約束

@pammomo

第1話

  約束                            

                                    機器菓子 さいこ


ほかと自分とは違う。あなたはいつそう考えるようになっただろう。客観視ができた気になって、自分を特別視する。誰にも見られていないのに、皆に見られていると錯覚する。その瞬間に、誰もが己を特別だと思っているのだ。

根拠もないのに確信をもって己が特別だと考えている人間の中に本当に特別な人間などいない。


特別な人間は、特別ゆえに責任を背負っているというのに。



広い部屋にシンプルだが豪勢な机、背の高い本棚と申し訳ない程度の観葉植物。壁にかかった時計に、来客用の椅子と机。上着掛けのポールハンガー。そして重厚な椅子に腰かける細身の少女。少女が身にまとうのは明らかにサイズの合っていないいささか不相応な軍服。窓から差す日差しが室内を照らすと同時にドアが三度鳴った。

「どうぞ」

少女が通る声で返事をすると重厚感のあるドアが開き凛々しい女性の声が聞こえた。

「失礼します。支部からお電話が来ております」

メガネをかけた軍服姿の女性がドアを閉め少女に向き直る。

「私にか?」

「はい、東京支部から付(ふ)枷(かせ)総監につなげと言われております」

「了解した」

少女————付(ふ)枷(かせ)零(れい)は袖から手を出し机の上にある内線を少し操作したのちに耳に当てた。会話が終わると零は立ち上が佇む女性に声をかける。

「美(み)華(か)、少し出るわ」

声をかけられたスーツ姿の女性、美華は手元の端末を覗きながら答える。

「東京支部に行かれるのですか?あと一時間で会議が控えておりますが……」

「……あなたなら私が次に何を言うか分かるでしょ?」

にやりと笑う零に美華は思わずため息をつく。

「特別給を期待しておきます」

それを聞いて零は満足げな笑みを浮かべると、

「好きなところを予約しておきなさい、十八時以降で。どれだけ高くてもいいよ」

とだけ言いドアを開け放って行った。

「…………」

美華はそれを見送るとため息をつき机の上の会議資料に手を伸ばすと

「あ、東京支部の人が足りてないらしいから応援に行ってくるだけだよ!」

と、ドアのほうから聞こえた陽気な声に美華は驚きに体を少し震わせた。ふと目をやるとしまっていくドアの間にひらひらと揺れる零の手のひらがみえた。

「……それなら私が行ってもよかったんじゃないですか⁉」

ふと気づいてそう言ったときにはもう零の姿はなかった。



「呼ばれたから来たぞ!」

その声と同時にドアが蹴破られる。反動で閉じていくドアの内側には軽くへこんだ跡が見えた。そしてドアを蹴破った美女は机に座る男に向き直り指指す。

「…………誰もわざわざ君に来てくれとは言っていないぞ」

指をさされた青年は、呆れを顔に表してため息とともに答えた。

「な~んでだ。君の愛する女が来たんだ!少しくらい喜んでくれてもいいんだぞ?」

青年は額に手を当てると美女に目を向けた。

「……俺は今喜んでないやつの顔をしているか?」

声をかけられた美女は目の前の椅子に飛び乗った。

「いや、男らしくニヤついているぞ」

「男らしくってどういうことだよ」

「気持ち悪くない程度に気持ち悪くニヤついているぞってことだよ」

「それは気持ち悪いってことか?」

「……それで?なんで私を呼んだんだ?」

心なしか青年の眉間にしわが寄った。

「………現場への応援が数人欲しかったんだけど、君が来てくれるなら君だけでいいだろう。A-2エリアにm」

「いやだね!」

「じゃあ何しに来たんだ君は!」

おもわず机を叩いて勢いよく立ち上がった。

「物は大切に扱うべきだぜ、ダーリン」

青年が立ち上がる勢いで倒れそうになった椅子を瞬時に後ろから支えながらささやく。ドアを蹴破った女が言うセリフではない。

「……零、その姿でその言葉遣いはそろそろやめてくれないか?言動と体格が比例してない」

あと、急に後ろに回るのもやめてくれと、美女——零が直した椅子に腰かけながら青年が付け足す。

「いいじゃん、こっちの姿のほうが好きだろ?」

美華に別れを告げた時とは二回り大きい体格の零が両手を広げてその場で回る。

「そんなことより、早く応援に行ってあげてくれないか?」

「大丈夫、彼らならもう終わっているよ」

