第45話

▪️▪️▪️

 こうなることは半ばわかっていた。

 だからナルカミには、あらかじめどんな結末になろうと手出し無用と告げておいた。

 これは、私の——私だけの戦いだ。

 私が望む、私のハッピーエンドを迎えるための、わがままから来た戦い。

 だからナルカミにすら邪魔はさせない。

「何があっても介入しないで。もし余計なことをしたら、そのときは貴方との契約を打ち切るわ」

『……承知している』

 何か言いたげなナルカミに背を向け、私はジークさんと正対する。


 白い死神は、戦う前から満身創痍だった。

 いくら龍の秘術が解けたからといっても、それまで与えられていた痛みがなかったことになるわけじゃない。しかも解呪されてからまだ間もない。胸にあった呪いは確実に彼女を消耗させている。

 加えて、ここまでの道程。

 病み上がりと変わらない体で、徒歩で王都近郊まで歩いて来た。獣から襲われることもあっただろう。ただでさえ呪いで不安定になっていた体調と精神と魔力は、極限まですり減っている。


 対する私も、内面的にはジークさんとさほど変わらなかった。

 魔力は若干回復してきたが、荒事続きの立ち回りは私を疲労で蝕んでいる。

 けれども、やるしかない。

 これは私の望んだ戦いだからだ。


「——改めて名乗るわ。元王国侯爵家貴族令嬢、雷魔導師のアリア・ロッゾよ。貴女を止めてみせる」

「…………」

 ジークさんは何も言わない。

 ただただ赤い瞳に殺気を乗せて、私を真っ直ぐに睨みつけている。


 常人であれば、それだけで怖気づいてしまいそうな殺意だった。

 当然だ。今から放たれるのは、彼女の抱えてきたこれまでの想い全ての結末なのだ。


 悲しみ。

 怒り。

 嘆き。

 後悔。

 諦念。

 その全てが彼女を止まれない復讐へと突き動かしている。


 私は目を逸らさずに彼女を見つめる。ジークさんを止めると口にした以上、私には彼女を受け止める義務があった。

 逃げることは許されない。

 いや、誰が許そうとも私自身が許さなかった。


 龍の一柱が見守る中、私たちはゆっくりと動き出す。

 なけなしの魔力を全力で体内に循環させ、私はわずかに腰を落とした。


 おそらく、勝負は一瞬だろう。

 お互いに長期戦は難しい。戦力的に万全でない以上、戦いを長引かせても勝ち目は伸びない。であれば、最も効率的なのは一撃必殺だ。

 そして、私の雷は速度において何よりも勝る。電気の持つ圧倒的な速度は、魔法が発動するのを見てから返してもなお猶予がある。

 私はその一瞬を見逃さないように、神経を張り巡らせた。


「水よ」

 ジークさんが以前と変わらぬ極小の詠唱で、牽制の魔法を放つ。

 相変わらず美しいまでに無駄のない短縮された詠唱と魔法だった。

 空中に生まれた少量の水が針のように私に伸びてくるのを、同じように小さく発生させた磁力の壁で捻じ曲げていく。


「水よ」

 畳みかけるようにジークさんが水針を放ち続ける。おそらく私に隙をつくれないかと探るためだろう。

 魔力を使いすぎないように、冷静に針を捌き続ける。いつか私を仕留めるための一撃が放たれるはずだ。それに合わせて、雷のカウンターを叩き込む。私は心を鎮めてそのときを待った。


 様子がおかしいことに気づいたのは、五分ほど経過したころだった。

「水よ」

 ジークさんは戦闘開始時と変わらず、牽制魔法を撃ち続けている。その有様には微塵の乱れもなく、それどころか水針の数は更に増えている。

 対する私はといえば、磁力壁のための魔力発現で、徐々に息が上がりつつあった。


 疲れを見て取ったジークさんが、ますます水針を連射する。非常に小さな魔法だが、それゆえに必要な魔力量が少ないのだ。私の磁力壁に比べれば、その消耗具合は雲泥の差だった。


