第43話

▪️▪️▪️

 それは神話の戦いだった。

 決して長く続いた光景ではない。後から思い返すと、むしろ戦闘時間で言うならば私とミライラ嬢の戦いよりも短かっただろう。


 上空では赤き竜が金色の龍に対面している。赤竜が咆哮すると、極限の魔力が集中していくのが私の黄金瞳でも感じ取れた。


 世界を終焉に導く力だ。


「な、なんだ……何をやっている!? 王国ごと滅ぼすつもりか!?」

 ようやく事態に気づいたアルバート王子が空に向かって叫びを上げる。

 魔力枯渇で蒼白になった顔を横目で見ながら、私は隠れてため息をついた。


 今更の話だ。

 王子は守護竜の危険性も秘術の継承も知識がないのだろうが、為政者としてもう少し思慮深さがあれば、ここまで最悪の状況にはなっていなかったというのに。


 灰が舞い散る王都の空で、赤竜が魔力を開放する。降り注ぐ灰に魔力の赤光がきらめいて幻想的な光景を生み出していく。

 おそらく、火竜の攻撃はその名に相応しいシンプルな火炎だ——ただし、想像を絶するほどの高温の。


「や、やめろ! やめろ! なぜ俺の言葉に従わない!? 竜の加護と契約はどうなっている!?」

 王子はあまりにも無様だった。

 私は呆れながら、そっと聞こえるように呟く。

「あれは単なる暴れ竜。……貴方が魔力を捧げて秘術を解除した今、貴方の命令に従うはずもありませんわ」

「な、なに……? 暴れ竜……契約の解除? 貴様一体何を言っている……?」

 こちらを向く王子。

 私は構う必要性を感じず、上空を見つめながら一言だけ追加した。

「貴方は火竜に騙されたのですよ。契約の継承に魔力など必要ないし、為されたのは継承ではなく解除。……もはやあの竜を止められるのは、人間には困難です」


 私の黄金瞳には、もう竜を縛る秘術は確認できなかった。

 王国の礎たる竜を縛っていた秘術の崩壊——つまり、王家の人間だろうと魔導師である私であろうと、かの竜は止められない。

 止められる者がいるとすれば、それは世界の管理者である六龍の一柱、ナルカミだけだ。


 王都を赤光が包む。遠く離れた王城まで、火竜の放つ熱が届く。今にも放たれそうな破壊の炎が、徐々に世界に顕現していく。

 しかし、この状況でも私の心は落ち着いていた。


「ナルカミ……こっちはほぼ終わってるわ。あとは貴方だけよ」


 私は相棒の黄金龍から目をそらさなかった。もう目を開けているのもつらいほどに、輝きが強まっている。

 これが終焉のとき。

 火竜が二度目の咆哮を放つと、ついに熱波の暴威が荒れ狂った。 


 そして、ナルカミが動く。

 私と同じ色の瞳が輝くと、王都全域が帯電するのがわかった。電気の気配特有のぞわりとした感覚が体にまといつく。


 私が扱うのとは比べ物にならないレベルの磁力の壁が形成される。

 王都を包み込むサイズの磁力の壁——人ではあり得ない巨大な術が、私たちを炎から護った。


 高磁圧の障壁が、王都から炎を捻じ曲げて防いでいた。磁力の壁と炎の境界でバチバチと弾ける音がそこら中で鳴り響いた。

 稲光がまたたき、電流の喊声が空間を切り裂く。そして、ナルカミが瞳を輝かせながら咆哮すると、雷の発現と共に熱波の全ては遥か高空へと打ち上げられていった。


 終焉の炎が、灰色の雲に吸い込まれていく。

 炎が雲に呑まれてから数瞬後、鼓膜を突き破る激音と目を焼かんばかりの爆発が空に轟く。

 それが収まったとき、王都に影を落としていた灰は吹き飛ばされ、暖かで眩しい太陽の光が差していた。


 光の中に残ったのは二柱。

 力を吐き出し尽くした火竜と、傷ひとつない雷龍だ。


 私は目を伏せてまぶたを閉じる。

 黄金瞳に宿る熱が、ナルカミとの契約を強く感じさせた。


 真っ暗な視界の中、まぶたを貫いて閃光が走る。

 目を閉じているのに焼けつきそうなほど強い光だった。


 私は心中で五秒を数える。

 目を再び開いたとき、空の光の中にいるのはナルカミだけになっていた。


▪️▪️▪️

「馬鹿な……守護竜が……王国が負けた……?」

 愚かな王子が、私の横で膝を着く。

 この後に及んで寝言をほざいているアルバート王子に、私は心底嫌悪感を覚えながらも向き直った。


 全て終わった。

 だけど、私のやるべきことはまだあった。


「負けたのは貴方です、アルバート王子。貴方の欲望がこの事態を引き起こし、叶うことなく敗北した。それを認めなければ、貴方は決して前進することはないわ」

 私は王子の前までゆっくりと歩く。

 歩を進めながら目を細めて魔力の流れを確認する。すると、極細の魔力の線が、王子の胸からどこかへと真っ直ぐ伸びているのが見えた。


「馬鹿を言うな! 俺はまだ生きているのだぞ! 俺が王であり王国だ……この俺がいる限り、敗北などあり得ない!」


 私はもう何も言わない。彼に何を言っても無駄だと悟っていた。


 彼の胸から伸びる魔法は、ジークさんを縛る秘術もどきだ。

 不恰好で人を苦しめるだけでしかない龍の秘術の劣化模写が、今もなお王子に宿り続けている。

 そして、ジークさんにも。


「や、やめろ! 来るな! 俺が誰だかわかっているのか! 俺がいなくなれば王国も消滅する……貴様はそれでも良いと言うのか、外道が!?」


 王子はわめく。

 醜悪な魔法を胸に抱えたまま。

 あと三歩の距離まで私は近づく。


「俺もあの空の化け物に殺させるつもりか! 王国貴族ともあろう者が、俺に尽くさずに国を滅ぼすと言うのか!?」


 王子がわめく。

 私は残る魔力を振り絞って、全身に巡らせる。

 私と王子の距離はあと二歩。


「衛兵は何をしている! この賊を一刻も早く捕えろ! 王命だぞ!?」


 王子がわめく。

 私は右の拳を固く握った。

 王子まであと一歩。


「こんなことが……こんなことが許されると思っているのか!?」


 王子がわめく。

 私はその見苦しい叫びを前に、右の拳を腰だめに引き絞った。

「許されるか許されないかは——」


 わずかな魔力で最大限の雷を発現させた。右拳が帯電し、青白い光が謁見の間を照らす。

 深く深く深呼吸した。

 そして——

「その胸でお天道様に聞いて来い!」

 拳と雷を、王子の胸へと叩き込んだ。

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