零が報告書を乱雑に投げながらもといた椅子に腰かける。

「……できれば最初から出して欲しかったな」

「焦らすのが趣味なんだ、緊張感があっただろ?」

「こっちは数少ない隊員の命が心配でしょうがなかったよ」

青年は報告書を覗きながらつぶやく。

「……やはり人員不足か、大都市圏なのだから派遣人数を増やすべきだな」

「いや、国の避難経路不足だな」

報告書から顔を上げ、視線だけで零に疑問をぶつける。それを知ってか知らずか、いつの間にか少女姿になった彼女はぶかぶかになった袖をもてあそびながら言う。

「隊員の実力は申し分なかった。私が住民の安全を確保したらすぐに片づけてくれたぞ」

「………………」

「まぁ、こればかりは私に任せてもらおう。立場だけは高いからね」

「……頼むよ、私の立場ではそこまで手が回らないのでね」

「何を謙遜しているんだ。神格の英雄こと、神楽坂支部長?市民からの支持は君のほうが圧倒的だ」

零は顔にからかうような笑みを浮かべている。

「それは君が顔を出さないくせに偉そうだからだよ」

零は総監として表舞台にほとんど姿を現さない。

「それを言うなら君は腰が低すぎる、もう少し胸を張ったらどうだ?」

「…………天下の魔導庁総監に言われてしまってはどうしようもないな」

:満足したようで、軽い足取りで青年———神楽坂(かぐらざか)御束(みつか)に近づく。

「今日、美華とディナーに行くんだ。来ないか?」

その言葉に御束は手元の報告書にサインをしながら応じる。

「これからコメンテーターとして収録なんだ。遠慮しとくよ」

「私のおごりだぞ?」

その言葉に一瞬ペンが止まる。

「…………いや、遠慮しよう」

「今ちょっと心動いただろ」

「動いてない。葛藤なんてしていない」

零が少し前のめりになる。

「嘘はよくないぜダーリン」

青紫色の瞳が眼前に迫る。

「……ともかく、僕は遠慮しとくよ。美華さんに恨まれたくはないし」

右手で彼女の顔を押し戻すと零はそうか…とつぶやき、肩を落として乗り出した身を引き重々しくソファに戻る。背中に少しだけ哀愁を感じ、御束は少しその姿に同情を感じた。声をかけようとすると零の口角が上がるのがちらりと見えた。ソファに座った零はこちらに顔を向けた。

「今夜は遅くなるからね、ダーリン♡」

同情するだけ無駄だった。

「誰も君の帰りを待ってないよ」

「わぁ。辛辣~でも安心して頂戴、待ってなくても帰るから」

「来ないでくれ」

「可愛い彼女になんてこと言うんだよ~」

零は身体を伸ばしながら猫なで声で言う。

「君は僕の彼女じゃないだろう?」

はぁ…と、ため息が漏れる。

「これだけラブコールをしているのだから少しくらい答えてくれればいいのに……」

数年前からこのラブコールは続いている。初めて零と顔を合わせた時から一方的なアプローチが始まっていた。いつの間にか「ダーリン」と呼ばれていたり自分のことを「君の彼女」と言ったりする。最初は否定していた御束も今では無駄だと悟ったのか何も言わなくなった。そのせいだとは思いたくないが美華からのあたりが強いことが長年御束の悩みだ。

「……そうだな、君が僕の代わりにコメンテーターとして出てくれてもいいんだよ?」

先ほどと打って変わって御束の顔には笑みが浮かんでいる。相対的に零は眉間にしわを寄せる。

「その番組ってあれでしょ?あの爺さんがやっている番組。あの番組嫌いなのよ。あの爺さん、大御所だからとかでセクハラしてくるから」

御束の笑みが引き攣った。生々しいなんてもんじゃない。

「……そうか、世界的な大女優が言うのだから間違いないな」

零が総監としての顔を隠している理由の一つは魔導庁に努める前から続けていた俳優業が成功したからである。御束が代わりに魔導庁の矢面に立っているのもそれが原因だ。まぁ、大きく成功したのが俳優業というだけで御束にも伝えていない副業があるらしいが…………とにもかくにも「世界的に絶大な人気を誇る女優が魔導庁の総監だったなんて知れたら大変だ」という理由で零は素顔を世間にさらすようなことがないように普段から生活している。世間に総監として姿を見せるときは足まで覆う外套と顔を覆うほどの仮面を身に着けている。

「ともかく君は本部に戻ったほうが———」

そこまで言いかけた時にドアをノックする音が聞こえた。零は瞬時に仮面と外套を身に纏った。背丈はまた大きくなっている。御束はその様子を確認するとドアに向かって入れ、と声をかける。