 私はナルカミに言われていたことを思い出す。

 私の弱点は、経験が足りないことだ、と彼から常々から言い聞かされていた。


 私は魔導師として立ってから日が浅い。雷魔導師は強力無比な存在だが、アリアにはどうしても経験値が足りていない。だから、戦場に立つ際には充分以上に気をつけろ。

 ナルカミは空中庭園にいたころから、口を酸っぱくして私に繰り返していた。


 確かに私はここまで王国での戦いに勝利してきた。しかしそれは私自身の技量よりも、雷という現象の特性と対処の難しさ、そして魔導師という特異性によるものが大きい。

 ようはパワーでゴリ押ししていたのだ。


 しかし、ジークさんは違う。

 彼女自身が望んだわけではないだろうが、長く王宮魔法使いとして戦い続けてきた彼女の技量は、私とは正直比べ物にならない。忌まわしき記憶と共に身に刻まれた技量は、他の追随を許さない領域まで高められている。


 彼女はたった数回の私との邂逅で分析したのだろう……私の弱点を。

 電磁力の壁は、あくまで電流を発生させることの副産物だ。防御方法としては極めて優れているものの、雷そのものではないため燃費が悪い。

 しかも、私は詠唱が使えない魔導師だ。自在に雷を操ることはできても、必ずしも最適化されているわけではない。特に魔力のロスに関しては、不慣れな分かなり大きいはずだ。ジークさんはそこに勝機を見出していたに違いない。


 もはや雨のように降り注ぐ水の針を、私はなりふり構わず必死に防ぐ。

 規模は小さくとも殺傷力は高い魔法だ。一度くらってしまえば、後はなす術もなく穴だらけにされてしまうだろう。


 私が牽制だと思っていた魔法は、ジークさんが放った必殺の魔法だった。

 つくづく自分の間抜けさを呪う。

 彼女は独学で魔導師の領域まで登りつつある本物の天才だ。一度見た私の弱点など、気づかぬはずもなかったのだ。


 非常にまずい事態だった。

 このまま防戦していても、先に魔力が尽きるのは間違いなく私の方だ。それほどに燃費が違う。

 こちらも細かく攻撃を挟もうにも、一度できてしまった流れに逆らうのはリスクがつきまとっていた。


 だからといって、このまま敗北を受け入れられるはずもなかった。

 この程度で諦めるなら、最初から彼女を止めようとは思っていない。


 状況をひっくり返すには、雷化するしかなかった。

 いちかばちかの大博打だ。

 ここも失敗してしまえば、勝利は絶望的になる。けれども、他に手はなかった。


 私は心を固めると、体内の魔力を高めていく。

 流石の連撃に疲労がでたのか、ジークさんの水針魔法も嵐のようだった先ほどよりは散発的だ。

 私は耐えつつも隙を待つ。

 そして、そのときは来た。


 呼吸のために、ほんのわずかにジークさんの魔法の手が緩む。それを感じた私は、全力で全身を雷化させた。

 一秒にも満たない時間を、永遠に感じる。私は極限の集中力の中、水針の豪雨を駆け抜ける。

 雷の体に物理的な技は効果がない。体を突き抜ける水針を感じながら、私はジークさんの懐へ飛び込んだ。


 そして、解除。

 実体となって現れた私は、常人からすれば瞬間移動のように感じられただろう。数瞬遅れてジークさんの赤い瞳と目が合った。


 心臓が破裂しそうなほど疲労と不安を感じる。それを押しのけて、私は右手に魔力を発現させた。


 必殺の距離、必殺の一撃だ。

 私は確信と共に右手をジークさんへと伸ばす。

 憎しみに駆られた彼女を止める。その願いを叶えるために。


 しかし、私はいまだに気づいていなかった。


 ジークさんは天才だ。

 自力で魔導師の域に片足を踏み入れた、真なる魔法使い——彼女がそれを望んでいなかったとしても。

 それを理解しつつも、思考することをやめていた。


 結局のところ、この後に及んでまだ私はジークさんをみくびっていたのだ。


 本当のジークさんを、甘く見ていた。

 そのツケは、今このときにやってきていた。

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