第48話
▪️▪️▪️
空を駆けて、地上に舞い降りる。
頬を暖かな風が通り過ぎ、大地が足元をしっかりと支えてくれる。
私が魔導師になった実感をもっとも得られる瞬間だ。
やはり人間は空を飛ぶようにできていない。飛行自体はとても気持ちがいいものだが、心のどこかに不安感があるのだと思う。
その両方が感じられるのは、今のところ飛行できる魔導師だけだ。
「なーにをひとん家の庭で黄昏てるのかなー、アリアー」
背中からやや間の抜けた声がかけられる。よく知ったその声に、私は振り返って笑顔を浮かべた。
「こんにちは、サリィ。お邪魔するわ」
燃えるような赤毛の彼女が、片眉をあげて私を見ていた。
「まったく、来るのはいいんだから歩いてきなよ。空から飛んでくるのは非常識でしょー。ウチは一応礼節を重んじる貴族家だよ」
「一応、王都では未だに私はお尋ね者扱いなのよね……」
「あれ、そうなの? 王家はもう力をなくしたから、手配書は撤回されたと思ってた」
「撤回する前に議会制になっちゃったのよ……。しかも、私は他にも余罪があるから……」
「余罪?」
「王城に攻め上がって、民間人もろとも薙ぎ倒したじゃない。普通なら戦争ものよアレ」
「ああー」
合点がいったサリィが、面白そうに口の端を吊り上げる。オモチャを見つけたときの顔だ——こういうときのサリィは厄介だ。飽きるまでひたすらいじり倒してくるに違いない。
私は親友から顔をそらして、ボロス家の屋敷から王都を眺める。
清々しい青空の下、整った街並みが広がっている。
以前に見た光景に比べると、人々は活気づき、商品を載せた荷馬車も頻繁に道を交差している。
交易も順調に回復してきているのだろう。
上空から見下ろした際にも、市場が賑わっているのは確認できていた。
ここまで復興するのに、およそ三年。
私が王都で暴れてから、すでに三年が経過していた。
長かったのか、短かったのか、私にもよくわからない。それでも大変な労力をかけてきたのは、この目で見続けてきていた。
王国は私とナルカミの進撃から、その有様を大きく変えていた。
王家はアルバート王子が魔力枯渇の後遺症でまともに政治ができる状態ではなくなり、力を失った。王家に忠誠を誓う者も今は離れてしまっている。
残った貴族は王国を守るための体制を議会制へと変更して、国内の復興に力を注いでいた。
貴族による議会制の政治は、走り始めてからまだ時間が間もない。今はまだ不慣れな政治体制に揺らいでいる部分も多いが、こればかりは時間が解決するのを待つしかないだろう。
ちなみに、議会制になってから予想外の動きを取ったのはミライラ嬢だった。
彼女はナルカミの治療で火竜の契約に蝕まれた体が元に戻るよりも前に、女性初の議員としていち早く進出していた。
ロラ家は元々男爵家であり、王政においてはそこまで力を持っていた家ではない。しかし、議会制に変わったことで家の力よりも個人の能力が重視されるようになったため、ミライラ嬢のような有能な女性も政治に関わるようになっていた。
もちろん、誰もが彼女を歓迎したわけではない。むしろミライラ嬢は、王国の衰退に関わる失政の中心人物でもある。彼女に対する批判の声は、貴族からも民衆からも多く上がっていた。
私自身も思うところはある。けれども、彼女がポツリとこぼした一言を聞いた私は、彼女に何も言わなくなっていた。
「これは、罪滅ぼしのようなものだから」
ミライラ嬢は議員として懸命に働きつつも、アルバート王子を介護し続けていると聞いている。
先日顔を見た際には、憑き物が落ちたようにすっきりとした表情で、私は思わず『竜の国の物語』を思い出した。
王都周辺も、ナルカミの魔力調整で作物の実りが取り戻されている。
火竜本体がいなくなったため完全な元通りとはいっていないが、代わりに変化した気候や大地で、新たな作物が作られ始めている。
じゃがいもに似たその作物は、素朴な味で腹持ちも良く、王国の民の食卓に並ぶようになった。