その声に応じてドアが開いたときそこには女性が立っていた。顔は美華と瓜二つだ。

「失礼します。長官、そろそろ移動したほうがいいお時間かと」

その女性は零に軽く会釈をしながら端的に要件を述べる。零からしてみれば美華と見分けがつかないだろう。強いて違いを上げるとすれば体のシルエットが少し違うぐらいだ。総監である零に対して会釈で済ませる物おじしない姿勢も似ていると感じさせる。

「……もうそんな時間か?まだ時間はあると思うんだが」

「間に合わない気がします」

「いや、今からなら歩いて行っても間にあ———」

「私の勘が間に合わないと叫んでいます。五分で準備をしてください」

それだけ言うと頬を赤らめて足早にドアを閉めていった。零は仮面を外し閉じられたドアを見る。

「美華に噂の若返り草でも飲ませたみたいな女の子ね」

「確か妹さんだよ。姉にあこがれて魔導庁(ここ)に来たらしい」

「私、美華に妹がいるなんて知らなかったわ」

「長い間顔を合わせていないと聞いているから、美華さんは知らないんじゃないかな?一方的に姉の存在を知っているようだし」

「……なんだか釈然としないわ。私のほうが美華のことを詳しく知っていたはずなのに」

それを聞くと御束はリュックを背負いドアへ向かう。

「僕が知っているのは美華さんのことじゃなくて彼女———麗華さんのことだよ。美華さんのことは君のほうが詳しいままだ、安心してくれ。麗華さんは君ぐらい詳しいのかもな」

「そんなことはないわ。美華のことは私のほうが詳しいもの」

それだけ言い切ると零は仮面を着けなおした。御束はその自信はどこから来るんだと苦笑しながらドアを開けた。

「じゃあ、僕は行くよ。総監殿も早く本部に戻ってあげてくれよ」

零は首を縦に振ると去っていく御束をその場で見送った。彼女の頭はすでに近場にできたカフェのことでいっぱいだった。



支部長室から足早に去った麗華は真っ赤な顔で自分の行動を後悔していた。あの部屋から聞こえた神楽坂支部長とあの女性の楽しそうな会話に焦りを感じ思わず室内へ飛び込んでしまったのだ。

(仮面を着けていたからどなたかわからなかったけれど、あの方は神楽坂さんとどういう関係なのかしら。恋人ではないといいのだけれど……いえ、恋人だからどうっていうわけではないのだけれどね⁉)

鬼のごとき形相を浮かべ、ものすごい速足で歩く彼女はどこの誰に伝えるわけでもない言い訳を考え続けていた。



零は本部に戻る道をたどるがその姿はさながらお金持ちのお嬢様、向かう先にはおしゃれなカフェが一軒。人気なのか、昼過ぎにもかかわらず行列ができていた。その光景を遠目に見て手に持っていた日傘をくるくる回しながらその場で逡巡する。白い日傘が優しく輝き、身に纏ったワンピースの裾はゆらめく。それほど人通りの多くない通りだが、道行く人すべてが神秘的な少女姿の零に目を奪われる。

(さすがにここに並んでいたら美華に怒られてしまうな……)

その視線を知ってか知らずか、注目を一身に受け零はまた歩を進める。顔に浮かぶほほえみからそんなことは意にも介していない。これが大女優たる余裕なのだろう。

本部まではそれほど遠い距離でもないが歩くとそれなりに時間がかかる。文句を垂れる美華の姿が零の脳裏に浮かび、足取りが少し重くなった。

路地を抜けた零の左に「コンクロス注意!」という色褪せた張り紙、右に目をやれば今週の出没率という図が家電量販店のモニターに表示されている。コンクロスは八十年前に存在が確認された怪物だ。五十年前の大量発生を境に個体数、被害量が増加している。今となっては対策も整ってきたが、整うまでの被害は甚大なものだった。その痕跡は今や見る影もないが数十年前は復興の終わっていなかった地域も多かったという。零が総監を務める魔導庁は被害対策の第一歩と言えるだろう。

コンクロスは基本動物の突然変異とされているが筋肉量が段違いに多いこともあり、今では別の生物ではないかという説も増えてきた。実際、羽の生えたトカゲや人の体が生えた蜘蛛など神話生物のような姿も確認されている。

