にして、テレビの特番にでも出ようって魂胆なんでしょ? で、その変な犬は宇宙人が作ったとかいう設定か?」
だが、荒唐無稽なそんな話、他のやつらは誰一人として信じてはくれず、俺達が申し合わせて作り話をしてるものと、とんだ嘘吐き呼ばわりまでされてしまう。
「おい、B! おまえも見たよな? おまえもマジな話だって言ってやってくれよ!」
「いや、あれはきっと見間違えだ……」
そこで話に加わっていなかったBにも応援を求めてみたのだが、Bはぼそりとそう答えただけで、昨日と同じ暗い顔をして教室を静かに出て行ってしまう。
「そうか。作り話じゃなくて見間違えか。どっちにしろ眉唾物だな」
「いや違う! 見間違えでも聞き間違えでもなかったんだって!」
そんなBの裏切りもあり、けっきょくあの犬のことは与太話として一笑に付され、俺達ももう、それ以上説明することを諦めた。
そうして自慢できるどころか嘘吐き呼ばわりまでされてしまい、その日は一日中、悶々とした気分で過ごした俺達は、夜、憂さ晴らしにバイクで走りに行くこととなった。
ずっと打ち沈んだ様子だったが試しにBも誘ってみると、気分転換したかったのか? その誘いには意外とすんなり乗ってきた。
走る場所は近くの山にあるいつもの峠道。ほどよくクネクネと曲がっているのでロードレースのコース感があり、加えて夜はほとんど車が通らず、人がいないので目立ちたい暴走族も来ないという、まさに格好の遊び場だ。
「──ヒヤッホー! 夜風が気持ちいなあ!」
「ああ! ったく、何が作り話だコラーっ!」
「オッサンの顔した犬はいまーす!」
昼間の鬱憤を晴らすかのように、俺達は大声をあげながら、誰もいない夜の峠道をバイクで颯爽と駆け下る……。
「……ん?」
だが、しばらく走っていると、サイドミラーに何か違和感のあるものが映っているのに気づいた。
それは四つ足の獣のような黒い影で、道路の地面スレスレの場所を猛スピードで駆けて来ているようだ。
山道だし、イノシシかタヌキか何かだろうか?
最初はそう、思ったのだが……。
「…ワン! ……ワン! ワン…!」
エンジンの爆音に混じって、そんな犬の鳴き声も微かに聞こえるような気がする。
「犬? ……ま、まさか……」
俺の脳裏にある予感が過ぎったりもするが、そうこうする内にもその黒い影は、ものすごいスピードで背後から近づいてきている。
「お、おい! あれ!」
他のやつらも気づいたらしく、Aが後手にそちらを指差して何かを訴えかけてくる。
「……!?」
その声に後を振り返った俺は、迫ってくるそのものの正体に絶句した。
距離が縮まり、街灯の灯りでよく見えるようになったそれはやはり犬だった……しかも、昨日見たあの、オッサンの顔をした野良犬だったのである!
そのオッサン顔の犬が、時速60㎞は出ているであろう俺達のバイクに追いつこうとしているのである!
「うわあぁぁぁーっ…!」
Aに諭され、B、C、俺の気づいたのは同時だったと思うが、それが例のあの犬だと知ると、不意にBは悲鳴をあげて、エンジンを吹かせると急加速する。
確かに、一晩寝たら滑稽なようにも思えていたのだが、こうしてまた実際に遭遇すると不気味極まりなく、一気に全身の血の気が引いてゆくのを感じる。
そんな異形のバケモノが追いかけてくるのだ……逃げたくなるのもわからなくはないが、いかんせんここは曲がりくねった峠の下り坂。あまりスピードを出しすぎては事故るの必至である。
「お、おい! B! 危ないぞ!」
俺は慌てて注意するが、Bは聞こえていない様子でぐんぐん先に行ってしまう。
「お、追いつかれるぞ!」
だが、そんな努力も無駄とでもいうかのように、Aの声に再び振り返ると、すぐ目と鼻の先にまでオッサン顔の犬は迫って来ている。
「…ワン! ワン! ……ワン! ワン…!」
そして、鳴き声を響かせながらさらに速さを増した犬は、俺達のバイクを追い抜いて、その傍をあっさりと駆け抜けて行ってしまった。
「うわっ…!」
それに驚いた俺達はバランスを失い、各々車体をフラつかせながら軽く転倒気味にバイクを止める。派手にコケないようにするのが精一杯だ。
「…ワン! ワン! ……ワン! ワン! ワン…!」
が、その間にも脚を止めることなく、なおも犬はBのバイクを追って、徐々にその距離を狭めてゆく。
「く、来るな! う、うわああああーっ…!」
Bが追いつかれ、追い抜かれるまでに時間はかからなかった。
しかも最悪なことに、スピードを出していたBのバイクはバランスを失うと、ド派手に回転しながらガードレールにクラッシュしてしまう。
「…ワン! ワン! ……ワン! ワン! ワン…!」
しかし、それだけのことがあっても気に留めるきことなく、そのままオッサン顔の犬は走り去って行ってしまう……。
「……ハッ! B! 大丈夫かーっ!?」
一瞬、呆気にとられて固まってしまっていた俺達は、急いで起き上がるとバイクも放り出し、あちこち痛む身体でBのもとへと駆け寄った。
「…っ! おい! しっかりしろ!」
「ま、まだ生きてるよな……」
「きゅ、救急車だ! ど、どっか公衆電話探せ!」
慌てて
まだスマホはおろかガラケーすらなかったような時代だ。俺はバイクを取りに戻ると麓まで下り、そこにある電話ボックスでしどろもどろに救急車を呼んだ──。
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