アルジャーノンに復讐を

真里谷

アルジャーノンに復讐を

 諸君、死ぬことを願われている人間はいる。絶対的な弱者であるべき人間が存在する。それがヒト種である限り、祭壇に捧げられる生贄である。

 私はそちら側だった。へその緒を首に巻いて生まれてきた。最高の家族のもとで育った。小学校で、中学校で、高校で。特に教師から死ぬべきと言われた。忘れようはずもない。私は時に怒り、だいたいは笑っていた。

 17歳で、難病の兆候が出始める。確定診断は28歳の時に出る。東日本大震災、あの数万もの命が奪われた天災が、ついに私の内なる朋友を目覚めさせた。当時はまだ厚生労働省の指定難病にもなっていなかった、「強直性脊椎炎」である。生来の友は、私にずっと消えない苦痛を与えている。

 人は、誰もが日頃から痛いものだと思っていた。そんなことはなかった。だから、体育教師には怒られ、美術教師には飛び蹴りで階段から転げ落とされる羽目になった。私は不出来だったのである。人間として。

 そうして、36歳の時にようやく重度の発達障害であることがわかった。正式な診断名は注意欠如多動性障害である。すなわち、ADHDだ。また、ASDの併発型であることも告げられている。全検査IQはウェクスラー式で130だという。試験があまりに退屈で愚弄されている気がしたので、自分がとてつもない痴愚なのだと思った覚えがある。

 知能指数130以上は天才に分類されるなどと、愉快な勘違いをしてはならない。あれは単に特定の分野における処理能力を図る指標に過ぎず、周波数に似た計測の手法なのだ。高すぎても低すぎても、社会では生きていけない。死ぬべくして死ぬ。共同体には不要な存在だ。害毒にすらなりえる。

 薬を処方された。勤め人の私が悩まされてきた、激烈な睡眠障害が改善した。立っていようが、仕事していようが、突然意識を失うように眠る。部屋のガラスを頭で打ち割りながら眠ったこともある。

 それに寛容な会社があった。今後も生涯をかけて感謝する。

 他方、「これだから障害者はダメなんだ」と悪罵を浴びせてきた会社があった。その人はパソコンを使えず、「揮毫」を嘘の単語だとせせら笑った。給与は私の10倍だった。別の会社では、きみの月給はうちの飼い犬の食費より安いと笑われた。とても楽しそうだった。

 私はそれらを自らの薄弱さの報いとして受け止めてきたが、発達障害の治療を始めてから約4年。もはや認めざるを得なくなった。

 よろしいか、諸君。人間に期待するな。他人に何かを期待するなどもってのほかだ。まして、自分が大したことのない存在なのだから。

 何が天才だ。私は強く恥じる。自己の生命の不全さは、そうした人々にも及ばない。なぜなら、彼らは健常者であり、私は障害者である。彼らは正常であり、私は異常である。諸君もどちらかに分類される。言葉は呪縛だ。生まれたからには、逃れられない。かつて「萌え」と言えば、草木の生育を連想するものだった。それはいくばくかの移り変わりを経て、また縁遠い言葉になった。きっと、「推し」もそうなる。

 この点では、「障がい者」という珍妙な表記も同様だ。まず、「障害者採用」や「障がい者採用」や「チャレンジ求人」などで用語が分化し、求める情報に容易にたどり着けない。当事者のいないところで、毛糸の玉がどこまでも転がっていく。もう誰も拾い集めることはできない。

 それでも、私は恵まれている。労働基準法で守られる程度の戦い方ができた。良い教育を受けられたからだ。良き家庭で過ごせたからだ。

 だが、今はもうない。

 強直性脊椎炎のなかでも、非定型の症状持ちである。よって、私は現行のセーフティーネットで救うに値しない人間だった。「よくわからないものに支払う金はない」のである。「痛いくらい我慢しろ」というのは、美しい言葉だ。私も『三国志演義』の関羽のように、麻酔なしで骨を削られても平然としていられる豪傑でありたかった。