モニターから目を離して左に曲がる。直進すれば本部に到着するが、零の足取りは重い。御束から請け負った避難経路の改善案、美華による会議報告、そしてあまたの被害報告に目を通さなければならない。ありがたいことに魔導庁事務は優秀なのでこれまでのミスはほとんどない。美華も会議には出席慣れしているだろうから問題はない。避難経路の確保も計画書の発行を前々から頼んでいるため発破をかければ迅速に対応してもらえるだろう。すべて任せてしまいたいものだが、「部下の失敗はあなたの責任なんですよ!」と美華に耳にタコができるほど言われているのでぞんざいにするわけにもいかない。

背筋を伸ばし、軽く息を吐く。己に喝を入れ、目的地へ足を踏み出す。しかし、その足は一歩で止まってしまう。踵を返し、反対方向へ進む。可憐な少女の瞳には、ひび割れた空が映っていた。



第二級報告書


20XX年N月M日。

首都上空に巨大な「壊扉」を確認。

規模・国家対策相当

概要・魔導庁総監が扉を迅速に処理。被害総額XX万円。死傷者0名



「それで?言い訳はなんだ?」

零は御束に詰め寄られていた。鼻が触れそうな距離だ。

「ちょっと待ってくれ、私は間違ったことしていないはずだ!」

御束の後ろでは美華が呆れて額に手をあてている。

「なにが!間違ったことは!していない!だぁ!」

手元の報告書で零の頭をポコポコ叩く。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ!本当におかしいことはしていない!逆にどこがおかしいんだ!」

御束の何かがキレた!

「どこが!おかしいかってぇ⁉」

手に持った報告書を机に叩きつける。傍に佇んでいた美華が驚いて肩を震わせる。

「この報告書に書いてある内容見てびっくりだよ!国家が全力で対処すべき規模の扉をたった一人で鎮圧してんだぞ⁉そのうえ映像を見てもっとびっくりだよ!一撃だぞ!一撃!国家が!全力で!対応するべきの!災害を‼一撃‼なぁ!わかるか⁉おまえはぁ!たった一人で国家級の力を持っていることを証明してんだよ!なぁ!なんてことしてくれたんだよ!日本にはたった一人で国家級の力を持つ人間がいるってそこらじゅうで噂されてんだよ!日本は世界を滅ぼせるんじゃないかってよぉ!お前のせいだぞ!どうすんだこれ!」

一気にまくしたてられ、零の顔に残るのは罪悪感だけだ。

「えっと……その…………すいませんでした」

御束は止まらない。

「見ろよこれ![魔導庁総監は人造人間⁉全く姿を見せないあの人の真実とは!]だってよ!すっげぇ!人造人間だって!人造人間‼ロマンあるよなぁ!マジで!」

零はさらに縮こまっていく。

「あの……御束さん………」

それでも御束は止まりません。

「これもすごいぜ![日本には国家を破壊できる人間が大量に⁉自称中立国家の末路とは⁉]自称中立国家って言われちゃってるよマジでよぉ!どうなってんだよ‼‼‼‼日本やべぇってよ!もうどうすんだよぉ!」

零は手で顔を覆った。

「……………………ゆるしてください」

御束の口からため息が漏れる。

「はぁ…ひとまず成り行きを見よう……始末はそのあとだ」

「………はい」

いつもの威厳が微塵もない零を見て、美華は笑みを浮かべていた。


そして遥か北の荒原では金属の蠢く音がした。



それは、突然動き出した。

「緊急です。北方禁領地で活動を確認しました」

入室した美華が冷静に報告をする。額に浮かぶ汗が焦りを伝えてくる。同時に机上の電話がけたたましく鳴る。零が手に取ると食い気味に御束の声がする。

「零、北方禁領地から戦闘兵器の起動を確認した。進路は———」

「私、だろう?」

電話口から伝わる沈黙が肯定を示す。

「北方禁領地の戦闘兵器はまっすぐ南下中だ。進路を考えれば数日後、この国への侵攻も始まるだろう」

「…………………………」

零は美華に視線を送る。

「だから、この国で迎え撃つための会議を今か———」

「北連の救援要請はないの?」

「………本気か?」

北連。北方禁領地を囲むように存在する世界最大の軍事国家。そして、北方禁領地ははるか前にとある国が実験の失敗によって生み出した世界のタブー。禁領地の内情は世界でも数少ない人間しか知らない。

