第44話
▪️▪️▪️
「終わったわね」
『ああ。……終わったな』
私とナルカミは全てが終わったあと、かなりの時間を置いて合流していた。
ナルカミはともかく、私は消耗が大きい。複数回に渡る雷化に加えて、限界近くまで体力と魔力を消費した。
ナルカミもまったくの疲れ知らずというわけでもなく、珍しく疲労した雰囲気でいつもの手乗りサイズへと戻っていた。
灰が降り止んだ王都の門を抜けて、私とナルカミは草原へ足を踏み出す。
周辺に積もった灰の名残はあれど、目に入る景色は以前の王都近郊に戻りつつあった。
王国で私たちがすべきことは完了した。サリィとも改めて挨拶を交わし、再会を誓った後だ。
だからあとは空中庭園に帰るだけ——とはならない。
まだ、大事な出来事がひとつ残っている。それはすべきことではなく、私が望んでなしたいこと。
その決定的な予兆は徐々に近づいてきていた。
ナルカミが目を細める。何かを先に見つけたようだった。
『——来たぞ』
言われて私も視線を投げる。
彼女はボロボロになりながらも、そこにいた。
純白のショートカットに、ルビーのような透き通った赤い瞳。小柄ですらりとした体型だが、ナイフのような鋭さを感じさせる。
王宮魔法使い、ジークさん。
私が望んだ相手だ。
彼女はいつからこちらへ向かって来ていたのだろうか。
ジークさんを預けた町から王都まで、徒歩であればかなりの時間がかかる。私はナルカミに乗って高速で到着したが、本来であれば一日、二日はかかってもおかしくはない。
ジークさんの紅瞳は、かつてないほどにぎらついていた。
明らかに顔色は悪く、足元もおぼつかない。けれども全身から発せられる意志が、彼女の存在感をより強く感じさせている。
彼女の意志——それは、まごうことなき殺意だった。
「……お前か」
ジークさんも私を認めて小さく口を開く。その口調は先日の丁寧なものとは異なり、ひどくぶっきらぼうなものだった。
「……ここまで来る途中に、私にかけられた呪いが薄まったように感じた。お前の仕業か?」
どこかぎこちなさを感じた丁寧な口調よりも馴染んだ様子を見ると、本来はこちらの口調が素なのかもしれない。
「ええ。私と……ここにいるナルカミで王都に巣食う竜を倒したわ。貴女にかけられた秘術も私が断ち切った」
「そうか。……お前には感謝している。命令だったといえ、襲いかかった私の呪いを解いてくれた恩は決して忘れない」
「……灰も止んだし、守護竜がまき散らした余剰魔力を利用して大地の調律も済んだわ。じきに作物の実りも良くなると思う」
「そうか。……私にはどうでもいいな」
私は告げるが、ジークさんは気にも留めない。
むしろ、両の瞳を更に強く輝かせて私を詰問してきた。
「王家の——王国の連中はどれだけ死んだ? 遠距離でも感じ取れるほどの魔力を感じた。馬鹿でかい魔法か何かが使われたのだろう?」
鋭い視線が私を貫く。嘘は許さないと目つきが語っている。
私は彼女に正直に言った。
「ひとりも死んでいないわ。私は王子もミライラ嬢も殺さなかった。……無事とは言い難いけれど」
そう。私は王子を殺さなかった。
殺されても文句は言えない立ち振る舞いだった男だけれども、私は彼を殺すつもりは最初からなかった。
それでは何も変わらないと思ったからだ。
おそらく王子は後遺症で、今後もろくに動けない体になった。魔力欠乏でしわがれた体がいつまで保つかもわからない。ミライラ嬢もナルカミが契約こそ解除したものの、一度竜の魔力に侵された体が治癒するには長い月日が必要だろう。
「そうか。邪魔をしたな」
私が王子たちの状況を告げると、それを聞いたジークさんは剣呑な気配を隠すのをやめた。
ジークさんは再びのろのろと足を踏み出す。行き先は——王都の方向だ。
私は胸の痛みを隠して、彼女の前に立ち塞がった。
「どけ。……何の真似だ」
「貴女こそ、そんな体でどこへ行こうというの?」
「お前に教える必要はない。どけ……どかねば殺す」
「どかないわ。……アルバート王子を殺すつもりなのでしょう?」
私が尋ねると、ジークさんは真っ直ぐに私の瞳に殺意を叩きつけてきた。