 発達障害は、感覚過敏を伴う。まして重度である。このために、私は全身の炎症が鋭敏に感じられているようである。

 かくて、この精神面での公的扶助の可能性を探った。その申請先で、担当者からこう言われた。「あなたは身体と精神と、ああ、知的もお持ちですね」と。つまり、自治体にとって、広く見れば社会にとって、世界にとって、ヒト種族にとって、私はすべての障害を持つ、魯鈍で無益で役立たずな存在なのである。

 厚生労働省の「知的障害児および知的障害者基礎調査」の結果、知的障害とは「知能指数70以下」が要件として定められている。だが一方で、「日常生活能力の水準が著しく低い場合」も、指数外の判断として知的障害に分類される。

 その日の夜、私は鍋を完全に焦がし、蓄えていた食料を調理する器具を失った。IHコンロだったのが幸いし、火事は免れている。キッチンには溶けた樹脂の匂いが立ち込めていた。放火犯はこういう匂いも好きなのだろうかと思った。私はダメだった。これは私の愚昧を証明する匂いだった。おどろおどろしく変色した鍋は語っている。

 何が天才だ。間違いなく、お前は魯鈍なのだ、と。

 2023年12月24日、クリスマスイブ。長く交流してきた相手が死んだ。無教会主義とはいえ、キリスト教徒である。どれほどに自死の勇気が必要だったろう。だが、この世界に耐えられなくなったようだ。

 だが、私は実家に戻っていた。尊敬すべき家族とともに年末年始を過ごした。自らの不出来への恥が、急激に増大する。身体の難病が悪化し、発達障害の特性を克服し、知的障害の萌芽の兆候を見逃していたことを、心の底から悔いた。私はこのすばらしい家族に報いられていない。今も。これからも、そうなのか。皆が旅立つまで、使えぬ何かのままなのか。

 逃げるように、一度はまったくやめたゲームを、とはいえ今まで触れたことのないジャンルのゲームを始めた。もう長いことサービスをしているタイトルで、非常にすぐれた指導力を見せる人と英語でやり取りをした。

 その世界は壊れた。かわいそうに。これまであったいくつもの挫折のなかでも、最大級だったようだ。あまりにも、ならず者が集まりすぎたのだ。

 遊んでいるあいだにも時は過ぎ、また人が死んだ。それは天災であり、事故であり、また別の知己の訃報でもあった。人は死ぬのだ。獣も死ぬ。有機体である。避けられようもない。命の定義をそのように定めた。ならば、死は来る。どうしてこれから逃れられるだろう。それを恐ろしいものと見て、生と死の対比を祭壇に捧げたからには、容易に脱却できるものでもない。

 たった1ヶ月で、複数が死んだ。私の知るだけでも。そして、世界はそのようにしてできている。ウクライナやイスラエルの話題をする人々は、もうイエメンやスーダンやコンゴのことなどまるで気にしていない。

 そして、私も海外から「輸入」されてきた「安価な労働力」の恩恵で、良い生活を送っていたのだ。もちろん、「国内の安価たるべき労働力」も忘れてはならない。非正規雇用や障害者採用は、とても良い手段だ。昔のテレビのように、叩いたら直る扱いをしても簡単に怒られないし、直る人材なら安いままで長く利用できる。

 然るに、当事者たる私は何もしない。声を荒らげるわけでもない。

 私は活動家ではない。歴史が示すように、何かの運動を興す時、それは的確な場所と時節を選ぶ必要がある。でなければ、反動の波が容赦なく「不埒な騒擾」を叩き伏せるだろう。実際に、下劣なテロリズムに走った歴史もある。私たちはそれらを知ることができる。一方に肩入れする必要など、どこにもない。

 24時間、全身の疼痛がある。家庭ごみをごみ置き場に持っていけない日さえある。社会はそれをやがて支えられなくなる。私は人倫に基づいて処分される対象となるだろう。最優先だ。大学入試の一部科目以来の満点である。誇らしい限りだ。

 私は覚えている。「死ね」と言われた瞬間を覚えている。「死んだほうがいい」と言われた瞬間を覚えている。教科書は一度読めばすべて記憶できた。それが普通でないと気づいたのは、最近のことだ。ここ数年でそれができなくなってきたため、ついに魯鈍が愚劣へと転落していくのだ。