「私は国一つ滅ぼせる女よ」

「………自信があるようだが俺はその要請を受け取ってない」

美華が外套と仮面を取り出す。そして隣にタブレット端末を置く。端末には北連からの救援要請が表示されている。

「……あいにく私は受け取れたみたい」

「は⁉そんな報告俺は受けてな————」

御束の声が聞こえないふりをして通話を切る。

「美華、私が向かうと伝えて。一時間もかからないわ」

外套と仮面を身に着ける。美華は端末で連絡を取った後、零に向き直った。

「総監………」

零の足が止まる。

「その……救援要請の連絡は外務省からで…………」

「……なるほどね」




御束は焦っていた。

「救援要請の出どころを確認しろ!虚偽だった場合、侵略行動と思われてもおかしくない!」

麗華が素早く動く。同時に御束はもう一度零に連絡を試みる。

(どうする…考えろ……)

圧倒的な力は崇高と恐怖の二面性を持つ。そして、この状況で零(圧倒的な力)が動くのは世界を動かすのと同義。あいつの存在を言い表せば高速で動く核弾頭だ。

「くそっ」

呼び出し音の鳴りやまない受話器を放り投げる。

「発信元は外務省となっています!」

御束は動きを止める。

(あの人か…………)

御束の口からため息があふれる。椅子に体を預けて額に腕を乗せる。憔悴してきている御束に声がかけられる。

「あの……神楽坂支部長………」

麗華が青ざめた顔でこちらを伺っている。

「外務省には–––」

「体調が悪いのか?」

「えっ、いえ、あの、そんなことは––––」

虚をつかれたように言葉に詰まる。

「確かに急に忙しくなったから。体がついてこなかったのかもしれないな。仕方がない、今日はもう帰っていいぞ。むしろ明日の方が忙しくなる、後処理が多いだろうからな。」

御束は手早く立ち上がると、かけてあった上着を手に取りドアへ進んだ。

「零がいったのなら侵攻の心配はもうしなくていい。あいつの力だけは頼りになる。安心して休めよ、お疲れ様。」

御束は麗華に微笑みを向けてドアを開けた。



零は外套をはためかせ真っ直ぐに禁領地へ飛んでいた。目的は戦闘兵器の停止、つまりは破壊だ。禁領地の内部には大量の軍事兵器が常に製造され続けている。そして製造される兵器一つ一つが半自立型となっており夥しい数のそれが襲ってくるため、安易な戦闘は御法度。際限なく生まれ続ける兵器の侵攻を食い止めるのが精一杯だ。実際、禁領地を自国の領地にするため躍起になった一つの国家が壊滅させられたことがある。それ以来周辺国家、ましてやどれほど大きな軍事国家であろうと禁領地に近づくことすら無くなった。

国一つを容易く滅ぼすことのできる機械集団が道無き道をこじ開けて進んでいる。今この瞬間にも町一つが消えているのではないだろうか。

(急ごう、後のことを考えていられる時間はない)

 速度を上げ、仮面の奥で目を細める。薄く立ち上る黒煙を見つけると、そこへ向かった。


銃撃を続ける機械たちの中に降り立った零は、着地の衝撃で砂埃が上がると同時に周囲の機械を抉った。

運よく残された機械から砂埃に向けて一斉に射撃が行われる。砂埃がひと回り大きくなり、零の姿が隠れると水を打ったように射撃が止まる。機械から放れる赤い光が訝しむように砂埃を刺す。

刹那、黒い鞭のようなものが砂塵を切り裂き光の元を削り取る。次の瞬間には射撃音が止んでいた。

 煙が晴れた時すでに零の姿はなかった。


上着を持つ手に力が入る。歩く速度が早まっていく。目指すのは外務省の一室。行き先も目的も明確だが、不安が尽きることはない。今から会う人はかなりの危険人物だ。気を抜けば…………。御束は過去を思い出し軽く身震いする。

目的の部屋に着くとノックもなしにドアを開け放った。中から鼻を突き抜けるような刺激臭が噴き出してくる。

「うっ………」

素早く扉から離れる。匂いに鼻が慣れてきたら近づく、鼻が悲鳴をあげるので少し離れるこの動作をしばらく繰り返して扉をくぐることに成功した。まず目にはいるのは書類の山。かき分けるように倒すと目的の人物と目があった。

「久しぶりだね神楽坂支部長。眉間に皺が寄っていること以外はテレビで見るとおりのナイスフェイスだ」

誰のせいだと言いたくなるがまともに相手をしていては終わりが見えないので要件だけ端的に述べる。

「お久しぶりです、逢崎補佐官。今回伺ったのは–––」

「あぁ〜いい、皆まで言うな。避難経路の件だろう?」

「違います」

「なるほど…君はあの仮面女から聞いていないのか?ひどいもんなんだよ聞いてくれ。急に連絡をよこしたと思ったら要件とデータだけ一方的に伝えてきやがった。なんであの女がそうk––––」