食料事情も底まで落ち込んだ時期よりは大きく改善している。
そうそう、ナルカミはといえば。
あの龍は完全に隠居モードになった。
私が魔導師として独り立ちしたからというのもあるだろうが、大部分は面倒なことを嫌っているだけに感じる。
龍ってこんなに人間臭いものなのかと私も感心してしまった。
「ほら、どこ見てるのアリアー。扉に顔ぶつけるよ」
思考に耽っていた私に、サリィが横から呆れた声をかけた。
いつの間にかボロス家の廊下をサリィと共に歩き続けていたようだ。目的の部屋の目の前まで来ている。
こうやって訪ねるのも、もう何回目だろうか。
慣れなかった始めの頃に比べれば、随分と場慣れしてきたものだと思う。
ほんの少しの緊張と、再会の喜びを胸に抱えて、木製の扉をノックする。
気配を感じていたのか、返答はすぐにあった。
「——入ってくれ」
ドアノブをひねり、ゆっくりと扉を開ける。
決して大きくはない執務室——その中心に彼女はいた。
「久しぶりだな、アリア……ひと月ぶりか。今日は呼び立てしてすまなかった」
女性にしては低めのアルトボイスが私の耳に届く。
それが嬉しくなって、私は満面の笑顔になった。
「ごきげんよう、ジーク。貴女に呼ばれればどこにだって飛んでいくわよ」
白いショートカットに、ルビーのような紅い瞳。すらりとした体型で、変わらないスマートな印象の彼女がそこにいた。
変わったのは、彼女の纏う雰囲気だ。
悲しげで寂しげだった瞳の色は、今は暖かで穏やかな光を放っている。
「サリィも、部屋を貸してくれて助かった。私は堂々と王都を歩くには、少し心苦しいからな」
「いいよー。部屋なんていっぱい余ってるし、父様も何も言わないよ。これでも元子爵家だからね」
サリィがからからと笑って手を振った。
「それで、今日は何の用かしら。貴女が呼ぶからには何か厄介事でしょう?」
「察しがいいな。実は、王国と帝国の国境付近で暴れている獣がいるらしくてな。私も一度出向いたんだが、逃げ出してしまい見つからないんだ」
「あら、ジークから逃げるなんてなかなか勘の鋭い獣ね。魔力持ちかしら?」
「おそらくな。私の魔力を察知して逃走しているものと見える。残念だが私では尻尾を掴めなかった。かなり手強いぞ」
「それで、私の感知の出番ってことね」
ジークもまた、贖罪を続けていた。
彼女はたびたび王国を巡り、その都度人間に害なす存在の対応をしている。
彼女の行為は王宮魔法使いとして公にできない影の領域だ。だから、人々にジークの行いは知られていない。彼女を知るのは、本当に一部の高位貴族だけだ。
それでもできることをしたい、とジークは言った。
そして自分が困ったとき、助けてほしい、と。
私は快く承諾し、ときおりこうして地上に降りて来ている。
ジークは前向きに生きている。
憎しみを忘れたわけではないだろう。しかし、それでも彼女は憎しみすらも受け入れて、少しでもよりよい世界を目指している。
私はジークを素直に尊敬していた。
ボロス家の執務室から離れて、私が最初に降り立った中庭に出る。
いざ飛び立とうというときに、ジークが少しだけ困ったように片眉を下げた。
「アリア。すまないが、先に墓参りに行ってもいいか?」
そんなことか。
私は当然了承する。
「ええ、お母さんのお墓ね。いったん王都の外で降りるということで良い?」
「助かる。お前にはいつも感謝してもしきれないな」
「野暮言わないで。——友達でしょ?」
私が首を傾げると、ジークは綻ぶように微笑んだ。
私が一番好きな彼女の表情だ。
「いってらっしゃーい。お土産期待してるよー」
飛び立とうとする私たちの背中に、サリィの呑気な声が届く。
私たちは顔を見合わせて笑いながら、大空へ舞い上がった。
転生悪役令嬢は追放されて魔導師になりました ちのあきら @stsh0624
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