 たとえ全編読んだことがなくとも、作者のダニエル・キイスの名前を知らなくとも、『アルジャーノンに花束を』という作品名を耳にしたことがあるだろう。主人公はチャーリイ・ゴードン。アルジャーノンは、チャーリイと親しかったハツカネズミである。

 同作品はチャーリイの物語である。チャーリイの視点であり、その変化と葛藤、やがて文学史に残る結末へと至る。

 だが、アルジャーノンは、サンプルとなったけだものは、チャーリイによってでしか救済されなかった。それはあの世界の結末以降においても、単にプロトタイプとして死んだハツカネズミのままであろうと思われる。

 すでに、アルジャーノンに花束を添えることは託された。だが、諸君。私はアルジャーノンに強い願いが生まれたと信している。アルジャーノンは世界を強く憎んだのだと。自らを実験動物として生み出し、取り扱い、短い命をさらに短くした何もかもを恨んだだろう。

 私は魯鈍なままで良かった。薬を飲み、安定を得る。世界は正気だった。私は狂っていた。なぜなら、私は完全な少数派だった。社会から排除すべき不純な細胞だった。

 魯鈍なままであれば、いつかできたかもしれない。だが、もうできる気がしない。私は子どもにも劣る。あの恐るべき悪魔の頭脳、ジョン・フォン・ノイマンのように在りたかった。フォン・ノイマンは、小さいころにはすでに8桁と8桁の乗算と除算を可能にしていたという。

 ところが、諸君。私はてんでダメだ。私ができるのは、これまで見てきたあらゆる恐ろしいもの、悲しいものをすべて覚えていることだけである。それさえも、どうやら普通ではないと知った。誰もが壁に死体の顔が浮かんでいるわけではないと知った。部屋の隅に、コロナ禍ゆえに最期を看取れなかった祖母が立っていないとわかった。

 私にとって、ホラー映画は真実である。見たものは必ず現れる。私の目の前に。あれは私を破壊する。諸君、忘れるな。見ようが見まいが、知れば出るのだ。出ないはずがない。なぜなら、知ることはその一部または全部となることと同義であるからだ。

 もちろん、それにしても、また人間たる私にしても、極限まで突き詰めれば同一の存在の可能性は否定できない。エウジェニオ・カラビとシン=トゥン・ヤウから名前の取られたカラビ・ヤウ多様体、これは超弦理論における伝統的なモデルだが、現在の人間に定義できる姿としての魂があるならば、おそらくこのような形をしているのではないかと考える。

 諸君、それはチャーリイ・ゴードンも、ひいてはアルジャーノンも同じだったのだ。なのに、その考えを巡らせるための時間のないままに、狂乱して死んだ。アルジャーノンに復讐を、自らの怒りによって喜びを得る機会を与えたまえ。

 文章は音律であり、濃淡である。その濃淡を決めるのは、現行の生命現象においては感情として定義されているものにほかならない。

 幸いなるかな。私はもう走ることもできない。最近は歩く時もよろめく。本当に幸運である。健康だったならば、必ず思考が圧倒的に不足したテロリズムを選んでいた。考えることから早々に逃避してしまったとしたら、それは無数の機会を逸することになる。

 だが、諸君。それでもなお、私は求める。これまで多くの創作者が追い求めてきたものを。存命ならウラジーミル・ソローキンもそうだろう。あるいはレイ・ブラッドベリも年代記を織りながら思案したか。アントン・チェーホフも桜の木が斧で叩き切られる音に託したか。シギズムンド・クルジジャノフスキイが瞳孔の中で踊っている。

 そうだ、諸君。渾沌に七竅を穿つことなかれ。元老院と市民による帝国も永遠ならざるを忘れることなかれ。

 重ねて述べる。アルジャーノンに復讐を。

 それは為すものであり、為されるものである。この点は自明性を有する。一方で、世界が今なお非自明な解しか持たぬことを、アルジャーノンもチャーリイも気づいていただろうから。

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アルジャーノンに復讐を 真里谷 @mariyatsu2022

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