「この場にいると鼻が曲がりそうなんです。そろそろ聞いてもらっていいですか?」

「まぁまぁ、久々の来客なんだもう少しゆっくりs–––––」

「今回伺ったのは救援要請についてです。あれ送ったのあなたですよね?」

「いかにも!運よく私が受け取ったのでね、そのままあのクソ女に流したのさ!偉いだろう?褒めてくれてもかまわんよ」

「…………………………」

「言葉も出ないか?そんなに感動しないでくれよぉ。そこまで私に感動してくれたのは二人目。美華ちゃんと君だ。ここまで人に感動を与えらえれるなら私の自伝でも出版するべきかもしれいな!」

安心と同時にあきれが流れ込んできた御束はこめかみを揉み、仕返しとばかりに逢崎の目を見て言う。

「三日以内にこの部屋を片付けておいてください」

「無理だね」

「こんな臭いところにいたらあなたも臭くなりますよ」

「私だって体の汚れや匂いは気にしている。そこに関しては安心してくれて構わないよ」

「じゃあ俺が不快なので掃除してください」

「君の部屋じゃないんだからいいだろう?それに急に来ておいてあまりに失礼じゃないかい?」

 御束の額に青筋が浮かび上がった。

「付枷総監を呼びますよ?」

「………ハッタリだね、あのお方がここに来るはずがない。第一に、彼女は今禁領地にいるんじゃないか。私をビビらせようったってそうは行かないからね」

(呼び方が変わってる時点でビビってるじゃないか……)

御束は軽く息を吐き逢崎へ背を向けた。

「まぁ、来ないと持ってるならそれでいいです。とりあえず片付けておいてくださいね。もし総監が来たらどうなるかはわかっていますよね?以前、彼女の秘書を無理やり呼び出した挙句あんなことまでして………僕が見たかぎり相当怒ってましたよ」

 相崎の表情が青くなっていくのが背中越しに伝わる。

「それでは失礼します」

「待ってくれ!」

軽く振り返ると彼女が引き攣ったような笑みを浮かべていた。

「こ、コーヒーでもどうだ?」

「………………フッ」

御束は入った時と比にもならない速さで部屋を出ていった。その足取りはどこか軽いものだった。



禁領地近辺に到着してから約一時間。銃声も身を潜め、風に混ざる砂埃も少なくなった。機械の集団が一斉に引き返してゆく様子を眺めながら軽く息をつく。外套の砂を払うと、音もなくナニカが姿を現した。