「そうだ」
「……彼の婚約者、ミライラ嬢は?」
「殺す」
「……王家に味方したような貴族も?」
「殺す」
「……王国の民も?」
「殺す」
ジークさんの瞳は、憎しみに染まりきっていた。
「……それは、貴女の復讐?」
「そうだ」
「……無礼を承知で言うわ。復讐をやめるわけにはいかない?」
「無理だな」
「私の顔に免じても?」
「ああ」
「私は、こんなことをさせるために貴女の呪いを解いたわけじゃない」
「済まないと思う」
ジークさんの意志は固い。
このまま立ち塞がるのであれば、私もろとも突き進むのだろう。
殺意が今にも爆発しそうなほどに高まっている。
「奴らのせいで、私は全てを壊された」
ジークさんがぽつりとつぶやく。
「私のようなスラム生まれの女が、なぜ王宮魔法使いなどになったと思う?」
私は答えられない。理解しているからこそ、答えられない。
「私はたまたま魔法の才能が優れていた。魔法と言えば貴族だが、稀に私のような平民にも才が芽生えることがあるらしい。そういった者を発見したとき、王国がどう動くか知っているか?」
知っている。知っているからこそ、何も口にすることができない。
「答えはな、無理やり親から引き剥がしてでも王城に連れ帰るんだよ。下等民の意思など関係がない。本来魔法使いといえば貴族であり、代用できない戦力だ。使い捨てにできる魔法使いを、王国が放っておくはずがない」
私は何も言えない。元は私も侯爵家令嬢——彼女の言う代用できない人間側だ。
「私に選択肢なんてなかった。いくら才能があろうと、ただのスラム街の子供が国と争えるはずもない。挙句の果てに王家に逆らえないように、胸に呪いをかけられた」
知っている。
王家の血に受け継がれた龍の秘術の悪しき模倣。私自身がこの手で砕いたものだ。
「なんでもさせられた。王家の敵の暗殺くらいなら生ぬるい。汚い仕事は全て私がこなしてきた。無理やり魔法を覚えさせられ、母とも会えず、子供だった私はいつしか世界を呪うようになった」
私は口を開かない。
開くことができない。
「せめて母だけは健やかに暮らしてほしい——そう願っていた私の耳に、母の訃報が届いた。そのとき私は、暗殺任務で母の元に駆けつけることすらできなかった。私が王都に帰ったとき、母の亡骸はスラム街の一角に捨てられていた」
ああ——私は悟る。
どうしてジークさんに、これほどまでに心を引きつけられるのか。
彼女は、私だ。
誰にも何にも報われなかった私がたどり着いたかもしれない場所だ。
「なあ……教えてくれ、アリア・ロッゾ。私の前に立ち塞がる者よ。どうしたら私は奴らを許せるんだ?」
私は何も言えない。
だって、私がここに立つのは、ただの私のわがままだから。
「許せるはずがないだろう……わからないか? いや、お前だけは私が理解できるはずだ。貴族であっても魔法が使えないという理由で蔑まれてきたお前であれば。たったそれだけの理由で、婚約者に暗殺者を仕向けられたお前であれば」
私は黙って彼女の言葉を聞く。
それが必要だと思うから。
「許せるはずがない……許せるはずがないだろう! 私を呪った王家のクズも! その王家に媚びへつらう女も! 私の母を打ち捨てたスラムの連中も! 私と母を踏み躙った上に平然と暮らす王国の民も! どいつもこいつもクソ喰らえだ!」
白き死神が激昂する。
それは同時に、世界に対する慟哭でもあった。
もう、彼女は自分では止まれない。
それほどまでに悲しみと怒りに浸され続けてしまった。
「退け! これ以上邪魔をするならお前も殺す!」
「退かないわ。今は許せなくても、優しい貴女は必ず後悔する。それを防ぐためなら何でもするって、自分自身に誓ったの」
だから、私が止める。
どこか悲しい瞳をしていた彼女が。
自身の呪いを顧みずに、町を救った優しい彼女が。
これ以上傷つかないように。
そしてなにより、私自身がもっと彼女と近づくために。
決して譲れない願いを胸に。
私とジークさんが激突する。
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