「お久しぶりです」

 人の形をしたナニカから声が発せられる。

「………………」

明らかに聞こえているが、見向きもしない。

「再会のお祝いにハグでもしますか?」

ナニカは両手と思わしき部位を広げる。

「…………………………」

「………では失礼して」

そのまま零にむかって進み始める。

「来るな気色悪い」

蹴飛ばされて転がるナニカ。

「確かに会うのは久々ですが、まさか問答無用で蹴飛ばすような品のない女になってしまったとは…予想外でした」

ひしゃげた体で起き上がり、何事もなかったかのように話し出す。

「…………あなたの頭のおかしさは健在なようで何よりだよ」

「お褒めにいただき光栄です」

「用があるならさっさとして、愛するダーリンに呼ばれてるの」

ナニカの動きが止まる。

「………ねぇ、はやくして」

零が声をかけると肩を震わせ始めた。

「そっ…その歳で………だっ…ダーリン………ふっ…………」

仮面の下からピキッという音がき響く。

「特に用はないってことね、もう会うことはないだろうけれどお前のことは忘れないよ」

「ごめんなさい!ごめんなさいってば!悪気はないんです!」

「なにが、悪気はないんでスゥ〜!よ、明らかに馬鹿にした笑い方してたくせに!」

「だって!あの無慈悲の塊みたいな女が女々しさたっぷりでダッ…ふふ……ダーリンとか言ってるから!」

「まだ笑ってるじゃない!」

ナニカの体がさらにひしゃげた。

「そろそろ…本題に入ってもよろしいですか?」

「さっさと言いなさい、まだやることは残ってるの」

零はまだこの場にいなければならない。機械たちが退いたとはいえ、いつ戻ってくるのかもわからないのだ。

「ここから退いてください」

「無理ね」

沈黙が流れる。

「ここがまだ安全だと言い切れないもの、離れるわけにはいかない」

「それでもここから退いてください」

「………ここまで話が通じないとは思ってなかったわ」

先ほどとは打って変わって真剣な雰囲気が流れる。

「では、この場の安全を保証するので退いてください」

「そんな薄っぺらい嘘をも見抜けないと思われてるなんて心外ね」

「…………そうですか。では言い方を変えましょう」

ひしゃげた体がたちまちに治っていく。ナニカは指を零の後方に向けた。

「今すぐにここから立ち去るか、あの街が火の海になるか」

指の先にはさつい先ほどまで零が避難誘導した街がある。

「そんなことさせるほど私は優しくないのよね」

ナニカの指が上に向いた。

「答えは聞いてないよ」

その言葉と同時に空が黒く割れる。

「…………‼︎」

 先日零が塞いだものよりか一回り大きい。

「では。また」

ナニカが消えたかと思えば、コウモリにトサカの生えたような怪物が「扉」から溢れ出てくる。迷っている暇はない。零はすぐに街へ飛んだ。



街では軍隊がコンクロスと銃撃を繰り広げている。飛び回る怪物、逃げ惑う人々、明らかな劣勢だ。

一人、また一人と民間人が空へ運ばれていく。避難する人の中で老人が転ぶ。そこに飛びかかる怪物の影。老人が恐怖で顔を覆った時に黒い鞭が空を駆けた。到着した零が老人を抱き起こす。

「おぉ…神よ……」

遠い目で呟き出した老人を見て近くにいた兵士が気を利かせて肩を担ぐ。その姿を見送り「扉」へと向き直る。コウモリの他にも牛の顔をした人型の怪物、いわゆるミノタウロスのような化物も溢れ出始めた。前方の兵士たちが戦闘を始めたのを見て零も援護に向かう。だが、同時に爆発が起こる。見上げればコウモリの飛び回るさらに上からミサイルのようなものが降り注いでいた。無差別に降り注ぐミサイルは街、そして兵士ごと破壊する勢いで落下する。

「馬鹿なの………⁉︎」

 民間人の避難すら完了していない街にミサイルを降らせるなど行っていいはずがない。零はすぐさま兵士の保護へと目的を変えた。爆発音と断末魔の響くなか、的確に兵士を避難民の最後尾へと運ぶ。隊長と思わしき人物に撤退命令を出すと、謎の仮面の人物に戸惑いながらも従ってくれた。

 周りに人影がなくなると、零は自身の右腕に黒い鞭を纏わせ巨大化させた。

「ラル・オッラ・アーリー‼︎」

 腕を突き出すと同時に前から迫ってきたコンクロスの集団を抉り取った。運よく生き残った怪物たちを処理していると瓦礫の中から少女の泣き声が聞こえた。声のする方へ顔を向けると、半壊した家が目に映る。あたりのコンクロスを処理し、その家へ駆け寄る。中を覗くと、瓦礫の中に少女の影が見える。すると「扉」から甲高い声が響いた。振り向けば体じゅうに棘の生えた大きなトカゲが這い出てきている。さらに、空に爆撃機の影が現れた。

(またミサイル………!)

 トカゲに向かって爆弾が降り注ぐ。その音に怯えて瓦礫の中の女の子がさらに泣き出してしまった。怯え切ってしまってこのままでは連れ出すのも困難だろう。零は少し考える様子を見せて瓦礫を押しのけた。



 少女が眩しさに目を細めた時、目の前に光に包まれた美女が立っていた。世界で誰もが知っている、世界的な大女優が光の元に現れて自分に手を伸ばして話しかけてきている。

「大丈夫、手をとって。私に任せて」

 その神々しさはまるで天使のようで、少女がその手を握るのに時間はかからなかった。

 


 外套を着直して、その中に安心して眠ってしまった少女を抱えると避難した兵隊を真っ直ぐに追いかける。上空から零に向かってミサイルが降り注いでいる。空からみれば高速で動く黒い物体は敵にしか見えなかったのだろう。しかし、その全てを華麗に交わし一瞬で先ほどの隊長格の兵士に出会うことができた。彼に少女を預け街へ戻ろうとすると、声をかけられた。

「ありがとう、任せることしかできない自分を不甲斐なく思う」

 零は任せろとばかりに仮面のままうなずくと真っ直ぐ「扉」へ戻っていった。

 街の輪郭がはっきり見えた時に大きな火柱が真上に立ち上り爆撃機を撃ち抜いた。どこか満足げに舌なめずりをするトカゲは「扉」から全身を出そうと体を動かす、迫り来る黒い影に気づかずに。


 ––––––後日、棘の生えたトカゲの上半身だけが世界中に出回った。その写真に映るトカゲは頭部が凹んでいたという。

 



「さて、言い訳を聞こうか」

 御束はキレていた。

「な、なんのことカナ?」

 額に冷や汗をうかばせながら目を逸らす少女姿の零。

「連絡も不十分のうちに飛び出していきやがってよぉ!こっちの後始末のこと考えろよな!」

「だ、だって………」

 手をもじもじさせる少女にさらに詰め寄る御束… 

「だって?なぁーにぃーがだってぇ〜だぶっ飛ばすぞ!有無を言わせず飛び出して行きやがって今度やったらただじゃ置かないからな⁉︎」

「いや…でも……」

 御束の顔が真っ赤に染まる。

「いや!でも‼︎はぁー!ふざけんなよ!」

「えっと…そのぉ……ごめんなさい」

 御束の口からため息がこぼれる。

「まぁ、穏便に住んだから文句はそれほどないよ。それほど」

 絶対にまだ文句がある。顔から伝わってくる。

「とりあえず、向かって欲しいところがあるんだけど………」


 目的地を聞いた零は、額に手を当てため息を漏らした。



(なんでこんなことになったの……)

 麗華は気まずさを感じていた。隣には支部長の部屋で見た仮面の女性がいる。

「あなた…」

「ひゃい!ごめんなさい!」

 食い気味に謝った。

「…なんで謝ったの?」

「え?いや…ごめんなさい」

「また謝ってるじゃない」

 仮面の上から口の辺りに手を当てながら上品に笑った。

(もしかしてこの人っていい人………?)

 ※別に悪い人だったことはありません。

「今からいくところはね、昔美華も訪れたこともあるの」

「え!本当ですか⁉︎」

 また上品に笑った。

「まぁ、それでトラウマを植え付けられたのだけれど」

「え………?」

 麗華の顔が青ざめる。

しかし、目的地についてしまったようだ。

(姉様がトラウマ………?)

 怯え切っている麗華をよそに零は扉を開ける、すると目に飛び込んできたのは紙の山そして鼻を貫く刺激臭だ。

「うっ…………」

 麗華が鼻を押さえているうちに零はズンズンと紙をかき分けてすすんでいく。

「ちょっと待っててね」

 紙の山で姿が見えなくなっていく。すると奥の方から何やら怒号が聞こえているが匂いで何も考えられない。すると紙の山が崩れて零と謎の女性が現れた。

「部屋のお片付けをお願いね。私はこいつシメてくるわ」

 なんと理不尽なことかと思ったが、語気の強さに押されて何も言えなかった、。



 支部長室に御束が戻ると人がたくさんいた。

「痛い痛い痛い痛いごめんなさい!」

「勝手なことするなってあんだけ言ってたのにまだ懲りてないのねぇ!」

 零に間接を極められて悲鳴をあげる逢崎。床にへたり込んで生気のない顔をしている美麗。

「あら、おかえりなさいダーリン!」

「痛タタタタタタタタ!」

 零の楽しそうな声が響くにつれてて、逢崎の顔から血の気がひいていく。

「避難経路のことなんだがね!改善されそうだよ!よかったね!」

「私のおかげでね痛デデデデデデデデ!」

 嬉しい報告とは裏腹に、逢崎から悲鳴が搾り出されている。

「さっき美華さんが探していたぞ、早くいってあげたほうがいいんじゃないか?」

「そうなの?ありがとう、探してくるわ!」

 パッと逢崎の体を離し、外套を整えて外へ出ていった。崩れ落ちた逢崎がうめき声をあげる。

「君…恨むからね………」

 御束はその言葉を鼻で笑った。



「総監」

 零を見るや否や美華が声をかけてきた。

「私を探してたの?」

 美華の体は少し震えていた。

「帰ってきたなら…連絡の一つくらい寄越してください………」

 美華がいつもと違うしおらしさを感じさせる。

「………心配した?」

「もちろんです」

 からかうつもりだったのだが、素直に答えられて言葉が詰まる。

「………ディナーの約束をまだ果たしてもらってません」

 振り返った美華の耳は真っ赤になっていた。それに気づいて少し笑う。

「店は予約してあるのよね?」

「あ、当たり前です」

 大したことのないありふれた約束。だが、それを果たせることに喜びを感じた。

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